「サンズが悪い」
「えーっ、なんでだよ!」
翌日シャンカルに呼び出されたサンズは、シャンカルに叱られて憮然としていた。
なんでそんなことになったかって? もちろん俺がシャンカルに言いつけたからである。
よく学校とかで「先生に言いつけるのは卑怯」とか言うじゃん? あんないじめっ子有利の訳わからんルール、とっとと強制廃止すりゃいいと思うんだよね、俺。
何かあったら、頼れそうなものを頼る。当然のことである。
▽
というわけで、ヘロヘロの頭のままサンズの家から飛び出した俺は、まっすぐシャンカルの家へ。
シャンカルの店の二階が住居なのは事前に確認済み(というか大体の店はそうだ)。
もし寝てたら悪いと思って扉を叩いたりはせず、軒下で丸まってたらあっさりと発見された。
「そこにいるの誰……って、あれ? えっと、ザジさんだっけ? こんなところで何してんの」
「あ! いやごめん、えっと、別に良からぬことをしようとした訳じゃなくて! えっとえっと、起こしたら悪いから明日まで待たせてもらおうと思っただけで……その!」
俺は慌てた。そりゃもう慌てた。
側から見りゃ、今の俺の行動はめちゃくちゃ怪しいだろう。盗みだか痴漢の未遂でとっ捕まっても仕方ない所業だ。
いつもの俺だったら絶対にしない行動だ……多分薬茶とサンズへの怒りで冷静な判断ができなくなっていたんだろう。
俺はあたふたと回らない頭で言い訳しまくった。
いやぁ、多分何言おうと無駄なんだろうなー。嫌だなー。逮捕とかされるのかなー。されるんだろうなぁ。イェニチェリに言えばなんとか助けて……いや、イェニチェリだって俺のことを全面的に信頼してくれているわけではない。味方してはくれないだろう。
やべ、ブラジルの悲劇再びか?
あんまり長いこと監禁されたら、俺死んじゃうぞ。
1. とにかく説明して謝り倒す
2. …………
選択肢がねぇええええ!!!
「落ち着いて。……ザジさんって変な人だね」
「……あれ?」
もう人生終わりかと思ったが、驚くべきことにシャンカルはぜんぜん警戒していなかった。
なんなら笑って部屋に招き入れてくれた。
って、よく考えりゃそりゃそうか。
この世界だと、女性が襲われることは絶対にない。むしろ男のほうが危ない。さっきのサンズがいい例だ。
その説で言うと、シャンカルは俺が料理人だと気づいてるわけでその安全性は破られているわけだけど、シャンカルは全く警戒する様子もなく、「よかったらどうぞ」と言って扉を開けてくれた。
ええ、なんか……いいのこれ?
お邪魔しちゃうよ?
▽
部屋に上げられると、シャンカルが「お茶は何にする?」と訊いてくれた。
わぁ、シャンカル優しい。サンズなんて何も言わずにヒロポン茶を出してきたのに。
「頭がぼーっとしないやつならなんでもいいです」
「頭が……? あー、××××を飲まされたのか」
「それとクッキーだかちんすこうだかのお菓子」
「ふぅん、ザジさんはそういうの好きじゃない?」
「うん、別に批判するつもりはないんだけど、個人的には好きじゃない」
「じゃあ、緑茶入れるね」
「ありがてー、そういうのが一番いいわ」
シャンカルの部屋は、サンズの部屋とほとんど同じような大きさだが、モノがやたら多かった。もうぎっちりって感じで所狭しとモノが並んでいる。
そのわりに散らかった雰囲気にならないのは、彼女のセンスが良いからだろう。掃除も行き届いているし、とっても賑やかで華やかな感じ。
なんだっけ、ミニマリストの反対の……マキシマリストだっけ?
