魔獣には、野生のものと、“渦”から生まれるものがいる。
“渦”は詳しく解明されておらず、ある程度の傾向は分かっているものの、発生の時期や場所を正確に予測することはできない。
性質も様々だ。
発生してすぐに消える小規模なものもあれば、一週間以上にわたって存在し続けた例もある。
生み出す魔獣の種類や数も一定ではない。
討伐の容易な小型魔獣しか現れない場合もあれば、百人以上で対処にあたるような大群や、一体で村を壊滅させるような大型魔獣が出現することもある。
端的に言えば、“渦”は地震や嵐と同じく、人間の力では抗えない“災害”だ。
ただし、それがもたらすのは風でも雨でもなく――魔獣である。
対処は可能だが、未然に防ぐことはできない。
渦が発生した際には、その地域に在る武力が初動対応にあたるのが原則だ。
貴族領であれば、その貴族に仕える騎士が。
それ以外の地域では、近隣の王国軍の駐留部隊が対処する。
必要に応じて、民にも協力が求められる。
軍は王家直轄地を中心に各地へ配備されているが、それだけでは対応が困難な場合、直ちに王都軍から戦力が派遣される。
もちろん、各地方にも有能な者はいる。
軍の系譜に連なる者や、土地に根付いた指揮官をはじめとする人材が、各地の戦力として実働を支えている。
隣国との小競り合いが絶えない北端、魔獣の出没が多い西端には、特に大きな軍隊が置かれている。
だが、最も優れた戦力で構成された即応部隊は、クラウディウスの膝下――すなわち王都に置かれている。
そこには、貴族の中でも軍人となる者が限られているという現実がある。
貴族の子息では、とりわけ魔術の才能に恵まれた者ほど、「家」に属する役割を期待される。
当主となる、他家と婚姻によって繋がる、あるいは騎士として誰かに仕える。
それが「血を残す」ことであり、家の力を保つ手段でもある。
一方で軍人は、他家と政治的に繋がることもなく、職務上の危険も大きい。
優れた人材を、そうした立場に就けることを良しとしない家も多い。
軍人の道を選ぶ貴族は、大きく二つに分けられる。
一つは、自ら軍務を志した者。軍に関わる家に生まれた者のほか、家を継がない立場に生まれ、進路の自由を持つ者もこれに含まれる。
もう一つは、家の事情によって本来とは異なる道を進まざるを得なかった者だ。
自ら軍務を志した者の多くは、伯爵家以下の出である。
理由は単純に、軍の中枢にあるのがアイゼンハルト“伯爵家”だからだ。
アイゼンハルトが“ただの伯爵家”でないことは広く知られている。
それでも、高位貴族の中には、“伯爵家に傅く”という構図に抵抗を持つ者も少なくない。
魔術の才能は血統に強く依存し、家格の高い家ほど、素養を持つ者が生まれやすい。
だが前述の理由から、そうした高位貴族の子弟が自ら進んで軍に入ることはほとんどない。
軍人となるのは、家の中で役目を持てなかった者や、政治的に遠ざけたいとされた者ばかりだ。
すなわち「軍に置いても構わない」――血を残せなくても構わないと判断された者たちである。
魔術の才能に優れた者でそういった立場になる者は、少ない。
結果として、優れた戦力――魔術に秀で、武に長ける者は軍に集まりづらい。
ゆえに、数少ない「魔術を扱える即応戦力」は、王都軍としてクラウディウスの直下に置かれ、必要に応じて各地へと派遣されるのだ。
いわば、戦闘に特化したエリート部隊である。
彼らが到着すれば、渦への対応は格段に楽になるだろう。
反対に言えば、魔獣の出現頻度が低く、充分な戦力を備えていない地方は、なんとかして彼らが来るのを待たねばならない。
“街の全滅”という最悪の事態を避けるためにできるのは、持ち堪えることだけだった。
街人の言葉に全員が反応したのち、教官が周囲を見渡す。
「……よし、三手に分かれるぞ」
すかさず、レオナルドが一歩前に出る。
「役人と話してきます。“シュヴァリエ”の名があれば、対応も早くなるはずです。王都まで馬を出させましょう」
「頼む。王都への報せは早いほどいい」
