目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
ルナリア大陸年代記 狼の章〜鉄火の野望穿つ灰狼の牙 〜
ルナリア大陸年代記 狼の章〜鉄火の野望穿つ灰狼の牙 〜
志水円
異世界ファンタジー戦記
2025年06月20日
公開日
2.9万字
連載中
大陸歴669年。 未だ夏の残滓を引きずる大陸南方――スクトゥム王国に、北方の大国〈鉄の帝国〉が宣戦を布告した。 国境線で続いていた一進一退の攻防は、帝国の智将ヴィルヘルムが山岳地帯を踏破し、戦線後方の要衝を攻略したことで激変する。 王都防衛のため撤退する王国軍を尻目に、王国軍山岳旅団付き「補給」中隊――通称〈ヤマイヌ山賊団〉は、逆に北を目指して進路を取る。 わずかな手勢を率いながら帝国領へ突き進む、山賊団の指揮官―― 一介の補給参謀にすぎない男・アルベルトは、不敵に笑う。 「た、隊長、ど、どうするんですかぁ……?」 「戦の基本中の基本をやるのさ。奴らがやられて嫌なことは、俺たちにはぜーんぶお見通しだろ?」 「ちげぇねぇ!」 「さすがは隊長、性根がひん曲がってやがる!」 「行くぞ野郎共! 帝国の連中に、一泡吹かせてやる!」 飢えた狼たちの、小さく細い牙が―― 電撃戦でやせ細った帝国の兵站へと、深く食い込もうとしていた──。

序章~反攻の烽火~

潜入・咆哮

妙に霧が深い夜だった。


 山の秋の訪れは早い、吐いた息は白く、火薬の匂いと山の冷気が混ざって鼻をつく。


「ふ、くあぁ……」


 少年の面影を残す青年兵が、分隊長に見つかったら拳骨の雨を食らうあくびをなんとか噛み殺し、背伸びをして眠気を誤魔化す。

 支給された銃剣付き小銃を肩に預け、物見やぐらに身体をもたれかける。


 夜の物見なんていらないだろ……


 この“ドワーフの火薬工房”は、帝国でも一握りしか知らぬ機密施設だ。北部の火山で採れた硫黄を使い、前線へ火薬を送り続けている――


 だからこそ、外に出ることも許されず、娯楽といえば狩猟くらいのものだった。

 猟師の息子である彼はそういう意味では部隊のエースであった。

 だが、前線で活躍し得られる栄光も手柄に比べてそれはあまりにささやかだった。


「はぁ……。ヴィルヘルム将軍の元で戦働きしたかったなぁ……」


 それは、つい独り言が口を突いたのか、あるいは密かな本音が洩れたのか。


 名将ヴィルヘルム。

 一介の戦災孤児から、帝国随一の知将と称されるに至った男。

 彼の指揮する電撃戦部隊に配属されれば、手柄はすぐ目の前だ。


 先だってここに集結した帝国軍山岳猟兵の精鋭達を自ら率い、秋が訪れようとする中央山脈を踏破し敵の後背を突く、前代未聞の作戦…

 あれに参加できていれば名誉章だって夢じゃない。故郷へ凱旋すれば──


「親方だって結婚の許可をくれるはずだ…」


 脳裏をよぎったのは、故郷のあの娘。


 屋根の修理を手伝ってくれた時、恥ずかしそうに笑った横顔が、未だに焼きついて離れない。

 似ても似つかない、工房で働いてるドワーフと並んだって区別がつかない彼女の親父さんを説得できるかも


 意中の娘との結婚、そして――


「……いや、いかんいかん」


 思わず、血の気が下腹に集まっていくのを感じて青年は頭をふる。


 女っ気といえばドワーフの女将さんばかりで、後は今日訪れた慰安隊――稀に上層部が手配する商売女たち――くらいなものだ。

 しかし故郷の娘に操を立てる彼は彼女らの誘惑を常に振り切っていた。


「はぁ……手柄立てたかったなぁ」


 いっそ、あの慰問隊に曲者でも忍び込んでいて?ここの秘密を探ろうとはしていないか?

