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第37話 実地演習 掃除と友情と口喧嘩

 五月になると、座学や軍人としての礼儀作法、体力訓練、野営や王都近隣での小型の魔獣討伐といった基礎訓練に加え、応用訓練が始まった。


 王国軍の任務は多岐にわたる。

 魔獣討伐だけでなく、都市や街の巡回を行い、地理の把握や住民との交流を通じて治安の維持に努めるのも重要な役目だ。


 そのため、応用訓練では、現役軍人が同行しての中型魔獣討伐や長距離行軍に加え、街の清掃活動なども実施される。



「――だるい」


 ここは王都郊外の街。

 人口一千人程度の、大きくもないが小さくもない街での清掃活動中、アイザックが言った。


 今回は、レオナルド、クラウス、アイザックにもう一人を加えた四人でひとチームに編成され、流水路の掃除を主とした、街の清掃活動にあたっていた。


「軍人ってのは、もっとこう……魔獣をバッサバサ倒してこそだろー!」


「お前、それ言うの三回目な。さっきから聞こえてるっての」


 いわゆる“軍人”のイメージを語るアイザックを、隣で黙々と掃除していた「もう一人」のケイランが、バッサリと切り捨てる。


 ケイランはアイザックと同様、普段からクラウスやレオナルドと親しくしている。座学のグループワークでも、この四人で組むことが多かった。

 先月の成績順による編成見直しでも、全員が上位クラスに選ばれ、同じ班に振り分けられている。


 もっとも、その班の中で四人が同じチームになったのは、まったくの偶然だった。



「反応がねーから三回も言ったんだよ! ったく……レオナルドだって、清掃活動なんかつまんねーだろ?」


 高位貴族の令息で、最も掃除の似合わない男に話を振る。しかし、それが間違いだったと次の瞬間に分かる。


「清掃活動は、文字通りの“清掃”よりも、街の構造や状態を把握する側面が大きい。――俺たちの仕事は魔獣駆除じゃなく、民の平和を守ることだ。『地理を把握してなかったせいで救助が遅れました』じゃ、済まされない」


 その言葉に、ケイランが続ける。


「バッサバサやるには、まず『駆けつける』ことが前提だしな。地図の更新管理も仕事の一つだよ。情報が古かったら対応が遅れるし、避難誘導もままならない」


 街の地図は本来、その街を統治する者が管理している。王家直轄地であれば王家任官が、貴族の領地なら、それぞれの貴族家が任せた者が。


「平民の家の増改築がきちんと役所に届出されているとは限らないし、その記録の反映を怠る役人もいる」


 ケイランがそう語ると、そのままレオナルドが引き継いだ。


「加えて、軍の存在を“見せる”ことで、治安の安定にもつながる。“清掃活動”はれっきとした軍人の任務だ」


 助けを求めるような視線をアイザックから向けられ、クラウスが応える。


「俺は、街の人と関わるのも大事だと思う」


 普段の生活に触れ、信頼を築いていなければ、いざという時、彼らが言うことを聞いてくれないかもしれない。……という観点だけではなく、クラウスにとっては単純に、『人と関わること』『困りごとがあったら助けること』が大切だった。


