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第16話 共犯で親友

 レオナルドは普段、クラウスとの喧嘩以外で暴力を振るうことはなかった。

 それは、クラウスのように優しさに起因するものではない。


 まず、侯爵令息であるレオナルドから平民への暴力は、社会的に許容される行為だ。そこに特別な理由が存在しなくとも、法に咎められはしない。

 しかし「軍人を志す軍人学校の生徒」である以上、軍人としてのルールに従う必要がある。民は気分で踏みつぶしていいものではなく、守るべきものなのだ。


 また、大概の場合、暴力を振るった者は「悪」と見做されてしまう。つまり「暴力」は自らの非となり、結果として相手を有利にするのだ。

 レオナルドは、「暴力」が諸刃の剣であることをよく理解していた。


 そもそも、彼は暴力などよりもはるかに効果的な報復方法を熟知しており、それを実行するだけの能力もあった。

 だからこそ、暴力を振るうような愚行はしなかった。



 軍人学校には、貴族の生徒も平民の生徒も在籍する。その中でも、貴族令息は大きく二つのタイプに分けられる。


 一つは、軍に関連する家系に生まれた、もしくは自らこの道を選択し、軍人を真剣に志す者。

 もう一つは、家内の政治などの事情により、やむを得ず軍人学校に進んだ者。


 なお、武に秀で、いずれ貴族や王家に仕える“騎士”を目指す者は、軍人学校ではなく貴族学院に進む。騎士は、貴族学院に通うあるじのもとで仕える立場となるからだ。

 まだ仕えるべき主を見つけられていない者も、学院で主を探す。

 したがって、軍人学校に来る貴族令息は、「軍人を目指す者」もしくは「武に長けながらも騎士の道すら歩めない者」なのだ。


 クラウスは、軍の名門であるアイゼンハルト伯爵家の三男という立場から、本来なら前者に分類されるはずだ。しかし、軍の頂点に立つ父から“出来損ない”として扱われており、本人もその父に反発している。

 一方、由緒あるシュヴァリエ侯爵家の次男であり、“貴族令息”然とした気品を持つレオナルドは、家内の政治を考慮し軍人学校に入学したものの、涼しい顔で貴族学院にも進んでいる。


 この二人は、軍人学校において明らかに異端の存在であった。


 上級生や同級生の中には、異端である二人に嫌がらせをする者も少なくなかった。

 クラウスはその威圧感や武力から恐れられ、影口を囁かれることが多かったが、レオナルドは直接嫌味を言われたり、ときに暴力を受けることもあった。

 レオナルドの場合、容姿、血筋、立場、成績、その全てが妬みの的になったのだろう。

 そうした嫌がらせに対し、レオナルドは常に冷静に対処してきた。



 ある日、クラウスとの勉強会――という名の「クラウスを縛り付けて勉強を叩きこむ時間」の前に、レオナルドは上級生の部屋に呼び出された。

 立場上無視できない相手だったため、仕方なく応じた。


 面倒だな、と考えながらレオナルドが部屋に入ると、上級生はにやつきながら彼を出迎えた。

 そして、レオナルドがなんの用事か尋ねる前に、彼の頬に手を伸ばした。


「――綺麗なツラしてるよな」


 その下品な笑みに、レオナルドは一瞬で相手の意図を察した。

 その男は、レオナルドに「性」を見ていた。


 レオナルドはその美しい顔立ちのせいで、幼い頃からそうした視線を向けられることが少なくなかった。

 だからこそ、彼はすぐに気付き、ひどく嫌悪した。


 それまでの嫌がらせには理性的に対処してきたレオナルドだったが、このときばかりは感情が理性を凌駕した。彼は躊躇いなく拳を振るい、上級生を叩きのめした。



 その頃クラウスは、寮の自室でレオナルドの帰りを待っていた。

「今日は勉強するから部屋に居ろよ。絶対に逃げ出すな」と厳命を受けていたからだ。


 ちなみにクラウスは、現在レオナルドとの二人部屋で生活している。

 もともとは四人部屋で、レオナルドとも別の部屋だったのだが、本人たちにその気が無くとも――特にクラウスには自覚が無くとも――この二人を中心に頻繁に揉め事が起こるので、ひとまとめにされた。