 そんな妄想が脳裏をよぎる、しかし現実は野生動物が食料庫を漁りに来るくらいだ。

 猿や猪を追い払って昇進できるなら、軍隊は天国だろう。

 去年の冬、穴持たずの灰色熊が襲ってきた時はさすがに肝を冷やしたが――


「ん?」


 おかしい。


 猟師の感が異常を訴える。フクロウの鳴き声が、渓谷を流れる水の音が――


「……ぐっ」


 次の瞬間、彼の首に真っ黒な革紐が巻き付き、間髪入れずに締め上げる。


 曲者!もがくよりも先に―訓練によって染み付いた行動―異常を知らせる銅鑼に銃床を打ち付ける。

 しかし――


 「(鳴らない!な、ん……で……)」


 滑り落ちるように意識が暗闇へと沈んでいく。

 死への恐怖と郷里のあの娘の笑顔を思い浮かべながら――




  ◇ ◇ ◇



 脳への血流を遮断され、崩れ落ちた帝国兵を見下ろしながら、音なき侵入者は顔を覆う布をずらした。

 フードの隙間から月光を受け、艶やかな銀髪がほのかに輝く。尖った耳、琥珀色の瞳は、夜闇のなかでも翳りなく光をたたえていた。


 第三小隊隊長、ダークエルフの【ライラ】──“沈黙の刃”と恐れられたダークエルフの暗殺者団、その中でも手練れの一人。


 指先に巻いた革紐が、少年の喉から静かに解かれていく。


(……手こずった)


 内心で苦く息を吐く。故郷に想い人でもいるのだろうか。惚気を漏らす歩哨の警戒心をすり抜けるのに、予想以上に骨が折れた。


(沈黙の刃がナマクラになったものだ)