 ぐっ……とうめくアイザックに、レオナルドが容赦なく追い打ちをかける。

 それにケイランが相槌のように付け足していく。


「実地での複合訓練だ。優秀さを評価されてる証だぜ? 民と触れ合わせても問題がない程度には、軍人としての礼儀作法ができている」


「基礎訓練、礼節評価A」


「地図も書けるし、この辺に出る魔獣程度なら対処可能」


「基礎訓練、地理把握及び魔獣討伐評価A」


 クラウスは、こいつら息が合うよな、と思いながら、何度かスコップを持ち替える。力を込めすぎて、柄を折りそうになったのだ。


「引率の現役軍人は一人だけ。それで十分と判断された。これは卒業後もエリートコースだな」


 レオナルドは、はん、と鼻で笑いながら、丁寧な説明を締めくくる。


「こんなのやらなくても、お前はエリートコースだろ……」


 ケイランは、ここに関しては相槌ではなく、ツッコミを入れた。

 だがレオナルドはそれを受け流し、アイザックに向き直る。


「だいたい、お前の街にも来てただろ。学生じゃなくて本物の軍人が」


 アイザックの故郷は、王都から離れた王家直轄地だ。

 貴族の領地の場合、治安維持や衛生管理等の義務はその地を治める貴族にあるが、そうでなければ『民を守るために在る』軍が、その責務を担う。

 治安維持や都市の衛生管理のため、“清掃活動”という形で定期的に巡回するのだ。


 これは、基本的には現役軍人の任務だ。

 しかし王都周辺の街では、軍人学校の学生が、教官の監督のもとで演習を兼ねて任されている。

 なかでもこの街は魔獣の出没が少なく比較的安全で、一年生である彼らでも実習に来ることができた。


「来てたけど、こんな溝掃除なんてしてなかったよ……。たまに来て、顔だけ出して、簡単な見回りだけして帰っていった」


「サボりだな。あとで教官に告げ口してやろうぜ」


 教官を通して担当地区の上官に報告し、部下に注意を促させる。

 レオナルドが言ったなら、トントン拍子でその軍人の評価は下がるだろう。

 そんな恐ろしいことを想像して、ケイランは苦笑する。


「溝掃除は大事だろ。ここらはまだまともな流路管が整備されてないし、汚水が溜まりやすい。大雨が来たら溢れちまう。そういうとこから疫病が発生した〜とか、笑えねーぞ」


 ケイランの言葉に、アイザックは両手で耳を塞ぐ。これは彼が「もう聞きたくない!」と示すときの癖だった。


「分かった! 分かった! もういい! ……俺が気になってんのは、なんで作業を一番進めてるお前が、一番綺麗なんだよ! レオナルド! 汗かいてねえし、臭い泥もついてねーし!」


『力仕事といえばクラウス』という印象を持たれがちだが、彼は力加減を誤って道具を壊してしまわないか心配で、恐る恐る作業をしている。


 次に鍛えられているのはレオナルドだ。そして彼は要領がいい。だから作業が一番早いのは納得できる。

 しかし、汗をかいていないことと、汚れていないことはおかしい。

 それがアイザックの主張だった。


「この程度で汗をかくのか?」


 レオナルドはアイザックの叫びを無視して、平然と涼しげな顔で言い放った。

 遠回しに、『季節は暖かくなってきたとはいえ、これくらいの運動で音を上げるのか?』と煽っているようにも聞こえる。


 その様子を見ながら、クラウスは「そりゃ、レオナルドは汗をかかないだろう」と思っていた。


 レオナルドは〈水〉と〈風〉の魔術を応用し、自分の周囲だけを涼しく保っている。おそらく、汗もすぐに乾かしている。

 さっき近づいたとき、空気の流れが明らかに違っていた。「あ、またなんかやってんな」とすぐに気付いた。


『汚れたところで利があるわけじゃない。大した手間でもないし、快適に過ごして体力を温存しよう。魔術制御の訓練にもなるしな』


 表情が、そんなことを語っていた。


 なお、近づかなければ展開されていることに気付けないような魔術には、緻密な魔力操作が必要とされる。『大した手間ではない』はおかしい。

 天才と称されるクラウスでさえ、その感性と技量には若干引いている。


 だが、これを指摘しても、いいことはない。クラウスはそう考えた。

 平民のアイザックとケイランは魔術を使えない。仮に使えたとしても、普通はこんな真似できない。

 どうせアイザックが「ずるい!」と喚くだけだし、レオナルドには「なんでわざわざ言ったんだ」という視線を向けられるのがオチだ。


 ちなみにクラウスは、汗をかくのも汚れるのも嫌いではないので、特に真似をしたいとは思わない。


 クラウスは単純な性格ゆえ失言が多く、そのたびにレオナルドにしばかれている。

 そのため、少しは「口は災いの元」だと学んでいた。

 今回は、珍しくその学びが生かされた形だった。


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