──最初の異変は、街角の小さな祈祷庵だった。
制度登録済の地方候補生が営む《共鳴祈祷庵》が、
“祈りが偽物だ”“制度の祈祷は魂に届かない”という貼り紙と共に荒らされていた。
施設の中では、祈祷具が破壊され、供物は踏みにじられ、
壁には血のような赤文字でこう書かれていた:
「祈りを管理するな。彼女(エリシア)は制度に囚われていない」
「我らが真なる信徒、純祈会」
神聖庁が動いたのは、それから2件目の祈祷庵が襲撃された後だった。
犯人たちは「信仰を取り戻すための行動」と称し、制度を象徴する祈祷者や巡礼施設を次々と襲い始めた。
「これは……祈りの名を使った“暴力”です」
広報部門の聖職者が唇を震わせて告げた。
エリシアの祈りが拡散された“結果”として、過激な信者たちが
「制度に従う者は偽物」だと断じ、破壊活動に出ていたのだった。
やがて、“それ”はエリシア自身の耳にも届く。
神聖庁からの通達。
《純祈会過激派による暴行事件・負傷者多数/聖女候補数名が祈祷停止中》
彼女は、ひとつの祈りが原因で、
他の誰かが傷つけられたことを、はじめて知る。
自室の祈祷壇に座る彼女の指先が、わずかに震えていた。
「……わたしの、祈りが……」
「正しいと思ってくれた人たちが、
間違った形で、それを……」
胸の奥に、ずっと在ったものが、はじめて揺らいだ。
“救いたい”という願いが、“裁きたい”という衝動にすり替えられることがある。
自分の名が、誰かの“正義”に使われることがある。
そこへ、神聖庁の祈祷管理官・レメオンが再び現れる。
「君の“祈り”は、美しい。けれど、強すぎた。
人はそれを、従うべき教義として崇め始めた」
エリシアは問い返す。
「私の祈りは……間違っていたのですか?」
レメオンは首を横に振る。
「間違ってなどいない。だが、“祈りは使われる”。
民に届くということは、誰かがそれを誤って受け取ることもあるということだ」
その言葉が、彼女の胸に鋭く刺さる。
「君は、もう“ただ祈るだけの存在”ではいられない。
その祈りが社会に波を起こし、人々を動かすのだから。
それを背負う覚悟が、今の君にあるか?」
――沈黙。
けれどその沈黙の先で、エリシアはゆっくりと顔を上げた。
「……それでも、私は祈ります。
でも今度は、“届く先”を、見つめながら祈ります」
そう決意した少女の祈りは、
もう“孤独な希望”ではなかった。
それは、責任ある光となって、再び世界へ向かい始めた。
秋の風が静かに街路樹を揺らしていた。
神聖庁の祈祷院を離れてから数週間。エリシアは再び、小さな街へ足を運んでいた。
「エリシア様……!」
ふいに背後から声がかかる。振り向くと、リーゼがそこにいた。
「あの時から、私はずっと考えていました」
「祈りは確かに私たちを救ってくれた。だけど……」
リーゼは目を伏せる。
「でも、純祈会の人たちのことを聞いてから、怖くなったんです。
私の信じていたものが、こんなにも人を分けてしまうなんて」
エリシアはリーゼの肩にそっと手を置いた。
「信仰は光だけじゃない。影もある。祈りの強さが、時に誤解を生み、争いを生む」
リーゼは小さく頷く。
「でも、だからこそ私たちは祈り続けるしかないのかな、って思うんです」
「影も受け入れて、それでも光を信じて」
エリシアは静かに息を吐き、視線を空へ向ける。
「祈りは万能じゃない。けれど、私たちの心を繋ぐもの」
「そして、祈りの影を見つめることも、祈りの一部なのかもしれませんね」
二人はしばらく言葉なく歩いた。
街の灯りがぽつぽつと灯り始めている。
「これからも、私は祈りを続けます。だけど、もっと慎重に」
「そして、あなたのような人の声にも耳を傾けたい」
リーゼは穏やかな笑みを返す。
「私も……エリシア様の祈りが、誰かを傷つけることなく届くよう祈ります」
静かな誓いが、二人の間に交わされた。