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第5話 《祈りは、制度の飾り物か》

 ──神聖庁・評議院本会議。


 高天井に祈祷文が刻まれた荘厳な空間に、白と金を纏う評議員たちが集っていた。

 中央の浮遊映像には、今や民衆の間で「聖女様」と呼ばれつつある少女の姿――




 エリシア=カーヴェル=ローゼンシュタイン。




 その名は、民衆の口に上がるたびに“奇跡”と並び語られ、

 街には彼女の祈る姿を模した“祈祷像”すら建てられ始めていた。




 「……状況はすでに、制度の外にある」


 厳格な表情の評議員長が言う。


 「このまま放置すれば、“個人の信仰”が“制度の中心”に変わる。

 それは秩序の崩壊を意味する。ならば……こちらが先に手を打つべきだ」




 誰かが問う。


 「彼女を“象徴”に?」

 「そうだ。“聖女の偶像”として制度の中に組み込む。

 彼女を“崇拝の対象”として認定し、祈祷モデルとして体系化するのだ」




 そのための計画が、淡々と語られていく。


各地に「エリシア像」を設置し、巡礼地として登録


彼女の祈祷姿を記録した“公式祈祷教材”を制作


市民向け啓蒙行事エリシア礼拝祭の創設


公式称号:「天より降りし癒しの聖女(セレスティアル・サンクトゥス)」




 それは、完全な**制度による“信仰の管理”**だった。


 そのころ、当の本人であるエリシアは、静かな回廊で一人、祈りを捧げていた。

 リーゼとの出会いから数日。彼女はようやく、「祈りが届く実感」と向き合い始めていた。




 その背後に、淡い足音。

 神聖庁評議院より派遣された“祈祷管理官”――レメオン=カスティルが姿を現す。




 「……あなたに会うたび、疑問が増える」




 エリシアは振り返らず、静かに答える。




 「私は……誰かを救えるのなら、それでいいんです」

 「その考えが、秩序を揺るがす」




 レメオンはため息混じりに一枚の通達書を差し出した。




《聖女制度特別枠・象徴化候補選定通知》

申請者:神聖庁上層評議院

内容:対象者エリシア=ローゼンシュタインを“公式象徴聖女”として認定。

本人の意思によらず制度の象徴とし、名義使用を含む信仰展開を許可。




 エリシアの手が、ほんの少しだけ震えた。




 「……これは、私の祈りではありません」

 「だが、制度としては“あなたの奇跡”を利用せざるを得ない。

 今や民衆は、あなたの配信に救いを求めている。制度を越えて」




 レメオンの目が、一瞬だけ悲しげに揺れた。




 「もし制度があなたを“象徴”に据えねば、民は制度ではなくあなたそのものを神と見なすようになる。

 それは……いずれ、“あなたを殺す”ことになる」




 エリシアは静かに、通達書を胸元に押し当てた。




 「それでも、私は……ただ、祈ります」




 言葉ではなく、意思だった。

 制度に取り込まれてもなお、自分の祈りを見失わぬように。




 この瞬間、神聖庁は“祈りの中心”を完全に失った。


 なぜなら、彼女の祈りはもはや制度を必要としていなかったからだ。


 その日は、聖都中央にて行われた《祈祷祭準備会議》。

 神聖庁が主導し、エリシアを“象徴聖女”として正式に祭り上げる一大行事の打ち合わせが行われていた。




 しかし、その数刻後――

 聖都の広場で、不穏な“集会”が発生した。




 「神聖庁の言う聖女は、偽物だ!」

 「我らの救いは、“制度”ではない! 真実の祈りは、自由の中にこそある!」




 群衆の中心にいたのは、かつてリーゼと同じくエリシアの配信に救われた人々。

 だが彼らは、制度が“エリシアを偶像化”した時点で信頼を失っていた。




 「制度に従った瞬間、彼女の祈りは《庁のもの》になる。

 それは“祈り”ではない。民の声など、届かなくなる!」




 こうして、彼らは**“純祈会(ピュアリア)”**と名乗る新たな信仰団体を結成した。

 スローガンはただ一つ:


「制度から離れた祈りこそ、真の奇跡を呼ぶ」




 初期構成員はわずか数十名だった。

 だが、SNS端末上で活動が拡散されるにつれ、その信者数は加速度的に増加する。




 ・「祈祷登録制度は信仰の搾取」

 ・「ランキング式の信徒数制度は本来の祈りを汚している」

 ・「信仰に序列などない。“想い”は誰のものにも奪えない」




 特に若年層や地方都市の視聴者層を中心に、エリシアを“本来の姿のまま信じたい”という想いが膨れ上がっていた。




 そして事態を決定的に動かしたのは、リーゼの発言だった。




 取材記者の質問に対し、彼女はこう言った。




 「私は……“制度に従った聖女様”も、“制度から離れた聖女様”も、どちらも嘘じゃないと思ってます。

 でも……もし、エリシア様が“誰かに決められた姿”でしか祈れなくなるなら――

 それは、エリシア様じゃないと私は思います」




 その映像が拡散された瞬間、純祈会の支持者が一万人を突破した。


 人々は問い始めた。




 「制度とは、祈りを守るためにあるのか?

 それとも、縛るためにあるのか?」




 神聖庁はこの事態に深刻な懸念を抱き、緊急会議を招集。




 「このままでは“制度の正当性”が崩れる」

 「彼女をもっと強く、制度に縛りつける必要がある」

 「いっそ、外部配信を一時停止させるべきでは――」




 その声が上がった時だった。


 審議室に、たった一つの通知が届いた。




《エリシア=ローゼンシュタイン、自主的に外部配信の“今夜分”を中止。

理由:自身の祈りが、誰かを“争わせている”可能性に気づいたため》




 誰もが沈黙した。


 制度と制度外。正統と異端。祈りと偶像――


 その狭間で、彼女はたった一人、答えを探していた。

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