しかし幼く可憐なその表情は怒りに塗り潰されていく。
「は?ふざけんな!この店で一番可愛いのはボクだろうが!!」
「でもそれってあなたの感想ですよね?でござる」
「無理やりござるってつけんな!武士かてめーは!!」
「拙者生憎モノノフではござらんが」
「わけわからねえこと言うんじゃねえ!……ったく、これだからキモオタクは」
そう蔑むように吐き捨てられる。流石に暴言が過ぎたせいか店内の空気が僅かに不穏になった。
当然だ、ここはニッチな男の娘カフェ。客層だってオタクと呼ばれる人間が多い。
そこで弄り目的ですらなくオタクを侮蔑する発言をすれば不快がる人間は出て当然だ。
しかし詰られている道生本人は極めて涼しい顔をしている。まるで不出来な生徒を指導する教授のように静かに彼に語り掛けた。
「ルナりん、確かに君の顔は可愛らしい。顔だけならSSSSランクでござる。しかし……断じて可愛い男の娘ではない」
「なんだと!」
「君はただ女性用の服を着て、ウイッグをつけているだけ。それでこの店での一番を気取るなど笑止千万。勘違い乙って奴でござる」
ふざけた口調でありながらその指摘は厳しい物だった。ルナは一瞬傷ついた目をする。
そして少し焦ったように目の前の道生に問いかけた。
「でもボクのメイド服超似合ってるだろ?」
「それはそう」
その質問に対し道生は素直に頷く。しかしルナは彼の接客メイドとしての在り方を肯定したわけではない。
チェックのネルシャツを着た青年はメイドの胸元を指差した。当然触れてはいない。
儚く薄い胸だ。ルナが特別華奢な体つきなのは確かだが何よりここは男の娘カフェ。ささやかな胸がデフォルトなのだ。
この場所で働いているメイドは当然男の娘でなければいけない。だが、ルナは違う。
それが道生には許せなかった。
「ルナりんの心(ハート)は男の娘の形をしていない、ツンデレ男の娘でも、塩対応男の娘でもない……つまり今のルナりんはただの女装したら周囲にちやほやされて調子にのってイキっている美少年でござる!!」
残酷な事実を突きつけられルナは目に見えて狼狽した。外見ではなく精神が相応しくない。
メイドという奉仕職だけでなく、そもそも男の娘になりきれていなかった。
化粧もろくにせず口調すら取り繕わず外見のアドバンテージだけで女王を気取っていた。
その浅薄さを古参客に指摘され、即否定出来ない。それこそがルナの敗北だった。
「そ、そんなことは……」
先程とは打って変わり、ルナの反論は無力に近い程弱々しい物だった。
そこがいいんだろうがという背後からの客のクレームを道生は無視する。確かにそういうのもありだろう。性癖は自由であるべきだ。
だがルナが本心からこういった形で暴君として君臨し続けることを望んでいるように思えない。前々から感じていた疑念は今の彼の態度で確信になった。
「……最初は演じていた筈のツンデレ、その評判が良すぎて歯止めが利かなくなってしまったんでござるな?」
ネルシャツのサムライが優しく問いかける。女王メイドはそれに対し小さく頷いた。
やっぱりそうだったか。道生の口調には僅かだが安堵が含まれる。
彼もこの愛らしいメイドに対し心からどうでもいい存在とは思っていなかったのだ。
「デビューしたての頃のルナりんはああではなかった。女装もメイドさん業にも不慣れで、けれど懸命さがあった……だからこそドジって転んで熱々のコーヒーをぶっかけらけれても笑って許せた」
「なっ、お前、あの時のことを覚えて……」
数か月前のことを懐かし気に語る古参客にルナは大きな目を更に見開く。
彼は道生は自分に全く興味が無いと今まで思い込んでいたのだ。
だからこそ新人時代の出来事を語られ驚きと共に胸に強い喜びが溢れてくる。
「あのような暴力的なまでの熱、拙者に感じさせたのはルナりんが初めてでござるよ」
「なっ、何言って……馬鹿じゃねーの……火傷、大丈夫だったかよ」
過去の自分のドジを晒されて恥ずかしかったのか、ルナは顔を赤くして道生から視線を逸らした。
しかしその乱暴な台詞の中に先程までは無かった相手へのの気遣いを感じる。暴君からツンデレへタイプが変化したのだ。
ルナの心には優しさが残っている。ここは畳みかける時だとばかりに道生は彼の細い肩を掴んだ。
本来握手サービスでもない限り客から男の娘メイドへのお触りは厳禁だ。しかし道生は彼を男の娘だと思っていない。セーフである。
「あっ……」
「ルナりん、正直に教えて欲しい。ルナりんが求めているのはこのカフェでの女王様の立場なのか、そして自分に罵倒されて金を落す奴隷なのか」
「なっ、ボクは……」
「ルナりんがこのカフェで働こうとした理由は……友達が欲しかったから、その志はもう変わってしまったのでござるか……?」
「お前どうして、それを……!覚えて、いたのかよ……」
「忘れる筈が無い。男性と話すのは苦手だけどずっと友達が欲しいと思っていたから勇気を出してカフェで働き始めた……そう語ったその繊細で愛らしい笑顔を!」
冷静さをかなぐり捨てたかのように道生は熱く語る。その熱に氷が溶けるようにルナの目から真珠のような涙がこぼれた。
