役場の扉を勢いよく押し開けたレオナルドは、受付に目もくれず、真っ直ぐ奥の執務室へと歩を進めた。
そこには、机に向かって書類に目を通していた行政官と、帳簿を整理していた補佐役、通達係の姿があった。
彼は一瞥して、少人数だが即応可能な面々だと判断した。
行政官と補佐役とは、軍務を始める前に挨拶を交わしていた。
その際に名乗っているため、レオナルドが“軍人学校の生徒”であり、同時に“シュヴァリエ侯爵家の令息”であることを、彼らは知っている。
「突然失礼します。“渦”が発生したとの一報が入りました。現在、同僚が確認に向かっています。状況は未確定ですが、重大です」
一拍おいて、レオナルドは冷静な口調で名を告げた。
「レオナルド・シュヴァリエと申します。教官より、役場と連携を取るよう指示を受けて参りました」
彼らが自分を知っていると承知のうえで、あえて名乗る。
“シュヴァリエ”という高位貴族を表す音を、意図して明瞭に響かせた。
『自分の言葉に従って動け』
――実質的には、そう命じたのだ。ただ名を告げる、それだけのことで。
『連携』と口にしながらも、この場において、それが建前にすぎないと明確に示していた。
補佐役と通達係は、一瞬だけ行政官の方を見た。
行政官が小さく頷くと、二人は即座にレオナルドに向き直った。
「我々は、何を」
行政官の問いに、レオナルドは「まず、人を集めてください」と返した。
言葉遣いこそ丁寧だが、その内容は一方的な命令だった。しかも、発したのは十五歳の軍人学校の“生徒”。
本来であれば、反発を招いてもおかしくない行為だ。
だが、この場では逆だった。
緊急時に意見を募れば、優先順位を巡って混乱が生じる。
誰が何をすべきか、明確な指針がなければ、即応は叶わない。
いま必要なのは、「迷わず従える命令」だ。
単なる“軍人学校の一学生”が行う“連携”では、意見の調整や反対する者への説得に時間を要するだろう。――それでは、遅い。
迷いは命を奪う。ならば、従うべき命令を与え、迷う隙をなくす。
自分の名ならば、それができる。
侯爵家の血筋。貴族の権威。
本来、王家直轄地においてシュヴァリエが口を挟むことは、あってはならない。
レオナルドは、それを弁えている。故に『従え』とは口にしない。ただ、名乗っただけだ。あくまで『軍人学校の生徒として来た』と述べ、『連携』を求めたまで。
彼の言葉をどう解釈し、どう行動するかは、相手の自由である。
しかし、高位貴族に逆らった者がどうなるのか――
それを知らぬ愚か者は、この場にはいない。
「街の有力者――顔が利く者と、自衛団や商人の代表。もし商人が護衛を雇っているようなら、彼らにも声をかけてください」
レオナルドは、迷いも逡巡も見せず、澱みなく指示を出した。
「避難に際しての食料分配や医療提供も必要になります。その関係者も。そして……申し訳ありませんが、本日お休みの職員の方にもご協力いただけると助かります」
通達係と補佐役は「はい!」と大きく返事をし、すぐさま役場を飛び出した。
彼らを見送ることもなく、レオナルドは行政官に次の指示を伝える。
「会議のできる広間をお借りします。地図と紙、筆記具を用意してください」
行政官が了承の意を示すと、レオナルドは受付へと戻り、落ち着いた口調で告げた。
「このあと、私と同じ軍人学校の学生が来るはずです。建物奥の会議用広間へ案内していただけますか。それと……もし住民の方が来たら、『現在対応中ですので、安心して広場へ避難するように』と伝えてください」
先ほど飛び出していった二人のただならぬ様子、そしてレオナルドの纏う『人の上に立つ者』の雰囲気に、受付の者は自然と頷いた。
沈黙の従順を確認すると、レオナルドは一切の躊躇なく広間へと足を向けた。
「このあとしばらくは、ここが俺の戦場だな」
その声には、気負いも感慨もなかった。
ここでの判断は、多くの命を左右する。“最善”が求められる現場となる。
そのことを誰よりも深く理解しながらも、彼の内に在ったのは、ただ「なすべきことをなす」という静かな“当然”だけだった。