 かつての自分なら、あくびを漏らしかけた時点で青年の命を刈り取っていただろう。

 そう──殺すのならばすぐに制圧できる。だが、指揮官は言ったのだ。「そこまでしなくて良い」と。


 この作戦では極力殺しは避けろ──甘っちょろい命令。

 あの男、王都を追われた兵站参謀、アルベルト・クラウゼの。


 己の過去を知ったうえで、それでも変わろうとする者を手駒として使うのか。

 それとも──本当に信じているのか。自分たちの「変化」を。


 忸怩たる思いを奥底に沈め、ライラはそっと右手を掲げる。


 張り詰めていた空気が、ふわりと弛緩した。

 風の精霊シルフが音の伝達を遮断する“沈黙の結界”が解かれたのだ。

 エルフ、あるいはその血に連なる者が行使する、精霊魔法。

 解放した風の精霊に別の命令を与える。


「……排除完了。三分遅れだすまない」


 ささやくような小さな呟き。

 峡谷の向こう、工房全体を見渡す崖を見据えれば、風の精霊がそこへと“言葉”を乗せて運ぶ。


 空気を這う声が、数百mの距離を超えて状況を報告する。




 ◇ ◇ ◇




『了解した。想定の範囲内だ』


 風越しの声が返ってくる。

 妙に人を苛立たせる声音。しかし、なぜか頼もしさを感じさせる低音──


 中隊長、アルベルト・クラウゼ。あるいはアルバート・クラウズ。


 帝国の兵站の要を突くため、敵地深くへ潜入した王国軍山岳旅団「灰狼旅団」所属の補給中隊、通称「ヤマイヌ山賊団」の指揮官である。


『遅れは気にするな、こっちにちゃ便利な“糸伝話”がある。状況は全部把握ず――』


 軽口めかしたその一言に、すぐさま「誰が“糸伝話”ですかーっ!」という怒声が重なる。

 アルの副官、エルフの血を引く幼げな術士少女・エリィの可愛らしい癇癪が爆発した。


 無慈悲な元暗殺者の頬が、わずかに緩む。


『隊長はそこでふんぞり返ってだけかもしれませんけど!私はずーっと魔法つかってるんですよー!』


 こちらは随時、伝言を風に乗せるだけだが──受け手のエリィは、風の精霊との接続を保ち続けなければならない。

 それを“糸伝話”呼ばわりされては、怒るのも無理はない。


「だってお前、それしか使えないだろう」


 アルの返しに、エリィが息を飲む気配が伝わってくる。

 このやり取りも──もう、何度目だったろうか。



「沈黙の結界を再展開する。緊急時以外は連絡しないでくれ……爆破部隊と無事合流したら連絡を入れる」


 返答は、なかった。

 ライラは、風の糸をそっと断った。


「動くぞ」


 短距離の伝言を飛ばすと、木陰から待機していた小隊員たちが続々と姿を現した。

 背にはロープの束やズタ袋、そして小さな荷車。

 おおよそ正規の軍隊には見えない、山賊めいた部下たち。

 錠前破りの得意な部下――どこで身につけたのやら――はあっさりと倉庫の鍵を開ける。

 中には火気厳禁!の張り紙と大量の黒い粉――


 帝国の火薬工房から、可能な限りの黒色火薬を奪取する──それが第三小隊の任務だった。


「火薬の搬出班は、優先ルート通って合流地点へ。警戒は二班体制。……三分遅れだ取り戻すぞ」


 部下たちが動き出すのを見届け、ライラは再び一人、風へと意識を向けた。


 集中。

 空気に指先を重ね、音を削ぎ、気配を消す。

 風の精霊が螺旋を描くように、周囲へと“静寂”を拡げていく。


 完全に音を消すには精霊の力が散りすぎる。だが今夜は「慰問隊」のどんちゃん騒ぎと、その後の“お楽しみ”のせいで、工房の兵たちはほとんどベッドの中。

 足許で眠っている坊やのような貧乏くじを引いたごく少数を除いて(皆ライラが気絶させたのだが)


 その慰問隊は、本来の本文予定表には無かった。


 それを見ないフリをし、鼻の下を伸ばして“サービス”を享受してしまった男達は知るよしもない。

 慰問隊を差し向けたのがアルであることなど――


(まさかあの女の経歴が役に立つ日が来るとはな……)


 あっという間に偽の慰問部隊を用意してきた(いまいちソリの合わない)元女間諜の笑顔が浮かぶ。


(男には下手な暗殺者より、ああいうのが効くな……)


