目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ドナエル河の戦い 1

大陸歴669年。九の月、第二巡。


 大陸を南北に分かつ中央山脈の東端と、北嶺山脈の南端、険しい山脈によって阻まれたと大陸の南北を結ぶ、唯一の山岳回廊。

 猫の額のように狭いドナ平原を川幅200mを誇る大陸有数の大河、ドナエル河が流れていく。

 大陸西方の黒い森に端を発し、中央山脈の麓を沿うように流れ、いくつもの谷筋から流れる水が合流し形成された大河。

 大河を挟み対峙する、鉄の帝国の遠征軍とスクトゥム王国の守備軍。

 その攻防は開戦からすでに七日……一巡を過ぎようとしていた――



「弾着……今!」


 一斉砲撃の轟音とともに吐き出された砲弾の群れは、重く湿った空気を切り裂き王国軍の国境要塞に殺到する。

 常ならば視界を遮る黒色火薬の煙は、吹き渡る河風によって流され、降りしきる雨によって洗い流される。

 隣の砲の吐いた煙が黒い雨になって兵士達を汚していく。


「不発が五!命中が十二!」


 開戦以来、常に戦場に降り注ぎ続ける雨が火薬を蝕み、日に日に不発や飛距離不足で命中しないものが増えていた。


「くそっ!だめだビクともしやがらねぇ」


 遠眼鏡で着弾地点を観測していた若い砲術士官が愚痴を漏らす。

 3kgの砲弾は土の精霊によって強化された土塁に突き刺さろうとも突き崩せず、またあっというまに修復されていしまう。


「来るぞ!総員退避!退避だ!」


 河上を吹いていた風がこちらに吹き付けてくるのが合図だった。

 砲弾の謝礼とばかりに大量の矢の雨が降ってくる。

 カカカカカカッ!っと小気味の良い音立てる木製の防御盾。

 木製の矢の雨に紛れて据え置き式の大型弩砲バリスタから放たれた鉄製の太矢クォレルが飛来すれば盾がバキッと不吉な音を立てる。

 貫通した鋭利な鏃が兵達を震え上がらせる。


「ちくしょう、どんだけ撃ってくるんだよ」


 最新鋭の長距離野戦砲の有効射程は400m、精度を気にしなければその倍は飛ばせる。

 現在砲兵陣地は河岸から放れた小高い土手に置かれ、相手要塞から500mは離れている、中山山脈の山裾に築かれた要塞と高度差を加味しても到底弓矢の届く距離ではない。

 しかし、名高きエルフの長弓兵が各々使役する風の精霊を操れば500m射程外ではないのだ。


「そろそろ止むはずだ」


 ドワーフの古参兵が砲筒の内部を掃除するロッドを手に取りながら静かに言うと、その言葉の通りようやく返礼の矢の雨が止んだ。


「毎度だけど……なんでわかるんだおやっさん」

「いくら耳長エルフ共といえここまで矢を飛ばすにゃ全力引かにゃなならん」


 それを短時間でこんなにバカスカ放ったんだ、さすがの連中も今頃腕がパンパンだろうよ……それになぁとドワーフは続ける。


「あちらさん大分まいってくる頃合いだろう」


 要塞の土塁を修復する土の精霊術士たちは、雨に濡れたローブをまとい、泥濘の中で杖を握る。

 遠眼鏡越しに見る彼らの顔は青白く、詠唱の声は風にかき消され、疲労の色が濃い。

 雨を降らす大規模な儀式魔法、土塁の修復、風の精霊による命令伝達――術士の負担はあまりに重い。

 しかも数は少なく、実力もまちまちだ。

 ついに一人がふらりとよろめき、杖を泥に落として膝をつく。

 仲間が慌てて担架で運び去るが、代わりの術士の動きも鈍い。


「おやっさん、術士が倒れたぞ!これなら土塁も長くねえんじゃね?」


 若い士官が目を輝かせる。

 その言葉に兵達がわっと喝采を上げるが、古参兵のドワーフは濡れた髭を撫でながら唸る。


「そう簡単にいかねぇよ……砲弾も火薬も金食い虫だ湯水のように使えるわけじゃねぇ」

「ハンス閣下が渋い顔してたな」


 砲術の専門家にして、第三軍の金庫番である副将ハンスの顰め面を一同思い出す。


「それにこいつは飛距離を出そうとする鉄の塊しか飛ばせねぇからな」


 最新鋭の長距離野戦砲だが、要塞への砲撃は「嫌がらせ」と「湿った火薬の消化」、そして「実戦での運用試験」にしか役立っていない。


「炸裂弾や火炎弾が使えりゃな……お偉いさんも何考えてんだ」

「まぁ、共和国式の要塞だ。帝国領にした後、使い回したいって腹は分からんでもねえ」と別の士官が応じる。

「ヴィルヘルム様ならな、半日で要塞を粉々にしちまうぜ。火薬も弾も惜しまず、川を渡ってた」と古参兵が吐き捨てる。


 愚痴を吐き始めた兵達に「おら、いつまでしゃべってんだ! 手を動かせ、てめえら!」とドワーフが低い唸り声で怒鳴り、ずんぐりした手を振り上げる。

 わっと蜘蛛の子を散らすように持ち場へ駆け戻る砲兵達。


「この雨もそろそろ止んで欲しいもんだぜ……」


 雨と泥の中で濡れた火薬袋を恨めしげに見つめる。


「なぁ……ほんとに、渡れるんだろうな」


 若い砲兵が呟く。


「焦る必要は無い。時は我らに味方する」


 そう応えたのは、第三軍の副将ヒルダ・フォン・アーリウス=ヴァルデリートだった。同じく副将のハンス共に軍装の肩を濡らしながら、冷静に陣地を見渡している。

 手を止めて敬礼しようとする兵達を手で制し、作業を続けるように命ずる。


「焦る必要はないかもしれんが、そろそろ帳尻を合わせてくれないと後で困るのは私なのだか?」


 日に日に減っていく物資の数を思い浮かべ隣でぼやくハンスに、彼女は小さく笑った。


「確かにそろそろ帳尻を合わせないといけない頃合いね」


 視線の先は、秋雨に霞む敵の要塞を越え、さらに遠く、霧煙る中央山脈の稜線へと注がれていた

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?