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挑発・宣戦布告

「何事だぁ!」


寝間着を引っ掛けたまま、毛布を肩に巻き付けながら、警備兵たちが飛び起きてくる。

突然の爆発音。帝国軍において火薬庫の爆発は決して珍しくない──だが。


飛び出した彼らの目に飛び込んできたのは、

炎を噴きながら崩れ落ちる橋。

爆炎を抱えた枕木が、悲鳴のような音を立てて谷底に消えていく。


「な、なんということじゃ……あの橋がなければ、まともに材料が入ってこんし、こちらからも送り出せんぞ!」


ドワーフの工房長が呻いた、まさにその時──


「ヒィィィヤッハァァァァ!!!」


大音声の奇声とともに、山賊たちが現れた。


まごうことなき山賊──それも最悪の部類。

粗末な革鎧、布切れで隠した顔、騎乗している馬達すらも全頭が目を血走らせ、歯をむき出しにして嘶いている。

燃え盛る松明を振り回し、火矢をつがえた襲撃犯、山賊団の第一小隊、正真正銘の元山賊達が、飢えた野犬の群れのよう襲いかってきたのだ。


「ひぇぇぇぇぇ!」


帝国側の誰もが死を覚悟した。


「こんばんわぁぁぁ帝国の秘密工房のみなさぁぁぁん!」


何故か山賊達が挨拶してきた。

警備兵達は一瞬、え何事?なにかの余興?と思うが。


「王国軍山岳旅団付き補給中隊…なんだっけ?しゃらくせぇ!我らヤマイヌ山賊団からのお届けモノでぇぇぇぇすっ!」


そして松明と火矢が工房へを放たれた。


「きゃぁぁぁ火事よぉぉぉ」


帝国が用意して慰問部隊──

実はヤマイヌ山賊団の元女間諜が用立てた“ハニートラップ要員”──の悲鳴と喚き声が響き渡る。

ただでさえ――お楽しみ後――だったので碌な迎撃ができない状態に、右往左往する非戦闘員が加わってしまった。

静かな山中は一瞬で地獄のような混乱の渦へと叩き落とされてしまっていた。


「ヒーハー!ゆうべはお楽しみでしたぁ!?それじゃお届け物の代金として……女達をもらってくぜェ!」


実に粗野な山賊の台詞とともに慰問部隊が“攫われて”いく……


「いやぁん!」

「たすけてぇ!」

「やだぁ、へんなとこ触らないでぇ」「あ、すいません」


が、それは“回収”だった。女達と補給中隊の間で事前に仕組まれていた“作戦”だったのだ。


女たちを丁重に攫った山賊達が夜の闇へ消えていく、奇声と嬌声だけが静かな山にこだましながら――


「……なんだったんじゃ……あっつ!あつ、火!火ぃ!」

「消火じゃぁ!とにかく消火じゃぁ!火薬に引火したら木っ端微塵じゃぞー!」


悪夢のような光景がさり、残ったのは燃え盛る工房という悪夢のような現実。

必死の消火作業は夜を通して続いた


そして――


夜がしらみはじめる頃。

消え残る火の粉が風に散り、工房の跡地には、焼け焦げた鉄骨と、

魂の抜けたようにうなだれる帝国兵とドワーフたちが残されていた。


彼らは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

誰一人として、あれが“補給部隊”だったなどと信じられる者はいなかった。




 ◇ ◇ ◇





王国軍山岳要塞。

ヴィルヘルムの山越え奇襲により陥落し、現在は前線要塞と共に帝国軍の根拠地となっている。

中央山脈の資源確保の為、王国軍を蹴散らし王都を脅かし速やかにこちらに有利な和睦を結ぶ。

そんな当初の帝国軍の作戦は破綻を迎えていた。

今後の作戦を練るべく遠征軍を率いる将軍参謀が招集されたのは

秋が深まる九の月の終わりの頃であった。


まだ朝の冷気が残る石造りの作戦会議室には、湿った硝煙のような緊張が充満していた。

長机の中央にはドナ河流域の地図が広げられ、そこに小型の駒と黒鉛のメモが書き込まれている。


「なにをしておるのだ!この愚か者どもめがぁっ!!」


帝国第三皇子、この遠征軍の総大将が声を張り上げ、机を殴りつけた。金細工を施したガントレットが地図をめくり上げ、駒を散らした。


「鉄道橋が爆破された?輸送前の砲も全て失っただと。それと慰問部隊が攫われたとはなんだ!?あそこは最高機密の施設だろう!」


激昂する皇子を、卓の反対側に佇むヴィルヘルムが静かに諭す。


「兵にはパンとサーカスを、太祖陛下の教えでございます」

「ヴィルヘルム!お主はすぐにそうやってお祖父様の名前を出す。よくない癖だぞ!もはやお祖父様の頃とは時代が違うのだ!」

「若様」


ドワーフ工兵隊の老司令官、他ならぬ太祖皇帝と轡を並べて戦場駆けた生き残りの一言は重い。

太祖批判はまずい、と皇子方の将軍と参謀も言外に皇子を避難する視線を送る。

舌打ち(これはこの皇子の悪い癖であった)をして親指の爪を神経質そうにガジガジと噛む(これもこの皇子の悪癖であった)と

ぶつぶつとうわ言のように皇子は呪詛の言葉を吐く


「後一押し、後一押しすれば王都の喉元に……」


それは貴方が戦功を求めて先走った結果だろう!

どれだけの兵と矢弾を無駄にしたと思っているのだ!