 雑念を振り払い、風の精霊達を呼び寄せ、使役する。


 夜の底に、音が、深く、深く沈んでいった。




  ◇ ◇ ◇




 エッホ、エッホ、エッホ──


 闇夜の峡谷に、どこか楽しげな掛け声が響く。


 肩に火薬樽を担ぎ、荷車を押し、山賊まがいの男たちが大峡谷にかかる鉄道橋のたもとへと続々と集結してくる。


 統一感のないくたびれた革鎧に粗雑な布巻き。だがその動きに乱れはない。まるで働きアリの群れのようだった。


「そこだ、バランスに気をつけろ。おい、こっちは過重だ、減らせって言ってるだろうが!」


 怒声とともに指示を飛ばすのは、一人の老ドワーフ。


 何の因果か山賊中隊に身を寄せる元帝国の工兵。

 彼の技術なくして、この爆破作戦は成り立たなかっただろう。


 そして現場全体を“指揮”──いや、“支配”しているのは、別のダークエルフだった。

 武器すら帯びず、露出した褐色の肌には精霊契約の文様が幾重にも刻まれている。

 精霊魔法使い特有の厳格さを纏いながらも、鋭い眼光と銀のピアスが目を引く、姐御肌の女傑。


「姉御、見てくだせぇ! 帝国製の最新鋭大砲ですぜ! こいつも持ってっちまいましょうや!」


 それに物怖じもせず陽気に声をかける若者──これでも第二小隊の小隊長だ。


「持ってけるか、バカたれ! こんなもん引きずって逃げられるなら、帝国様も苦労しねぇよ!」


 無論、そんな代物が前線に届いては困る。

 大砲は次々と谷底へと投げ捨てられていく。


「じゃ、じゃあ鉄砲は? 鉄砲くらいは……!」

「鉄砲ぐらいなら手土産にしな。弾と火薬がなきゃ、ただの鉄の棒だからね! 忘れんじゃないよ!」

「さすが姉御、話がわかる!」

「褒めても何も出ないよ!」


 笑い声が上がるが、女の集中は微塵も揺るがない。

 峡谷を取り巻く空気は、まるで湖の底のように重苦しかった。


 彼女──ヴァネッサは、風の準上級精霊、 風竜ワイバーンを召喚し、現場に“静寂”の結界を展開している。


 羽ばたくごとに広がる風は、峡谷全体を包み込み、外界への“音”を完璧に遮断していた。

 この現場はまさに、“無音”の領域と化していた。




 なんとはなしに自分が絞め落とした兵隊に毛布かけてやってから、工房を後にしたライラは最後の火薬搬送班とともに現場に到着する。


(……見事ね)


 ただ音を消すだけではない。

 内部では通常通りに声が届き、指示が飛び交っている。

 繊細かつ精密な静寂結界──ライラには到底真似できぬ精霊魔法の高みだった。


(さすが、ヴァネッサ姐さん、伊達に何百年も生きてないわ)


 小さく漏らした感嘆の吐息が届いたのか、ダークエルフの女指揮官──ヴァネッサは顔だけを向け、ニヤリと笑った。


「ライラ!感心してるヒマがあったら、手ェかしな! 橋の向こうまで声飛ばすの、手間なんだから!」


 雷鳴のような一喝。


 ライラは彼女の年の功について思いを馳せていたことは元暗殺者の鉄面皮で覆い隠すと妙にハキハキと返事をして応じる。


「なんだい、今日はやけにわかりがいいじゃないか……」


 うろんな視線を向けるヴァネッサに背を向け、風の精霊を召喚し、即座に配置へ。

 彼女の小隊が加わったことで作業は加速し、予定より五分早く、設置が完了した。


「姉御、全ライン設置完了しました!」

「橋の頑丈さの計算がちと怪しいから、気前よく盛ってやったぞ。問題なく吹っ飛ぶはずじゃ!ほれさっさと逃げるぞ、死にたくなければな!」

「じょ、冗談だろ、じいさん!」

「ドワーフは冗談は言わん!」


 とんでもないことを言うドワーフに山賊たちは飛び上がる


「よし……じゃあ、やるかい」


 ヴァネッサは顔を上げ、風へと語りかける。


「爆破準備、完了」




 ◇ ◇ ◇




 各隊・各班からの報告が、糸伝話を通じてアルのもとへと続々と届いていた。


『こちら慰問部隊、全員避難準備完了よ』


『ヒャァ……お頭ぁ、まだか? もう我慢の限界だぜぇ』


『峡谷反対側の設置班、撤収完了。これより隊長の護衛に向かいます』


「襲撃班、もう少しだけ待て。──よし爆破だ、やれ」




 ◇ ◇ ◇




「解除──!」


 ヴァネッサの指が鋭く空を切る。

 その瞬間、風竜の結界が解け、峡谷に音が戻った。そのわずかな隙を狙って──

 彼女の両手が紅蓮の炎を掴み上げる。


 火の精霊──準高位精霊火竜ドレイクが召喚される。


 森の民たるエルフが忌み嫌い、地下の民たるダークエルフでさえ畏れる、“異端”の力。


「これだけの橋、作るのは大変だったろうねぇ……だけどおさらばだよ!」


 火竜の口から放たれた火箭が、火薬へとを駆け抜ける。


 ――ドン、と大気が唸り、次の瞬間、爆音が峡谷を吹き抜けた。


 破裂音、爆炎、岩盤の崩落。


 黒煙が鉄道橋を呑み込み、炎が夜空を裂いて踊る。


 ギギギギ──


 鉄骨が断末魔のような悲鳴を上げながら、谷底へと沈んでいった。




 大帝国の補給路を断つべく、牙を研ぎ続けた野良犬たち。


 その最初の一噛みが、ついに放たれた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?