目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第6話 《その祈りが、誰かを傷つけた》

 ──最初の異変は、街角の小さな祈祷庵だった。




 制度登録済の地方候補生が営む《共鳴祈祷庵》が、

 “祈りが偽物だ”“制度の祈祷は魂に届かない”という貼り紙と共に荒らされていた。


 施設の中では、祈祷具が破壊され、供物は踏みにじられ、

 壁には血のような赤文字でこう書かれていた:




「祈りを管理するな。彼女(エリシア)は制度に囚われていない」

「我らが真なる信徒、純祈会」




 神聖庁が動いたのは、それから2件目の祈祷庵が襲撃された後だった。


 犯人たちは「信仰を取り戻すための行動」と称し、制度を象徴する祈祷者や巡礼施設を次々と襲い始めた。




 「これは……祈りの名を使った“暴力”です」


 広報部門の聖職者が唇を震わせて告げた。


 エリシアの祈りが拡散された“結果”として、過激な信者たちが

 「制度に従う者は偽物」だと断じ、破壊活動に出ていたのだった。




 やがて、“それ”はエリシア自身の耳にも届く。




 神聖庁からの通達。

 《純祈会過激派による暴行事件・負傷者多数/聖女候補数名が祈祷停止中》




 彼女は、ひとつの祈りが原因で、

 他の誰かが傷つけられたことを、はじめて知る。




 自室の祈祷壇に座る彼女の指先が、わずかに震えていた。




 「……わたしの、祈りが……」




 「正しいと思ってくれた人たちが、

 間違った形で、それを……」




 胸の奥に、ずっと在ったものが、はじめて揺らいだ。


 “救いたい”という願いが、“裁きたい”という衝動にすり替えられることがある。

 自分の名が、誰かの“正義”に使われることがある。




 そこへ、神聖庁の祈祷管理官・レメオンが再び現れる。




 「君の“祈り”は、美しい。けれど、強すぎた。

 人はそれを、従うべき教義として崇め始めた」




 エリシアは問い返す。




 「私の祈りは……間違っていたのですか?」




 レメオンは首を横に振る。




 「間違ってなどいない。だが、“祈りは使われる”。

 民に届くということは、誰かがそれを誤って受け取ることもあるということだ」




 その言葉が、彼女の胸に鋭く刺さる。




 「君は、もう“ただ祈るだけの存在”ではいられない。

 その祈りが社会に波を起こし、人々を動かすのだから。

 それを背負う覚悟が、今の君にあるか?」




 ――沈黙。




 けれどその沈黙の先で、エリシアはゆっくりと顔を上げた。




 「……それでも、私は祈ります。

 でも今度は、“届く先”を、見つめながら祈ります」




 そう決意した少女の祈りは、

 もう“孤独な希望”ではなかった。


 それは、責任ある光となって、再び世界へ向かい始めた。


 秋の風が静かに街路樹を揺らしていた。

 神聖庁の祈祷院を離れてから数週間。エリシアは再び、小さな街へ足を運んでいた。




 「エリシア様……!」




 ふいに背後から声がかかる。振り向くと、リーゼがそこにいた。




 「あの時から、私はずっと考えていました」

 「祈りは確かに私たちを救ってくれた。だけど……」




 リーゼは目を伏せる。




 「でも、純祈会の人たちのことを聞いてから、怖くなったんです。

 私の信じていたものが、こんなにも人を分けてしまうなんて」




 エリシアはリーゼの肩にそっと手を置いた。




 「信仰は光だけじゃない。影もある。祈りの強さが、時に誤解を生み、争いを生む」




 リーゼは小さく頷く。




 「でも、だからこそ私たちは祈り続けるしかないのかな、って思うんです」

 「影も受け入れて、それでも光を信じて」




 エリシアは静かに息を吐き、視線を空へ向ける。




 「祈りは万能じゃない。けれど、私たちの心を繋ぐもの」

 「そして、祈りの影を見つめることも、祈りの一部なのかもしれませんね」




 二人はしばらく言葉なく歩いた。

 街の灯りがぽつぽつと灯り始めている。




 「これからも、私は祈りを続けます。だけど、もっと慎重に」

 「そして、あなたのような人の声にも耳を傾けたい」




 リーゼは穏やかな笑みを返す。




 「私も……エリシア様の祈りが、誰かを傷つけることなく届くよう祈ります」




 静かな誓いが、二人の間に交わされた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?