私は、配信レンズの前で目を閉じた。
足元には、瘴気に蝕まれた岩床。
風は淀み、空気は粘つくように重い。
それでも、祈りの言葉が心の奥から湧き上がってくる。
「……我が名は、エリシア=カーヴェル=ローゼンシュタイン。
神の御名において、穢れし地に祈りを捧げます」
浮遊するオラクル・アイが、私の言葉を全視聴者へと届ける。
そう教えられた。
そして、その祈りに共鳴した人々が“信徒”となる。
理解している。
今、私がすべきことは“奇跡”を見せること。
人々が信じたくなるような、“本物”を証明すること。
私は膝をつき、両の手を地に掲げる。
「――主よ、我が祈りに応え給え。
穢れし瘴気を清め、癒しの光を、彼の地へ導き給え」
空気が震える。
視界が白く染まり、心臓の鼓動が静かに重なった。
スキルが、起動する。
《スキル発動:聖浄ノ光環(セラフィック・クレンズ)》
《共鳴祈祷:4人……13人……29人……》
瘴気の地が、ゆっくりと蒼白い光で包まれていく。
まるで春の雪解けのように、闇が、痛みが、苦しみが溶けていく。
――わかる。誰かが救われている。
この祈りは、届いている。
思わず、小さく息を吐いた。
胸が、温かい。
これが“共鳴”なのだと、身体の奥で理解する。
《配信コメント:誰だ、この新人……》
《すげぇ……瘴気が消えてる》
《リアルタイムで癒されたぞ……?》
《なんだこれ……本物か……?》
視界の端に流れるコメントの一部が、レンズの魔力で視覚化される。
“祈りの糸”として、光の粒が空に昇っていく様は……神聖で、美しかった。
私は、唇を噛み締める。
嬉しいのではない。驕りでもない。
――これは、始まりだから。
「これが奇跡だと、信じていただけるなら……どうか、その祈りを他の誰かへ」
私の祈りは、まだ小さい。
だが、その光は、きっと――誰かの明日を守るはず。
私は立ち上がり、次なる瘴気の淀みへと歩き出す。
その背に、数え切れぬ“祈りの糸”が、静かに寄り添っていた。
――――――
神聖庁本庁舎・祈祷管理局第三会議室。
壁には巨大な信徒記録盤、中央には浮遊スクリーンが配置されている。
画面には、エリシア=カーヴェル=ローゼンシュタイン――
先ほどまで配信していた少女の姿が映っていた。
「……まさか、**“録画視聴中の一般市民にまで効果が現れる”**とはな。聞いていたか、君たち」
椅子の背を乱暴に叩きながら、局長格の男が吐き捨てた。
資料端末を持った若い補佐官が、震える声で応じる。
「は、はい。現在確認されている浄化反応は、配信から半日以内に再生されたアーカイブ映像でも発生しております。
推定で……百七十二名、うち十九名は神経性障害の改善が確認されました」
「バカな……!そんな、配信記録で奇跡が届くなど……。これはもはや、祈祷記録法の範囲外だぞ……!」
会議室に重い沈黙が降りる。
信仰は数字で測れる――その前提が、揺らぎ始めていた。
「信徒登録者数は?」
「初配信から二十四時間で、一万二千四百九名……」
「……《公認聖女》級の基準を初回で突破、か。ふざけてるのか?」
中央席にいた、冷ややかな白衣の男が立ち上がる。
祈祷適性試験の主査にして、次期評議員と噂される男――レメオン=カスティル。
その瞳は、静かにエリシアの姿を見据えていた。
「彼女の《聖浄ノ光環》……あれは、単なるスキルではない」
「なら、何だと?」
「――“媒体”だ。世界と祈りを繋ぐ、非常に危うい“鍵”だ」
ざわめきが走る。
その一言は、“聖女候補”という枠を超えた存在である可能性を意味していた。
「このまま無制限に信徒を増やし続ければ、いずれ祈祷バランスは崩壊する。
どこかで制御不能になる。むしろ……すでに“神格化”が始まっていると見たほうがいい」
補佐官が息を呑んだ。
「彼女を……排除しますか?」
「――否。神聖庁は“祈りの象徴”を自ら殺すことはできない。
だからこそ、“管理”する」
レメオンはスクリーンに映る彼女の姿を見つめる。
その祈りの光は、どこまでも澄んでいた。
だからこそ――危うい。
「この祈りが、果たして“奇跡”で終わるか、“災厄”で終わるか。
見極めるのは……我々の義務だ」
こうして、彼女は神聖庁の“特別監視対象”となる。
それは知らぬまま、エリシアは今日も祈る。
ただ救いたいという、その想いだけを胸に――