口に出そうになった非戦派の将軍と参謀をヴィルヘルムが目配せで押し留める。


王国軍の撤退に遅れているようにしか見えなかったしんがりの軍、老将に率いられた老兵達が死兵となり、舌なめずりをするように突っ込んできた帝国軍を受け止める。

そこに撤退したはずの王国軍の騎兵隊が左右から挟撃。

包囲された先鋒軍が壊滅するのは一瞬だった。


釣り野伏せ――他ならぬ太祖皇帝が一敗地に塗れ絶体絶命の撤退戦にて用いたという決死の計略。

それをよりにもよって帝国軍が――


皇子以外の全員が老兵達の殿軍の勇姿に、ああ敵ながらあっぱれ、果たして我らは祖国の為にああまで勇壮に死ぬことができるだろうか。

そう感嘆せざるを得なかった。


「あんな死にぞこない共に……」


勇士への尊敬すら持たぬ皇子の言、そこに冷たい視線を向ける女副官。

(お前らの神輿だろう、なんとかしろ)と訴える目線が皇子以外の皇子派一同身震いして背筋を正しす、これはもはや習慣だった。


「……兵站線が切れかけているのは事実です。ドナエル河に出現したエルフの水軍により、本国からの一番太いルートは遮断されました」


ヴィルヘルムが地図上のドナエル河に大きくバツを書く。


「現在山岳ルートを使って糧食などは補給できていますが、火薬を山越えで運ぶの難しい……ですねおやじさん?」


おやじさん、と親しげに呼びかけられた老ドワーフ黙って頷く。

若い頃から戦場を駆けたヴィルヘルムと建国の元勲の、言外の信頼に皇子が顔を歪ませる。


「重量もありますが、やはり水気が問題です、すでに黄葉月も終わり、中央山脈は雪が振り始めますから」


厳重に梱包して運ばせて見たが、やはり何割かは使い者にならず難しかった。

鉄道橋があれば、敷設した鉄路で迅速かつ大量に運ぶことができるのだが――


「なぜエルフ共が急に……」

「……我らはエルフの森を焼きすぎました」


製鉄には大量の木炭が必要になる、現在占領地で採れる石炭に置き換えを進めているが過去は消えないのだ。

現に大陸西方に広がる「黒い森」のエルフ達と帝国はほぼ戦争状態に近い。

水の精霊を使役するエルフの水軍、精霊船団に対抗できるのは同じ精霊船団だけ、陸軍国である帝国の河川水軍は太刀打ちできない。

陸上から砲撃が唯一の対抗手段だが、遠征軍には余裕が無いし、本国から対抗可能な軍の編成には時間がかかる。

共和国の援軍が来るのが先だろう。


「既に火薬と砲弾の7割を消耗し、補給基地からの再輸送は極めて困難。現時点での進軍は、兵に死にを命じるのと同義でしょう」

「なにを弱気なことを!」


反論するのは皇子派の若い将軍だった。顔は紅潮し、地図を指さす。


「一会戦分の矢弾はある、それで王国軍を打ち破り王都まで突貫すれば、王国に和睦を迫れる!いま攻めなければ、共和軍が来てしまう!」

「少将殿、それで残存の火薬と弾薬を使い果たし、王国軍を打ち破れなければ、要塞に籠もっての持久戦も不可能になる」


本より火砲は攻めよりも守りの兵器、現状の物資でも要塞を利用しつつ持久戦を展開し、本国からの補給を待つ。

それが過去の作戦会議での結論だった。


問題はその兵站線が脅かされていること――


「今回の会議で確認すべきは、敵が我々の動向を事前に把握していた可能性。補給線への襲撃、それも元山賊と見られる武装集団が――」


「山賊など、放っておけ!」


「若様」


再び重々しく、ドワーフ工兵隊の司令官が口を開いた。

その白髭と煤けた軍服は、血と火薬の臭いを宿している。