「隔離された」と言うことさえできる。


 クラウスはレオナルドから「俺は貴族学院とも行き来するし――家格の関係も考えると、学校側としても四人部屋に入れておくのは扱いづらかったんだろ。巻き込んで悪いな」と言われたので、それを信じた。


 そんなわけで、クラウスはレオナルドとの二人部屋で、ジッと待機していた。

 ところが、肝心のレオナルドがなかなか帰ってこない。不審に思ったクラウスは、探しに行った。


 聞き込みの結果、レオナルドが上級生に呼び出されていたらしいと分かったので、その部屋に向かった。

 普通なら尻込みする場面だが、生憎クラウスはそういう性格ではなかった。


 上級生の部屋にたどり着いたクラウスは、ノックをした。

 返事がない。ノブに手をかけると、鍵が閉まっている。だが、扉の向こうには人の気配がある。

 なんだか嫌な予感がしたので、もう一回ノックをしてドアが開かなかったらこじ開けようと思った。

 クラウスは、「鍵のかかったドアは、ちょっと力を入れると開くもの(※ノブが取れてしまう場合もあるので要注意)」という認識を持っていた。


 ノック――というにはいささか乱暴にドアを三度叩いた。

「反応が無いから仕方ない」と心の中で言い訳しながら、ドアを開けよう壊そうとしたその瞬間、内側から鍵が開いた。


 現れたのは、冷たい瞳をしたレオナルドだった。

 そしてその背後には、意識が飛びかけた上級生が転がっており、ぴくぴくと痙攣していた。


 クラウスはとりあえず部屋に入り、レオナルドに事情を訊いた。

 レオナルドはハッキリとは答えず、「待たせて悪い。部屋に戻るまで、もう少し時間がかかりそうだ」と告げた。


 クラウスは一瞬だけ考え、「そうか」と頷いてから、上級生に一発だけ蹴りを入れた。

 学内最強の蹴りを、遠慮なく腹に叩き込んだ。


 もし第三者がこれを目撃していたら、「人はこんなに簡単に宙を舞うものなのか」と思っただろう。上級生はそれほどの勢いで飛び、壁に激突し、床に落下した。

 良く言って『ずたぼろ』だった。


 レオナルドは目の前で起きた光景に目を見張ったが、クラウスはケロッとした顔で「じゃあ手当して、早く部屋に戻るか」と、上級生の応急処置を始めた。


 ――クラウスの蹴りは、ほぼ無意識でのものだった。“反射”とも言えるかもしれない。

 父親との折り合いが悪いとはいえ、自分は軍の名門・アイゼンハルト伯爵家の三男だ。しかも、もともと問題児と見做されている。

 ならば自分も手を出した方が、レオナルドが一人でやったよりお咎めがマシなんじゃないか。

 そんなことを(ここまでしっかりと考えていたわけではないが)本能的に察して蹴っていた。


 適切な手当てと、「壊さないように」と配慮された暴力のおかげで、上級生は後遺症なく回復した。


 もちろん、あれほどボロボロになった人間が現れれば、学校として事件を解明する必要がある。

 だが、上級生が教師に告げ口するには、「何故レオナルドを呼び出したのか」という自らの非も暴露せねばならない。それをよく理解しているレオナルドは、上級生が意識を取り戻す前に、得意の弁舌で真相を捻じ曲げ、教師に伝えていた。

 クラウスの理解不明な行動のおかげで、逆に冷静さを取り戻していたからこそできた芸当であった。


 結果、事態は「私的な喧嘩があった」程度の軽い処分に落ち着いた。


 これ以降、レオナルドとクラウスは、どちらかが問題を起こせばもう一方がフォローしたり首を突っ込んだりと、自他共に認める“親友”として、絆を深めていった。

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