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第14話 喧嘩の流儀

 クラウスとレオナルドはよく喧嘩した。

 生まれ育ちが違うことや、根本的な考え方が違うこともある。

 そんなこととは関係のない、ちょっとしたどうでもいいことでさえ喧嘩した。


 仲を深め始めた当初、クラウスは口論になると口ごもった。

 ディスクレシアという特性で本が読めず、多くの言葉を知らないクラウスは、口で言葉をまとめるのが苦手だった。

 だからと言って適当な、相手を侮辱するような言葉をかけたくはなかった。


 レオナルドは、言い合いになるとクラウスが黙り込むことに気付いていた。

 言い募ることはせず言葉が返ってくるのを待ったが、クラウスは言い淀むばかりだった。

 そうすると、喧嘩にはならなかった。


 レオナルドは、自分が口が立つことを知っていた。

 大概の相手は言いくるめられる。相手が単純バカのクラウスなら尚更だ。

 だが、それでは対等じゃない。一方の意見をただ押し付け飲み込ませる関係を、友人とは呼べない。


 レオナルドは付き合いが短くとも分かっていた。

 クラウスは、語彙力が乏しい。

 にもかかわらず、相手を傷付けないように、正しく伝わるようにと言葉を選ぼうとする。適切な言葉を見つけようとし、だけどそれをどのようにまとめれば良いか分からず、言い淀む。


 ――故にレオナルドは提案した。「殴り合おう」と。


 彼はクラウスが、拳の方が雄弁なことを知っていた。だからクラウスの土俵で喧嘩することにした。友人として対等であるために、互いをぶつけ合うことを選んだ。


 彼は「俺はお前を殴りながら文句を言う。お前もそうしろ」と言った。


 クラウスは戸惑った。自分の方が強いのは明らかだったし、優しいクラウスにとって「他人に暴力を振るう」という選択肢はなかった。

 レオナルドは続けた。


「いいか、人間は脆い。簡単に壊れる。これを忘れるな」

 そう言うと、両手でクラウスの襟をしっかりと掴んだ。


「そのうえで、俺は思い切り殴る。お前も本気で殴ってこい」

 クラウスは、その発言に理不尽と矛盾を感じた。しかし反論する前に、襟首を掴んでいたレオナルドがクラウスの頭を引き寄せ、頭突きをしてきた。


 頭突きを受けたクラウスは痛かったが、頭突きをしたレオナルドの方がもっと痛そうだった。

 しかし、それでもなお、レオナルドは「ほら、ヤリ合うぞ」と、「お前も来い」とジェスチャーをした。そしてクラウスが迷った瞬間、遠慮なく顔面を殴ってきた。


 そこには殺意を感じた。

 一歩間違えたら人間を壊しかねない勢いで、レオナルドは殴りかかってきた。


 レオナルドは手足を止めることなく、クラウスに文句と悪口を言いながら攻撃してきた。

 今の喧嘩とは全く関係のない事柄まで持ち出し、口撃と攻撃を繰り出した。鼻で笑うように馬鹿にして、煽る言葉を投げてくることもあった。


 その勢いに、クラウスも自然と反撃した。いや、レオナルドの殺気に押され、反撃せざるを得なかった。

 そうやって拳を交わし始めると、余計なことは頭から消え、ただ殴り合うことに――互いをぶつけ合うことに、意識が向けられた。


 レオナルドの拳には拳で返し、投げかけられた悪口には文句を叩きつけた。

 気付けば、口論していた時よりも言葉を発することができていた。深く考え込まず、浮かんだ言葉をそのままぶつけることができた。


 殴り合いを終えると、大抵レオナルドの方がボロボロだった。

 クラウスの方が頑丈で、力も強い。本気で殴り合えばレオナルドがボロボロになるのは、自明だった。

 それでもレオナルドは、クラウスとの喧嘩には殴り合いを選んだ。

 友人として、一方的ではなく、対等にぶつかり合うことを望んだ。


 レオナルドは、クラウスが手加減すると怒鳴った。


「舐めてんのか!?」と鋭い蹴りを飛ばし、「本気でヤれ!」と頭突きした。

 なのに、クラウスがレオナルドの顔に傷をつけると、「顔面は攻撃するなって言っただろ!」と怒った。

 自分は頭突きをしてくるのに、肋骨が折れようが肩が外れようが文句を言わないくせに、顔面にかすり傷一つついただけで怒った。

 クラウスは、それに対しても「理不尽だ」と思った。


 ――身体がボロボロになっても隠すことができる。だが、顔は隠せない。

 レオナルド・シュヴァリエは理想の貴公子だ。

 高貴で、優雅で、優美で、穏やか。そう在らねばならない。それが『当然』である。怪我などしていたら、それらが損なわれてしまう。


 彼の甘いマスクは、貴族社会では有効な武器であり、つまり彼の持つ価値の一つだ。彼にとって、それはシュヴァリエ侯爵家の財産として扱うべきものだ。

 レオナルドはシュヴァリエ侯爵家次男として、その価値を落とすようなことは、自らの持つ優美さを損なうことは、許せない。


 クラウスは社交と無縁の人生だったが、レオナルドの「容姿も貴族としての価値の一つ」という考え方は(レオナルドに説明されたこともあり)理解している。

 分かるが、そのうえで、理不尽だ、とクラウスは思う。それなら殴り合いなどしなければいいのに、と思う。


 口での喧嘩なら、レオナルドが圧勝するのに。


『身体を使う』というクラウスの土俵に立ち、そのうえで譲れないルールを提示して、互いが対等でいられるように仕向けてくる――そんなレオナルドに、クラウスは「理不尽だ」と思う。「理不尽だ」と、思える。


 自分が傷付けてしまうだけの相手なら、クラウスはそんなふうに思えない。相手が正しいと思う。クラウスという暴力が、間違ってると思う。


 でも、レオナルドはそうじゃないから。


 対等だから、友人だから、クラウスは『理不尽だ』と言えるし、思えるのだ。



 レオナルドは本気でキレると、クラウスに対しさらに理不尽なことを言った。


「俺は魔術を使う。でもお前は魔術を使うな。〈障壁〉も張るな」

「俺の攻撃を避けるな」


 それは、どう考えても理不尽なセリフだ。

(もっとも、そんな理不尽なセリフを吐くのは大概クラウスがやらかしたあとなのだが)


 クラウスはその都度レオナルドに「理不尽だ」と言いつつも、その指示を守った。

 その指示を守る範囲で、本気で喧嘩した。


 レオナルドはいついかなる時でもクラウスが手を抜くと怒った。

 自分が一方的にクラウスにキレている時でも、「魔術を使うな」などと命令したときでも、手を抜かれると怒った。「逃げるな」と怒鳴った。


 その「逃げるな」がレオナルドの拳からなのか、力を振るうことからなのか、それともレオナルドと向き合うことからなのか――たぶん、二人とも分からなかった。


 クラウスは、ガチギレしてるレオナルドが怖いし、本気で「殺す気か?」とビビる。そのため、なるべくレオナルドをキレさせないようにした。そして明らかに自分が悪い時は、すぐに謝るようにした。


 口が立たず適当なことを話すのが嫌いなため、クラウスは言い訳が苦手だった。

 だが、キレたレオナルドには思いつくままに言い訳し、少しでも怒りを抑えさせようとした。謝るのが間に合わないと、本気で恐ろしい目に遭うのを知っているから。


 普段、喧嘩のあとボロボロになるのはレオナルドだ。

 しかし、レオナルドがガチギレした時にボロボロになるのは、クラウスだった。


 ボロボロのクラウスの横で、スッキリした顔のレオナルドがいた。

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