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第2話 《祈りの光は、誰のために》

 私は、配信レンズの前で目を閉じた。


 足元には、瘴気に蝕まれた岩床。

 風は淀み、空気は粘つくように重い。

 それでも、祈りの言葉が心の奥から湧き上がってくる。




「……我が名は、エリシア=カーヴェル=ローゼンシュタイン。

 神の御名において、穢れし地に祈りを捧げます」




 浮遊するオラクル・アイが、私の言葉を全視聴者へと届ける。

 そう教えられた。

 そして、その祈りに共鳴した人々が“信徒”となる。




 理解している。

 今、私がすべきことは“奇跡”を見せること。

 人々が信じたくなるような、“本物”を証明すること。




 私は膝をつき、両の手を地に掲げる。


「――主よ、我が祈りに応え給え。

 穢れし瘴気を清め、癒しの光を、彼の地へ導き給え」




 空気が震える。

 視界が白く染まり、心臓の鼓動が静かに重なった。


 スキルが、起動する。


《スキル発動:聖浄ノ光環(セラフィック・クレンズ)》

《共鳴祈祷:4人……13人……29人……》




 瘴気の地が、ゆっくりと蒼白い光で包まれていく。

 まるで春の雪解けのように、闇が、痛みが、苦しみが溶けていく。




 ――わかる。誰かが救われている。

 この祈りは、届いている。




 思わず、小さく息を吐いた。

 胸が、温かい。


 これが“共鳴”なのだと、身体の奥で理解する。




 《配信コメント:誰だ、この新人……》

 《すげぇ……瘴気が消えてる》

 《リアルタイムで癒されたぞ……?》

 《なんだこれ……本物か……?》




 視界の端に流れるコメントの一部が、レンズの魔力で視覚化される。

 “祈りの糸”として、光の粒が空に昇っていく様は……神聖で、美しかった。




 私は、唇を噛み締める。

 嬉しいのではない。驕りでもない。




 ――これは、始まりだから。




「これが奇跡だと、信じていただけるなら……どうか、その祈りを他の誰かへ」




 私の祈りは、まだ小さい。

 だが、その光は、きっと――誰かの明日を守るはず。


 私は立ち上がり、次なる瘴気の淀みへと歩き出す。


 その背に、数え切れぬ“祈りの糸”が、静かに寄り添っていた。

――――――

 神聖庁本庁舎・祈祷管理局第三会議室。

 壁には巨大な信徒記録盤、中央には浮遊スクリーンが配置されている。


 画面には、エリシア=カーヴェル=ローゼンシュタイン――

 先ほどまで配信していた少女の姿が映っていた。




「……まさか、**“録画視聴中の一般市民にまで効果が現れる”**とはな。聞いていたか、君たち」




 椅子の背を乱暴に叩きながら、局長格の男が吐き捨てた。

 資料端末を持った若い補佐官が、震える声で応じる。




「は、はい。現在確認されている浄化反応は、配信から半日以内に再生されたアーカイブ映像でも発生しております。

 推定で……百七十二名、うち十九名は神経性障害の改善が確認されました」




「バカな……!そんな、配信記録で奇跡が届くなど……。これはもはや、祈祷記録法の範囲外だぞ……!」




 会議室に重い沈黙が降りる。

 信仰は数字で測れる――その前提が、揺らぎ始めていた。




「信徒登録者数は?」

「初配信から二十四時間で、一万二千四百九名……」

「……《公認聖女》級の基準を初回で突破、か。ふざけてるのか?」




 中央席にいた、冷ややかな白衣の男が立ち上がる。

 祈祷適性試験の主査にして、次期評議員と噂される男――レメオン=カスティル。

 その瞳は、静かにエリシアの姿を見据えていた。




「彼女の《聖浄ノ光環》……あれは、単なるスキルではない」

「なら、何だと?」

「――“媒体”だ。世界と祈りを繋ぐ、非常に危うい“鍵”だ」




 ざわめきが走る。

 その一言は、“聖女候補”という枠を超えた存在である可能性を意味していた。




「このまま無制限に信徒を増やし続ければ、いずれ祈祷バランスは崩壊する。

 どこかで制御不能になる。むしろ……すでに“神格化”が始まっていると見たほうがいい」




 補佐官が息を呑んだ。


「彼女を……排除しますか?」

「――否。神聖庁は“祈りの象徴”を自ら殺すことはできない。

 だからこそ、“管理”する」




 レメオンはスクリーンに映る彼女の姿を見つめる。


 その祈りの光は、どこまでも澄んでいた。

 だからこそ――危うい。




「この祈りが、果たして“奇跡”で終わるか、“災厄”で終わるか。

 見極めるのは……我々の義務だ」




 こうして、彼女は神聖庁の“特別監視対象”となる。


 それは知らぬまま、エリシアは今日も祈る。

 ただ救いたいという、その想いだけを胸に――

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