「――報告!」
レオナルドが役人たちと今後の対応について協議していると、ケイランが駆け込んできた。
「渦の中心は谷の縁にある街道、大きさは馬の身体二つ分だ」
彼は肩で息をしながらも、言葉を繋いでいく。
「魔獣の数は、物見塔から確認できた限りで四頭。全部、灰色の牙獣種だ。まだ新しいのが生まれてる。アイザックと教官は対応に出た」
灰色の牙獣種――狼型の魔獣の通常個体とされる『グレイファング』。
あれは足が速い。商人たちはよく逃げられたものだ、とレオナルドは内心で考えた。
ケイランの報告は、まだ続く。
「商人たちの話では、三台の荷馬車が巻き込まれたらしい。それと……死者が出ている。魔獣たちに、喰われてしまったそうだ」
誰かが息を呑む音がした。ある者は顔を顰め、ある者は神に祈った。
しかしレオナルドはまるで動揺せず、ただ、「餌があったから、すぐにこちらに向かわなかったのか」と、納得していた。
彼は、生まれながらの為政者だ。
『数人の犠牲』によって、街に脅威を伝えるための『数十分の猶予』が得られたのなら、それは“利”であると認識した。
その瞳には、怒りも哀しみも存在しない。
宿っていたのは、「今、何をすべきか」を選び取る冷静さだけだった。
レオナルドはすぐにペンを取り、流れるように走らせた。
「これを持たせてくれ」
たった今得た情報をもとに完成した文を、役人の一人に手渡す。
「まだ救援要請を出してなかったのか!?」
ケイランの叫びが空気を震わせた。
だが、レオナルドは揺るがなかった。
「『助けてくれ』では兵は動かせない。知っているだろう」
わずかに声を落とし、静かに言い添える。
「……ケイラン。俺たちが、誰よりも冷静でなければいけない。違うか?」
その言葉に、ケイランは何かを呑み込み、黙って頷いた。
正しい。正しいけれど、だからこそ苦しい。
そんな思いが言葉にはならず、胸の奥に残った。
「お前が走ってきてくれたから、何より正確な報告をしてくれたから、すぐに文を出せた。――ありがとう」
「――あぁ」
ケイランはレオナルドのライトブルーを見て、無意識に自分の胸元を握っていた。
その姿は、自らの魂の在処を確認するかのようだった。
「俺はここでもう少し対策を詰める。お前はアイザックたちに合流してくれ」
その言葉に頷き、ケイランは部屋を出た。
前線のことだけを考えるなら、本来、レオナルドが合流したほうがいい。ケイランも剣に長けてはいるが、レオナルドという武力と比べば、差は歴然としている。
けれどレオナルドは既に、“この後”のために思考を巡らせていた。
守るべきは、目の前の数人だけではない。街一つを、いや、それ以上を守るために、彼は動かねばならない。
この街は、王都と西方を結ぶ中継地として機能している。
対応を誤れば、周囲の物流に遅延や混乱が生じる可能性がある。それは、王国の経済に損害をもたらす。
目先の金銭だけの問題ではない。商いの滞りは、職を失くす者や犯罪に走る者、飢えて死ぬ者を生む。
それは、王国から『人』という財産を削ることに他ならない。
ほんの、ひと瞬き。
レオナルドは脳内から“渦”に関するあらゆる情報を引き出した。
軍人学校での講義。
図書館で読んだ過去の記録。
アイゼンハルト伯爵家に保管されていたレポート。
それらを、まるでパズルのように組み立てながら、“最適解”を探す。
渦のサイズは馬二頭分。
生まれたのは牙獣種の通常個体。確認できた数は、四頭。
渦は閉じておらず、魔獣の出現はまだ続いている。
商人たちの逃走速度から逆算できる渦の発生時刻と、現状の照合も含めて。
――渦の性質は完全には解明されていない。
軍人学校の一生徒からの報告で未来を予測するのは、馬鹿げている。
故にレオナルドは、「高い確率で起こり得る現象」と「最悪の事態」の両方を考え、対処を決めた。
この場において、彼にしかできないことだった。
「馬の扱いと度胸に自信がある――可能であれば腕の立つ者を二名、貸してください。渦の向こう側から人が来ないようにしたい」
一拍だけ間を置く。
皆が「どうして」と疑問を覚えた瞬間、それを埋めるように言葉を継いだ。
「渦は片側からしか魔獣を生みません。ですが、生まれた魔獣が反対側へ抜ける可能性はあります。戦場に民間人が入り込めば、その分対応する者の負担が増す。それは避けたい」
生死がかかっているこの場では、あちらの人間に被害が出る――つまり「他者に危険が及ぶ」という懸念よりも、「自分たちの守りを崩すことを避けたい」と考える者が多い。
レオナルドは、そう読んで発言した。
案の定、その場にいた者たちは頷いた。
だが同時に、「ではどうすればいいのか」という迷いも、顔に浮かんでいた。
レオナルドは彼らをゆっくりと見回し、言い聞かせるように口を開いた。
「渦の中心部を避ければ、馬で抜けられます。谷の上手にある丘――地図で言えば、この辺りを通って反対側へ行ってください。魔獣が現れるのは街側のみ。あちら側は、まだ安全圏にあります」
渦さえ通り過ぎてしまえばいい。
そう言うレオナルドの言葉に、人々は自然と従った。
齢十五にして、すでにその声には、人を信じさせるだけの重みがあった。