湯呑みが差し出される。
この湯呑みもぽってりした形でかわいいなー。
日本で人気出そうな感じ。
「どうぞ」
「ありがとー」
ずずず。
うわー、旨い。
「おお、ベトナムの緑茶と同じ味がする。美味しい」
「あ、ザジさんって×××× ××× ×××?」
「×××× ××× ×××……って何?」
「あー、えっと、
「ああ、前世の記憶持ちのことか」
あれ? ってことは。
「ってことは、シャンカルも?」
「うん、あたしはうっすらだけどね、一応は」
「へー、どこ出身?」
「インド。ザジさんは?」
「日本。ついでにこっちの世界に来てからまだ一月も経ってない」
「日本人! こっちでは珍しいね!」
あ、日本人少ないのか。
まぁ人口も少ないし、そんなもんか。
「それに、それにこっち来て一ヶ月っていうのも珍しいね。旅行者ならなおさらだ。よく許可が出たね。店を持てって言われなかった?」
「そこはまぁ、色々事情がありまして」
「イェニチェリ関係でしょ? 言えないことは黙っときなよ」
「ごめんよ」
「そういえば、日本人が多い地域もあるみたいだよ。行ってみたい?」
シャンカルはスパッと話を変えた。随分とクレバーだなぁ……サーリハといい、インテリな人が多い気がする。
そのくらいじゃないと幹部候補を目指したりしないか。
「へぇ、そうなんだ……どうだろう、興味はあるけどなぁ」
「ラジャスではないけどね。外国だよ」
「んー、まぁ機会があれば立ち寄ってみるかもしれんけど、今はいいかな」
このシャッフルされた世界で、もともとカオスだった日本の文化がどうなってるのかは、ちょっと見てみたいよね。
すごい違和感なんだろうな。完璧に違う文化も面白いけど、外国で見かける日本語とか、オリエンタリズムっていうの? あれ、めっちゃ趣深いと思うのよ。大好き。
東南アジアとか台湾とかの夜店に行くと、必ずと言っていいほど「Takoyaki」とか「Okonomiyaki」を見かける。最近じゃ「Ramen Noodle」かもよく見る。
中には「おー、日本のとほとんど一緒だ!」って感じの本格的なのもなくはないけど、だいたいローカライズされてて、全然違うものだったりする。お好み焼きなんて棒に刺さってたりするし、あとだいたい辛いソースがかかってる。青のりと紅生姜のかわりに普通の海苔と千切り生姜が散らされてたり。ああいうの最高。
そういう違和感って、めっちゃ好きなんだよね。それこそ異世界感があって、「あれ? 夢? 俺いま起きてる?」ってなるもん。
とはいえ、今となっては優先順位はちょっと低い。特に日本風のものが恋しいわけではないし、より新しいもの、珍しいものを見たいなら、前情報がない場所のほうがいい。
万が一……億が一? 俺がホームシックになったなら考えてみよう。
まぁ、なさそうだけれども。
「で、何があったの」
「それがさあ! 聞いてよシャンカル!」
俺はサンズの家であったことを赤裸々に暴露した。
シャンカルのことを好きだというサンズには申し訳ないが……嘘です、全然そんなこと思わない。シャンカルにはサンズがどんな男か知っておいてもらった方がいい。
好きな女性がいるのに、遊びで男と××××するようなやつ、碌なもんじゃねぇ!!
と思ったら、まさかの返事が返ってきた。
「それは、ザジさんが不用心だったね」
「えっ、俺? なんでよ」
「あのくらいの年齢の子らって、そりゃもう持て余してるよ。色々ね。ほいほいついて行くほうにも問題ある」
「なんでよ! 男同士じゃん! って男同士だからか!」
もうやだこの世界!
「えぇ……じゃあこれからずっと男連中を警戒し続けなきゃいけないの?」
「事前にその気がないことを伝えておけばいいんじゃない? サンズだって無理強いするつもりはなかったと思うよ」
「そうかもしれんけど」
「だいたい、ザジさんって料理人じゃん。なんで殴らなかったの」
「いや、あれ、なんでだろ」
言われてみれば、なんでだろう。
身の危険を感じた時に、暴力をもって身を守ることに抵抗は全くない。
でも、サンズを殴ろうとは全く思わなかったんだよな。
俺が
でも、それ以上に「向こうはこちらを殴れないのに、こちらは殴れる」っていう状況がね。抵抗あるっていうか、あんまり好きじゃないっていうか。
一方的な暴力なんて最悪じゃん。
人間関係は対等じゃないと面白くないし。
しかし、何を勘違いしたのかシャンカルは「ふっ」と笑って手を伸ばして、俺の頭をヨシヨシと撫でた。
「ザジさん、いい人だねー」
「え、何、やめてよ」
「料理人の中には、やり返されないことをいいことに好き放題するやつだっているのに」
「あー、それはまぁある程度しょうがないだろうね」
自分たちだけが人に飯を食わせることができる。みんなが生きているのは俺たちのおかげだ。だから生意気な連中に暴力でわからせてやるくらいのことは当たり前だ。多少好き勝手するくらいは当然の権利だ――料理人の権能は、そんな選民意識が育つのに十分な理由だろう。
「でも、そういうこと考える人からは、殺生の権能が奪われるらしいよ。元は料理人だった、って人たまに見かけるもん」
「ほぉん」
「周りからすっごい軽蔑の目で見られるけどね」
まぁ、それもしょうがない。
自業自得だ。
「じゃあ、シャンカル。俺のことは信用していいの?」
俺が料理人――実際は違うんだけど、殺す権能を持ってることだって理解してるだろうし。
それとも俺相手じゃ警戒する必要もないくらい、シャンカルが強い可能性もある。
と思ったら、シャンカルがフッと笑った。
「子どもみたいにメソメソ泣きじゃくってたくせに……」
「えっ、俺、泣いてた?! うそん」
「泣いてたよー。だから、あーサンズに襲われたのかな、って」
「正解だけど! えー、泣いてた? 本当に?」
恥ずかしい!
