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第40話 実地演習 迷いなき者

 役場の扉を勢いよく押し開けたレオナルドは、受付に目もくれず、真っ直ぐ奥の執務室へと歩を進めた。

 そこには、机に向かって書類に目を通していた行政官と、帳簿を整理していた補佐役、通達係の姿があった。

 彼は一瞥して、少人数だが即応可能な面々だと判断した。


 行政官と補佐役とは、軍務を始める前に挨拶を交わしていた。

 その際に名乗っているため、レオナルドが“軍人学校の生徒”であり、同時に“シュヴァリエ侯爵家の令息”であることを、彼らは知っている。


「突然失礼します。“渦”が発生したとの一報が入りました。現在、同僚が確認に向かっています。状況は未確定ですが、重大です」


 一拍おいて、レオナルドは冷静な口調で名を告げた。


「レオナルド・シュヴァリエと申します。教官より、役場と連携を取るよう指示を受けて参りました」


 彼らが自分を知っていると承知のうえで、あえて名乗る。

 “シュヴァリエ”という高位貴族を表す音を、意図して明瞭に響かせた。


『自分の言葉に従って動け』


 ――実質的には、そう命じたのだ。ただ名を告げる、それだけのことで。

『連携』と口にしながらも、この場において、それが建前にすぎないと明確に示していた。


 補佐役と通達係は、一瞬だけ行政官の方を見た。

 行政官が小さく頷くと、二人は即座にレオナルドに向き直った。


「我々は、何を」

 行政官の問いに、レオナルドは「まず、人を集めてください」と返した。


 言葉遣いこそ丁寧だが、その内容は一方的な命令だった。しかも、発したのは十五歳の軍人学校の“生徒”。

 本来であれば、反発を招いてもおかしくない行為だ。


 だが、この場では逆だった。


 緊急時に意見を募れば、優先順位を巡って混乱が生じる。

 誰が何をすべきか、明確な指針がなければ、即応は叶わない。


 いま必要なのは、「迷わず従える命令」だ。


 単なる“軍人学校の一学生”が行う“連携”では、意見の調整や反対する者への説得に時間を要するだろう。――それでは、遅い。


 迷いは命を奪う。ならば、従うべき命令を与え、迷う隙をなくす。


 自分の名ならば、それができる。

 侯爵家の血筋。貴族の権威。


 本来、王家直轄地においてシュヴァリエが口を挟むことは、あってはならない。

 レオナルドは、それを弁えている。故に『従え』とは口にしない。ただ、名乗っただけだ。あくまで『軍人学校の生徒として来た』と述べ、『連携』を求めたまで。

 彼の言葉をどう解釈し、どう行動するかは、相手の自由である。


 しかし、高位貴族に逆らった者がどうなるのか――

 それを知らぬ愚か者は、この場にはいない。


「街の有力者――顔が利く者と、自衛団や商人の代表。もし商人が護衛を雇っているようなら、彼らにも声をかけてください」


 レオナルドは、迷いも逡巡も見せず、澱みなく指示を出した。


「避難に際しての食料分配や医療提供も必要になります。その関係者も。そして……申し訳ありませんが、本日お休みの職員の方にもご協力いただけると助かります」


 通達係と補佐役は「はい!」と大きく返事をし、すぐさま役場を飛び出した。


 彼らを見送ることもなく、レオナルドは行政官に次の指示を伝える。


「会議のできる広間をお借りします。地図と紙、筆記具を用意してください」


 行政官が了承の意を示すと、レオナルドは受付へと戻り、落ち着いた口調で告げた。


「このあと、私と同じ軍人学校の学生が来るはずです。建物奥の会議用広間へ案内していただけますか。それと……もし住民の方が来たら、『現在対応中ですので、安心して広場へ避難するように』と伝えてください」


 先ほど飛び出していった二人のただならぬ様子、そしてレオナルドの纏う『人の上に立つ者』の雰囲気に、受付の者は自然と頷いた。


 沈黙の従順を確認すると、レオナルドは一切の躊躇なく広間へと足を向けた。


「このあとしばらくは、ここが俺の戦場だな」


 その声には、気負いも感慨もなかった。


 ここでの判断は、多くの命を左右する。“最善”が求められる現場となる。

 そのことを誰よりも深く理解しながらも、彼の内に在ったのは、ただ「なすべきことをなす」という静かな“当然”だけだった。

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