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第4話 《反論ではなく、祈りを》

 白い大理石の床。

 神聖庁本庁の第七審問室には、静かな圧力が満ちていた。


 議席には高位聖職者、制度設計官、上級候補者数名。

 そして、注目の中心に立つ少女――エリシア=カーヴェル=ローゼンシュタイン。




 「本日、第742号祈祷制度特例適用審問を開始する」




 審問官の声が響くと、空中に魔術式の記録が浮かぶ。

 過去の配信記録、信徒登録者数の推移、共鳴祈祷による奇跡発生の報告……

 いずれも、異常な数値を示していた。




 「エリシア候補。あなたのスキル《聖浄ノ光環》は、

 本来“祈祷媒体を通して現地に届けられるべき癒し”を、配信映像という経路で広域展開させています」




 「しかも、本人の意志に関係なく共鳴が発生しており、

 視聴者の精神状態や信仰心によって効果が変動することが確認されています。

 これは制度における“制御可能性”の原則に反します」




 事実上の糾弾だった。


 議席のひとりが声を荒げる。




 「このままでは、制度が“感情と偶然”に支配される!

 彼女は奇跡を発動しながら、それがどこに届くかすら把握していないんだぞ!」




 会場の空気が緊張を帯びていく。




 エリシアは、静かに立ったまま……何も言わなかった。

 責められても、俯かず、ただ祈りの姿勢を崩さない。


 審問官がやや苛立った声で促す。




 「エリシア候補、反論はありますか?

 あなた自身が、意図して“制度を壊そう”としていないのならば――」




 そこで、彼女は一歩、壇上に進んだ。


 ――そして、ゆっくりと目を閉じ、胸に手を当てる。




「……私の祈りは、言葉で測れません」




 静かだった。けれど確かに、全員の耳に届いた。




「私がしたいのは、制度を揺るがすことではなく……

 目の前にいる誰かを、ひとりでも多く“救う”ことです。

 ただそれだけです」




 それだけ言うと、彼女は両手を合わせ、天を仰いだ。


《スキル発動:聖浄ノ光環(セラフィック・クレンズ)》

《発動場所:庁内・第七審問室/限定展開》




 ――光が、降りた。


 重苦しい空気が、やわらかくほどけるように温まっていく。

 誰かが小さく息を吐き、ひとり、またひとりと目を潤ませる。




 その場にいた者たちは、理解してしまったのだ。

 言葉よりも強い“祈りの事実”を。




 エリシアはただ、光の中で静かに目を閉じていた。




「……私に、反論はありません。

 私の祈りが、届いていないと思われるのなら……その判断を、貴方たちに委ねます」




 誰も、何も言えなかった。




 記録官が震える手で審問結果の判子を押す。

 《継続審査扱い・審問保留》――つまり、“咎なし”だ。




 退室の許可が下りたとき、ひとりの審問官がポツリと呟いた。




 「……どうやって否定する?

 あれだけ“本物の祈り”を見せつけられて」




 エリシアは何も聞いていなかった。

 ただ、扉の先にいる“まだ見ぬ誰か”のために、今日も祈りを捧げ続けるだけだ。


 ──その少女は、見覚えがあった。


 小柄で、日に焼けた肌に少し擦り切れた服。

 けれどその瞳は、曇りひとつないまっすぐな光を宿していた。




「……あなたが、エリシア様ですか?」




 その日、エリシアは神聖庁の祈祷院を出て、視察名目で“配信区域外”の街を訪れていた。

 信徒の自然発生を懸念した庁の意向だったが、彼女自身はただ静かに歩いていた。




 だが、少女――リーゼはそんなエリシアに気づき、駆け寄ってきたのだった。




 「わたし……エリシア様に……祈られて、生きています。

 初めての配信、弟と一緒に見てたんです。あの日から、弟の咳が止まって……笑えるようになったんです」




 エリシアは、しばらく言葉を失っていた。




 「……弟さんが、元気に……?」




 リーゼは力強く頷く。

 その目に、涙がにじんでいた。




 「本当に、ありがとうございました。

 誰にも信じてもらえなかったけど、わたしは信じてます。

 あの光が、あなたの祈りが……私たちを救ってくれたって」




 その言葉は、

 初めて“数値”ではなく、“実感”として彼女の心に届いた。




 「……そう……だったんですね……」




 エリシアはそっと膝を折り、リーゼと視線を合わせた。

 その顔に、静かな微笑が浮かぶ。




 「祈りは、届いたのですね。本当に……よかった」




 その時だった。


 リーゼの懐から、小さな端末が落ちた。

 画面には、エリシアの配信記録が静止画で映し出されていた。




 「これ……ずっと持ち歩いてるんです。怖くなったとき、見ると落ち着くから。

 わたしだけじゃない、街の人たちも……たくさん、信じてるんです」




 エリシアは、ふっと視線を落とし、その端末を両手で包んだ。


 そこには、彼女自身が記憶していなかったような、自分の姿が映っていた。


 祈るように、誰かを見つめる瞳。

 救いたいと願う手。

 そして、微笑みながら前へ進む足――




 「……こんなふうに、私を見てくれていたのですね」




 リーゼが、ぽつりと呟く。




 「でも……わたし、何もお返しできなくて」

 「いいえ」

 「え……?」




 エリシアは、優しく微笑んだ。




 「貴女がこうして“信じてくれた”こと、それが私にとっての“救い”です。

 私の祈りが届いたと知れた今……私は、もっと強くなれます」




 少女の頬に、涙が伝った。

 それは、恐れや悲しみの涙ではなかった。




 「……はいっ……!」




 祈りが、届いた。


 たったひとつの、確かな証として。


 それは、制度でも記録でもない――“想いの証明”だった。




 この出会いは、エリシアの祈りに「個の顔と名前」を刻んだ。

 そして、彼女の中に新しい想いが芽生える。


 祈りは、世界のために捧げるもの――

 でも、“誰かのため”にも祈っていいのだと。



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