「……お前には、忘れていて欲しかった。そうだよ、ボクが欲しいのは奴隷じゃない。同性の友達だったんだ……」
自分はこの顔のせいでずっと女性しか周りに居なかった。そうルナは寂しそうに語る。
「まあ、普通に超絶美少年でござるからな」
「でもそのせいで同級生の男とはろくに話せず、寧ろチビの癖に女にちやほやされて調子に乗ってると嫌われ続けて……」
「御労しや、ルナりん……」
「だから、女の恰好をしてでも俺に対して笑いかけてくれる男と話がしたかったんだよ……笑えよ、キモオタくん、本当に気持ち悪いのはお前じゃなくて俺なんだ……!」
床に崩れ落ちながら泣くメイド服の美少年を笑う者は店内に居ない。
自分も同じく床に膝をつきながら道生は暖かな声で言った。
「ルナりんの苦しみと勇気を笑ったり出来ないでござるよ。それに拙者の方がルナりんより確実に気持ち悪いでござる」
男の娘への拘りが強すぎて年一で仲間と解釈違いを起こし乱闘しては入院している。
道生の告白に店内客の半分は引いたがルナは照れたように笑った。
「フフッ、だから、こんな中途半端な女装している俺が許せなかった……?」
「今日最初に怒鳴られた時は少し、でも今はルナりんと友達になりたい気持ちでいっぱいでござるよ」
「……本当に?」
「男の娘としてのルナりんは認められない、けれど男友達にはなれる。ルナりんを指名することは出来ないが、ルナ君と人気ラブコメ漫画10000カノのヒロイン談義をすることは出来るでござるよ」
「ハハッ、その作品全然知らない……それにボク、ルナって名前じゃなくて本当は……月人(つきと)って言うんだ」
店内で自分の本名を暴露する。それは従業員として最大のタブー。禁止事項である。
けれど晴れ晴れとした顔で告げる彼にそれを指摘する者は居ない。皆察しているのだ。
暴君女王メイドルナ、いや月人少年の居るべき場所はここではなくなったことを。
「なら月人っち、今度俺の家に読みにくればいいじゃん、本気で布教してやっから」
「……うん、絶対行く……!!」
こうして、男の娘カフェからルナりんはいなくなった。
それは店にとっても確かな損失だっただろうが、一部の客以外は誰も道生を責めることは無かった。
あのままルナを調子に乗せておけばいずれ女装露出コスプレイヤーになってメス堕ちしたのにと彼に殴りかかってきた邪悪たちは道生とチーフメイドサクラによって病院送りにされた。
そんな悲しい未来が訪れる可能性はもうない。
ルナが埋めたかったのは承認欲求ではなく、美少年であるがゆえに長年抱え続けた孤独だったのだから。
今日も道生は、男の娘カフェの扉を叩く。そこにはもう塩担当と名札に書かれた女王様メイドは居ない。
代わりに彼の友人として、隣ではにかみながら頭を下げる美少年が一人。
「こ、こんにちは……ご無沙汰してます」
「いらっしゃいませっ、うふふ、今日は二人で来てくれたのね」
「そうでござる、男の娘抜きにしてもここの食事は絶品でござるからな」
「ありがと、サクラ嬉しいっ、一杯頼んでねっ」
「じゃあ早速サクラちゃん指名でこのオムライスを……」
そうメニュー表を差し注文しようとした道生の手を、対面に座る月人が素早く掴む。
あら、と注文を伺おうとしたサクラが小さく驚いた声を上げた。
「……道生のオムライスへのメッセージは、ボクが書くから。いいでしょ」
「いや月人っち、メッセージを書いてくれるのはメイドさんだけで」
「じゃあ、今から控室で一時間だけメイドになってくるから……いいですよね?」
月人の台詞の後半はこの店を仕切るサクラへの確認だ。
チーフメイドは上品な顔に悪戯っぽい笑顔を浮かべるとあっさりと許可を出した。
「うふふ、いいわよ。頑張ってねルナちゃん」
彼結構鈍感で昔から何人もうちの子泣かせているから。
そう意味深なことを言うとクラシカルメイド衣装を着こなしたサクラは水を置いて去って行く。
「あの、注文は……」
「ごめんなさい、級にとっても忙しくって。間もなく来るルナちゃんにお申し付けくださいね」
道生はその背に声をかけるがそう言いながらキッチンへと消えられてはそれ以上追いかけることが出来ない。
まあいい、耐えられない程の空腹ではない。懐かしいルナりんを待とうではないか。
もしかしたら彼の孤独が癒え心に余裕が出来た結果、改めて男の娘というものに向き合おうとしているのかもしれない。
「フッ、見せて貰おうか、友情という光を知り生まれ変わったメイドの力を……!」
道生は友人に対する期待を込めロボットアニメのライバルパイロットのような口調で呟く。
しかし従業員と他の常連客たちは気づいていた。友人だと思っているのは彼だけであることを。
最早友情の枠を超え、元ナンバーワンメイドはこのキモオタ青年を独占したいと願っている。
暴君からツンデレ、そしてツンデレからヤンデレへ月人はタイプ変化を起こしていたのだ。
そのことを彼を変えた本人だけが気づいていない。
彼がメイド服を可憐に着こなした月人に「ボクだけのご主人様になって」と押し倒されるのはこれから二週間後のことになる。