教官の返答に対し、レオナルドは軽く敬礼を交わすと、即座に役場へと走り出した。
渦の規模や継続日数によっては、街を捨てる判断も必要になるかもしれない。
街にあるのは、簡素な木柵と見張り塔だけ。「防壁」と呼べる代物ではない。魔獣が大量に現れれば、無力に等しい。
状況次第で、救援依頼とあわせて、避難民の受け入れ要請も視野に入る。
――レオナルドは、初めての事態にもかかわらず、冷静に対応を考えていた。
「クラウス、お前は街を守れ。避難誘導が最優先だ。まずは広場に集めて、怪我人や病人がいたら教会に移動。医療従事者にもそちらに回ってもらえ」
教官の言葉に、クラウスは食いかかる。
「俺も前に出ます! 戦います!」
クラウスはこの場で、一番大きくて、一番強い。それは教官を含めても、だ。
いや、そんなことは関係なく――自分が最も危険な場所に立つべきだと、考えていた。
軍の家で育ち、誰かを守るために生きてきたクラウスは、それを望んだ。
しかし教官は、首を横に振った。
「君の適任はここだ、“クラウス・アイゼンハルト”。〈障壁〉で民を守ってくれ。頼んだよ、“王国の盾”」
「――ッ」
クラウスはそれでも、前に出たかった。
嫌な予感がしたのだ。
“盾”ならば、誰よりも危ない場所に立つべきだ。そう言おうとした。
だが、それをケイランが制した。
「俺たちは平民だ。魔術は使えない。街を守れるのは、お前だけだ」
その言葉にかぶせるように、アイザックが口を開く。
「軍の任務は任せるさ。『軍人は民を守るのが仕事』だろ? 魔獣退治はこの“スライム層の管理官志望”に任せとけって」
そう言って拳を、クラウスの左胸に当てる。
「前線で殴るくらいなら、得意分野だ」
「バッサバサやるのが得意なアイザックと、現場経験豊かな頼れる先輩、そして俺に任せてくれ」
クラウスは一瞬だけ口を開きかけたが、何も言わずに頷いた。
そして、知らせに来た街人と共に、避難誘導に向かう。
「さて、我々も行こう」
教官の言葉に続き、三人は街門へと走り出す。
「君たちは、“渦”の対処をしたことがあるか」
走りながら教官が問う。現場経験が長いだけあって、息を乱さずに話す。
「……ありません」
アイザックが答え、ケイランが頷いて同意した。
教官は苦笑する。
「――そうか、俺もだ」
クラウスとレオナルドはどうだろう。
ケイランは一瞬、貴族の彼らならば経験があるかもしれないと考えかけたが、すぐに打ち消す。
……余計なことを考えるな。「任せろ」って言ったんだろ。
彼は軽く頭を振り、前だけを見た。
街門に駆けつけると、怪我を負った商人とその息子、そして複数の街人の姿があった。
三人は目を合わせる。
教官は負傷者や目撃者から状況を聞き取り、ケイランは街門の外へ出て周囲を見渡す。
アイザックは物見塔へと駆け上がった。
塔のてっぺんにたどり着いたところで、下から教官の声が響く。
「アイザック! 西だ!」
その声に従い、彼は塔の西側へと身を乗り出した。
「あれが……渦」
街の西方、王都とは反対側。
遠見塔から肉眼でも確認できる距離だが、その姿ははっきりしない。
空が割れたように、ほんのわずかに空間が揺らいでいる。
アイザックは足元の鉄箱を見つけると、腰に下げたナイフで留め具をこじ開けた。
訓練で学んだ、非常時の対処法だ。
本来なら街役人が預かる鍵で開けるべき箱だが、今回は黙認してもらおう。
箱に多少の傷はついたが、開けることはできた。
「……あった。これなら確認できる」
中から取り出されたのは、見測器。その筒状の道具は、訓練のときよりも重く感じられる。
精巧なレンズで作られたそれは、かつて緊急時用に塔に備えられたものだ。
筒の片側に目を当てると、遠方の空間が映し出される。
「半壊した荷馬車が複数と、牙獣種、灰色……三頭――いや、四頭を確認。新しいのが生まれてる。奴ら、こっちに向かってくるぞ」
その報告を、地上のケイランが受け取り、役場へと急ぐ。
どこか遠くから、野獣のうなり声のような音が、かすかに聞こえた。
――災厄は、すぐそこで始まっていた。