これを機に、レオナルドは「クラウスを実家に帰らせる」という名目で、アイゼンハルト伯爵家に通うようになった。
もちろん目的は社交や意思表示だ。
運良くクラウディウスと会えれば、最近の学校事情や軍人学校での生活にまつわる“雑談”や“相談”をした。
――という体裁で、実際には学校の現状を共有し、どこまでの“ヤンチャ”が許されるかを確認した。
また、『クラウスを政治利用しない旨』も迂遠ながらも都度示した。
クラウディウスの方からも“世間話”という形で、軍人学校に何を求めているのか、どのような懸念があるのか、そして組織体制への干渉をどこまで許容できるかが語られた。
後に軍人学校が大きな変革を遂げることになるが、その起点のひとつは、間違いなくここにある。
「息子の親友」と「親友の父」が行った“雑談”という名の“会談”。“相談”という名の“許可どり”。
その、あくまで非公式な対話の積み重ねが、学生たちの未来を大きく変えていく。
なお、クラウス本人は変革の発端が「自分の帰省」という一学生の私事から始まったことなど露ほども知らず、否応なく巻き込まれることになる。
レオナルドにとって、クラウディウスは「敵わない相手」だった。
将来の上司として、そして軍の象徴として――彼の在り方には素直な敬意を抱いていた。
軍人としても貴族としても極めて合理的で、理知的で、隙がない。
クラウスの価値観よりも、クラウディウスの価値観の方が、レオナルドの基準においては圧倒的に「正しかった」。
レオナルドは、自分が勝ち得たのは「信頼」ではなく「信用」であることを承知していた。
そして同時に、「用い続ける価値があるか」を常に測られていることも理解していた。
さらには、自分がその“測り”に気づいていることを、クラウディウスも把握している――その事実さえ、暗黙の了解として共有されていた。
彼らの関係を示すのに、もっとも近しい言葉は「上司」と「部下」だった。
レオナルドはクラウディウスを「寛容な上司」として捉え、その関係を表すかのように「閣下」と呼ぶようになった。
クラウディウスにとっても、レオナルドは「有用な部下」だった。
貴族的な観点を持ち、軍人学校にやってくる者はそう多くない。ましてや、これほど優秀な者は稀――いや、他には居ない。
彼が現場をどのように組み替えるのか、どのような風を吹かせるのか。軍に反しないのならば、好きにやらせるつもりだった。
だが、優秀な愚か者は組織にとって有害だ。優秀すぎる者であれば、なおのこと。
もし勝手な行動を見せ、軍の意志に反するような動きをするなら、その時は「軍人学校の一学生」としては摘み取り、貴族の世界に戻させる――そう考えていた。
クラウディウスもレオナルドも、能力の高い者を評価し、好む傾向にある。
そして、能力の高い者は敵に回せば厄介な存在になることも理解している。
だからこそ、互いに評価し合いながらも、「いざという時、どこにつけ込めるか」を常に探っていた。
クラウスの親友であるレオナルドと、クラウスを否定し続けたクラウディウス。
立場は違えど、彼らはある種の“理解者”となっていた。
レオナルドは様々な思惑を持ってアイゼンハルト伯爵邸に乗り込んだ。
クラウディウスと縁を持てたことは、軍人学校の生徒として、大きな成果と言えた。
それだけでなく、シュヴァリエ侯爵家の次男として、軍の名門であるアイゼンハルト伯爵家との縁を結べたこともまた、喜ばしい収穫だった。
特に、クラウスの母・マルグリットと、レオナルドの母との接点を作れたことは、とりわけ価値のある進展だった。
息子同士が「友人関係」にあるという確固たる事実がある以上、たとえ裏に思惑があったとしても、他家や派閥に“文句を言わせる隙”はない。
自然な縁に見せかけるのではない。これは実際に、誰の目にも「自然で正当な縁」として成立する関係だった。
政治的意図を持って繋がったのではなく、「結果として繋がった」――そう言い切れる形に仕立てたのだ。
親友の帰省を、レオナルドは思う存分、有効活用していた。
クラウディウスが不在の折には、アイゼンハルト家に所蔵された文献を読み見識を深めたり、クラウスの家族との交流を重ねたりもした。
中でも、マルグリットとは頻繁に言葉を交わした。
彼女はレオナルドの「クラウスの親友」としての顔と、「シュヴァリエ侯爵家の次男」としての顔、その両方を見ていた。レオナルドも同様に、マルグリットを「クラウスの母」として、そして「アイゼンハルト伯爵家の女主人」として見ていた。
マルグリットもレオナルドも、どちらも「クラウスに情を寄せる者」としての顔と、「貴族としての立場に立つ者」としての顔――その両方を携えていた。
そして会話の中では、常にその両方の意図を巧みに織り交ぜていた。
クラウディウスがその威圧感と多忙さゆえに社交を制限される存在である一方で、マルグリットは、それを補って余りあるほどに「貴族としての社交」に長けた人物だった。
彼女とは、クラウスにまつわる話題を中心としつつも、装飾品や芸術の流行、社交界の人間関係に至るまで、幅広く情報交換を行った。
レオナルドは息子世代の、マルグリットは貴婦人たちの人間関係を、それぞれ“お茶会の雑談”として提供し合った。
扇子という名の短剣で喉元を撫でられるような――優雅でありながら、油断ならない社交の感触。
クラウディウスとの明快な論理とは異なる、“女主人”としての厄介さがそこにはあった。
レオナルドにとって彼女との対話は、多くを学ぶことのできる場であった。
軍人学校での模範的な生徒でさえあればよいというクラウディウスに対し、マルグリットは貴族としての利を求めてくる。
息子に友人ができたことを喜びながらも、「家の害」となれば叩き潰す――レオナルドは彼女の微笑みの中に、そのような意志を感じ取っていた。
レオナルドは、貴族夫人としての役割を全うするその揺るがぬ強かさに好感を抱き、自然と「奥様」と呼ぶようになった。