「気にしなくていいよ、あの薬茶飲むと涙もろくなるの知ってるから。それにサンズならやりかねないかなって」
「もっとショック受けてあげて!」
なんかシャンカルがあまりに冷静すぎて、サンズが可哀想になってきた……。
言いつけにきた俺が言えることじゃないが。
とりあえず、シャンカルに教わったことを心に刻もう。
男の家に泊めてもらうときには事前にその気がないことを伝える。
出された飲食物には気を付ける。
ザジ、覚えた。
▽
というわけで。
「サンズが悪い」
「えーっ、なんでだよ!」
翌日、シャンカルに呼び出されたサンズが地面に座らされていた。
正座じゃないだけマシだろうが、想い人に仁王立ちで見下ろされて説教されるのはまぁまぁキツそう。
ざまあみろ。
「ザジさんが世間知らずなのは見たらわかるでしょ」
「……それは、まぁ……」
「サンズはちらっとでも『これならイケる』とか思わなかった?」
「まさか! そんなこと思うわけないだろう!」
「本当?」
「本当だ!」
「……あたしに誓える?」
「…………本当は思いました。ちょっとだけ」
うわー、やっぱそういうことなんだ……!
うまくお持ち帰りされちゃったんだ、俺……!!
「ほら。もー、ほんと男ってどうしようもない生き物なんだから」
「……すみません」
言ったって言ったって! もっとズバズバ言ってやって!
って、「男」はさすがに主語でかくない? それだと俺も入っちゃうんだけど。
「それから、ザジさんも」
「はい?」
「ザジさんにも悪いところはあった」
「あ、はい」
「そんな可愛い顔して、男の家にホイホイ泊まるなんて、普通は考えられないよ。警戒心なさすぎ」
やめて! 俺、可愛くないから! ヒゲがなくて細っこいから海外だと女っぽく見られるだけで……! ていうか、この世界の男って、だいたい筋肉すごいし、ヒゲも濃い……そう思われても仕方ないのかもしれん。
でも日本でそんなこと言われたことないぞ、俺。
「自分の身は自分で守る。そのくらい当然でしょ」
「はい、すみません……」
シャンカルの横でサンズを見下ろしていた俺は、ススっとサンズの横に移動して、チョンと正座した。
ぺこりと頭を下げる。
「今後は気をつけます……」
「期待させるだけさせておいて、やっぱりダメって、相手にも悪いでしょ?」
「はい、すみません……」
シャンカルは昨晩と同じ説教を繰り返した。
多分、俺への念押しってだけじゃなく、サンズに俺という人間の立場を理解させるためだろう。
「そうだぞ。俺はてっきり誘われてるのかと思ったんだからな」
「ワンチャンイケるとか思ったくせに……」
「二人とも反省が足りない」
「「はい」」
やっぱ幹部候補を目指すだけあって、シャンカルしっかりしてんなー。
シャンカルはサンズの痴態を聞いても笑ってたし、サンズもそれをチクられたことに対しては何も思っていない――というか、悪いことをしたとすら思ってないっぽい。
どうやら、婚前交渉が結構なタブーな割に、一部世代では「遊びでする分には問題ない」って感覚らしい。上の世代からは眉を顰められるらしいけど、そういやハヌマーンとか愛人がたくさんいるんだっけ……。
この世界の貞操観念ってちょっと緩くね?
やっぱ、サーリハの衣装、今からでも借りといたほうがいいかな……。
ぐぬぬ、度し難い。