その少女は、奇跡の“視聴者”だった。
貧民街の裏通りに暮らす少女――リーゼ=フォン・ミレニアは、病弱な弟とともに細々と暮らしていた。
治療を受ける金もなく、信仰など信じる余裕もなかった。
だが、あの日。
エリシアの初回配信に出会い、弟の病が穏やかになった。
「ほんとうに……届いたのよ。あの人の祈りが」
誰も信じてくれなかった。
回復は偶然だ、気のせいだと笑われた。
それでも、リーゼは心から確信していた。
だから――動いた。
翌日、彼女は街角に立った。
手書きの看板と、端末で再生するエリシアの配信記録。
通行人に向けて、ただひたすらに呼びかけた。
「お願い、観てください! この配信を……!
本当に救われる人がいるんです! 私の弟も……っ!」
最初は無視された。
けれど、何人かが興味本位で再生した。
そして、体調が楽になった、気分が晴れた、という声が次々と広がっていく。
《アーカイブ映像からの共鳴祈祷、発生を確認》
《信徒登録:地上端末経由で増加中》
《神聖庁本部への報告が必要です》
それは、静かに。だが確実に、“信仰の波”となって広がっていった。
通行人の中に、軍の下士官がいた。
彼が“疲労の軽減”を実感したことから、噂は兵舎にも届いた。
さらに市井の医師、教師、配信者たちが「これは本物」と拡散を始める。
リーゼの行動はやがて、**街ごとの小さな“信徒集団”**を生み始めた。
彼女自身は布教者を名乗らない。ただ、祈りの受け手として感謝を語るだけだった。
「私は、聖女様に救われたから。
……だから今度は、私が“誰かのために”この祈りを届けたいんです」
神聖庁は即座に動いた。
各地で配信記録の“無許可再上映”が増加し、信徒登録が庁の制御を離れつつあったためだ。
しかも――これが《信仰の自然増殖》である可能性が示唆されたから。
「たかが一視聴者の行動が、ここまで拡大するとは……」
「この少女は……新興派閥の“神輿”になるかもしれません」
「エリシア様本人が意図していない以上、これは……危険です」
神聖庁はリーゼに“布教活動の自粛”と“祈祷登録者の管理”を通告する。
だが――
「……エリシア様が、私に止めろと言うなら止めます。
でも、誰かを救う祈りを届けてはいけないなんて、そんな世界はおかしいです」
彼女は笑顔でそう言い放った。
こうして、“聖女エリシアの祈り”は制度外へと膨れあがっていく。
リーゼという無名の少女の行動が、誰よりも力強く――この世界に祈りを広げていった。
そして、エリシアはまだ知らない。
彼女の祈りが、誰かの手で“神話”へと変わろうとしていることを。
――――
神聖庁直属・聖女候補専用祈祷院――“浄涙の殿”。
そこには、王族出身、貴族家門、名門修道院育ちといった、
血統も経歴も申し分のない精鋭の“聖女候補”たちが暮らしている。
だが、いま――彼女たちの間に、明らかな“波”が立っていた。
「見た? あの新人の配信」
「ええ……信徒登録、十万を超えたらしいわ。たった三回の配信で」
「おかしいわよ。私たちが何年かけて築いたものを、たった数日で――」
沈黙の中、ひときわ冷たい声が割って入った。
「“浄化スキルを配信に乗せて信徒を増やす”という制度そのものを、
根底から壊しているのよ、あの子は」
声の主は、アナスタシア=レヴィンフォード。
代々聖女を輩出してきた名家の令嬢にして、現制度下で最も信徒数の多い候補の一人。
彼女は完璧だった。祈りの所作も、信徒との交流も、すべて計算されていた。
それでも、エリシアには届かなかった。
「“映像を見るだけで癒される”なんて反則よ。祈祷の努力も、修練も、積み重ねも……全部、意味がなくなる」
候補者たちの間に、次第に広がっていく“特別視”と“敵視”。
制度に忠実であろうとする者ほど、
エリシアの存在は「異端」に見えた。
「それに、あの子……貴族出身と言っても、中央の公認家系じゃないでしょう?」
「神聖庁の外から信徒が勝手に増えてるなんて、もう“聖女の私物化”よ」
「民衆が神を作る……そんな時代が来ると思ってるの?」
候補者の一人が立ち上がり、怒りを込めて机を叩く。
「私はね、七年かけて地方巡礼したのよ。命懸けで瘴気を祓ってきた。
なのに、家で端末を見てるだけの子が“救われた”って笑って……。それで信徒数が負けて、祈祷の優先権を奪われるの? こんな制度、狂ってるわ」
やがて、その不満は、**神聖庁内に届く正式な「意見書」**として提出される。
《エリシア=ローゼンシュタインのスキルは、祈祷制度の信頼を損なう》
《評価基準を“伝達可能範囲の物理制約内”に限定すべき》
《信徒の“自然増殖”による評価上昇は不当》
結果――
神聖庁は《祈祷制度再調整会議》を招集。
エリシアのスキルが「制度に適合するか」を検討する審問が開かれることになる。
本人にその通知が届いたのは、ちょうど次の配信準備をしていた夕暮れ時だった。
彼女は封筒を手にしながら、小さく首を傾げる。
「……制度に、合わない……?
私はただ……祈っているだけなのに」
その手のひらには、今もやさしく光る《聖浄ノ光環》。
届いた奇跡は、本物のはずなのに。