「放っておいた結果が、あの工房の炎上でございますじゃ。あの設備を再建するには相当な手間が必要じゃろう……それに、あそこに保管されていた火薬は……」


「全て失われたのか……?」


「根こそぎ持っていかれて使われたとしか考えられん、多少のことではビクともせんあの鉄道橋がなにも残っておらんかった」


おそらく帝国を離反したはぐれが襲撃側にいるのだろう、しかしそれを口にすることはなかった。

老ドワーフは穏やかな目で皇子を見た。


「若様」


しかし、その目は皇子が幼き頃、悪さをした時に彼を叱る老ドワーフの目だった。


「う」

「ハルト様がお味方の裏切りにあって窮地の時、ハルト様は涙を飲んで兵達に死んでくれ。そう言った。そう言った事が三度あった。」


ニ回目の時はわしも死ぬかと思ったわ…遠い目で老ドワーフは言う


「しかしハルト様兵を無駄に死なせたことは一度も無かった……だから“このまま進軍せよ”などという言葉、わしの前では言わんでくだされ」


ハルト様のお孫様である若様が、国の礎になって死んだ者達の顔に泥を塗るようなことは……せんでくだされ、そう老ドワーフが切々と訴える。


「おやじさん…」


ヴィルヘルムがそうつぶやき皇子に目配せをする、皇子はぐっと言葉を詰まらせ、舌打ちする。


会議室に、静寂が戻った。誰もが次の言葉を探している。


その空気を断ち切ったのは、再びヴィルヘルムだった。


「この“ヤマイヌ山賊団”と名乗る補給部隊。動きは極めて迅速で、連携が取れていた。

これは単なる山賊の仕業ではない。明らかに作戦と連携、そして情報に基づいた行動です」


「……敵の精鋭部隊、もしくは……」


「諜報部が、王国軍と接触していた形跡を探っています。慰問部隊の経歴も再調査中。

ひとまず私の責任で、兵站線の防衛と情報封鎖を再構築します」


 その声は静かだったが、会議室にいた誰もがその決意の重さを感じていた。




 ◇ ◇ ◇




会議の重苦しい余韻を引きずったまま執務室へ戻ると、そこには既に副官が静かに立っていた。彼女の手には薬瓶と水。


「ありがとう」


苦い胃薬を飲み下すと、キリキリと指すような胃の痛みが多少マシになる。

ニ代皇帝陛下が病に倒れ、帝国内の後継者争いが本格化してからというもの、これが手放せない体になってしまった。


将軍なぞなるものではないな――


昔は良かった、ただがむしゃらに戦場を駆けていたあの頃は。

これではまるで老兵だ……そんな自嘲の笑みを浮かべながら、新たな胃痛の種――


机の上に毎日少しずつ分厚くなっていく、兵站線を襲撃する山賊の被害報告書をめくる。


「ヤマイヌ……か」


「閣下、私が参ります。――連中には野良犬を好き勝手やらせすぎました」


彼女が居ないのは痛手だが、対策にせよ現状把握にせよ、最も信頼のおける駒は彼女だ。


「そうだな……よろしく頼む」


「はっ。お任せください」


完璧な敬礼のあと、副官は無言で退室する。


「山賊にしては、あまりに的確だとは思っていたが……まさか、あの橋を爆破するとはな」


おそらく、橋を爆破した帰りしなに、ついでとばかりにこちらの兵站を次々と食い破っていったのだろう。


ヴィルヘルムは報告書を閉じると、わずかに笑みを浮かべた。


「面白い。随分と手の込んだ挑発だ……」


わざわざ名を名乗る意図――


「ならばこちらも、礼をもって返そう――知恵比べといこうか、ヤマイヌ共」

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