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第42話 実地演習 名もなき戦線

 渦のあちら側へ向かう街人が、二人決まった。

 一人は、話し合いの最中に真っ先に名乗り出た青年だった。声には覚悟があり、目には恐れがなかった。


「ありがとうございます。あなたの肩に、この街の未来がかかっています」


 レオナルドは、彼に軍人式の敬礼を向ける。

 それに対し青年は、どこか誇らしげに敬礼を返した。


 もう一人は、馬の扱いに長けていると周囲に推薦された青年だった。気圧されたように黙り、服の裾を握りしめていた。

 レオナルドは彼の前に歩み寄り、まっすぐに目を見据える。そして、そっと両肩に手を添えて、静かに言った。


「魔獣の対処は、仲間が行います。あなたたちに危険が及ぶことはありません」


 緊張を見抜いたうえで、不安を断ち切るための言葉を与える。

 穏やかに、同時に『恐れることなど何もない』と感じさせる声で。

 彼は、目の前の人間を見極め、各々の心に最も響く振る舞いを選び取っていた。


 二人の街人はそれぞれに頷き、扉を開けて廊下に消えていった。


 レオナルドは残った者たちを見回し、一人ひとりと視線を交わす。

 そして、端然とした口調で、次々に言葉を紡いでいく。


「住民は全員、広場に避難させます。これはすでに我々の仲間が行なっています。病人や怪我人は、教会に向かわせたでしょう」


 彼は、教官からこの指示を直接受けていない。

 だが街人からの報告で、クラウスが住民を広場へ、病人や怪我人を教会へと誘導していると知った。

 非常時ならば当然の判断だと納得し、それを補完する。


「しかし、取り残された方がいるかもしれません。区域ごとに、避難完了の確認をお願いします」


 レオナルドのよく通る声が、部屋の隅々まで届く。


「家を出る際に、火の元を確認したかどうか。必ず聞いてください。家族単位での移動を基本に、誘導には十分な人手を割いてください」


 足の速い伝達係が「承知しました」と応じ、床を蹴るように部屋を飛び出していった。

バタバタとした足音に反して場に揺らぎはなく、レオナルドは次の対応を口にする。


「子供や高齢者の中で、身寄りのない方には、信頼できる近隣の方を一時的な保護役として付けてください」


「近所の顔はだいたい分かります。私はまだ一人で動けますから、子供や年寄りが一人になっていないか、見てまわります」


 年配の女性がキビキビと答えて、軽やかにその場を後にする。

 ライトブルーの瞳がその姿を一瞬追い、すぐにまた言葉を発する。


「家畜が暴れそうなら、広場近くの空き地にまとめておいてください」


 それに対し、がっしりした体格の青年が手を挙げる。


「馬や羊の扱いなら慣れてます。皆に声かけて集めてきます」


 レオナルドが頷くと、青年は勢いよく駆け出していった。



 レオナルドから言葉が切り出されるたびに、誰かが応じ、動いた。

 紡ぐのは“若者”の声――それでも、誰ひとり反発を覚えない。皆が自然とその役を担っていく。


 それは単に“貴族”の命令だからというわけではなかった。

 彼の持つ風格と、そこから生まれる説得力。

 誰もが無意識下で、彼の口にした言葉を“正解”として受け止めていた。


 街人たちの無自覚な求めに応えるかのように、レオナルドは言葉を口にしていく。



「広場に簡易テントを。行商人が利用しているものを立てて、年寄りや乳児のいる家庭は優先してそこで休めるようにしてください。それと、水場の確保と、簡易の排泄場所も作ってください。衛生環境を保つことは、疲労と病の予防になります」


「分かりました。皆に伝えます」


 商人の代表者がそう答え、控えめに一礼する。そして、その場に留まった。彼の瞳は『まだ他にもできることがある』と指示を待っていた。

 意図を受け止めたレオナルドは、そのまま言葉を繋ぐ。


「今後、広場はただの避難場所ではなく、支援の拠点として機能させます。水、食料、医療の導線を整えてください。一日……長くても二日持たせれば、王都からの救援が来ます。そのときには、支援体制が整っている状態にしたい」


 先ほどの商人の代表と役所の職員が、互いに顔を見合わせた。

 その反応を見ながら、レオナルドは続ける。


「我々がすべきことは、彼らの到着まで生き延びること。そして、彼らを支えることです。動ける者は情報伝達、物資運搬、看護などに回し、“街全体で生き残る”体制を取ってください」


「運搬や伝達なら任せといてください! 普段から鍛えてますからね! “生き残らせる”のも、仕事のうちです!」


 商人に雇われた護衛が、明るく笑って胸を叩いた。


「薬師と医者の中で救急対応に長けるものを一人門に置きます。残りは一人を広場に、他は教会へ。また、医師の手伝いを行う人を広場で探してください」


 門に置くのは、魔獣に襲われた者が逃げ込んでくる場合への備えだ。

 観測されていない魔獣が潜んでいる可能性も、完全には否定できない。その被害者が逃げ延びてきたとき、すぐに処置できる体制が必要だ。

 もちろん、なんらかの事情でケイランたちが戻ってきたときに、即応する意味もある。


 広場に置くのは、後に発生し得る「新たな軽症者」をフォローするためだ。

 怪我人を逐一教会まで移動させるのは効率が悪い。簡単な手当は、広場で完結した方がいい。


「逃げる途中で転んだり、動揺から気分を崩す者も出てくるでしょう。広場での即応は、想像以上に重要です。――よろしくお願いします」


 レオナルドは、医療関係者の代表に向けてわずかに瞳を細めた。

 それは、“託された”と相手に感じさせるために選ばれた、意図的な表情。


 代表は、その視線に対し、感じ入るかのように深く頷いた。


「物見塔と門で、四人一組の見張り班を組んでください。塔に三人、門に一人を配置します。塔では、一人が観測、もう一人が記録と伝達、残り一人が補助と交代要員を務めてください」


 壮年の街人が、「塔の上に長くいるのは大変ですからな。交代役は必要でしょう」と呟き、すぐに他の者と視線を交わす。現場を知る者同士の反応だ。


「見張りの合図はどうします?」と尋ねたのは、以前から城門の管理をしていた役所の者だった。


「情報の伝達は、塔から旗と笛で行います。今から伝える合図を覚えてください」


 街人たちは真剣な面持ちで「はい」と答えた。誰一人として、気を緩めてはいない。自分たちの手で街を守ろうという意志が、そこにあった。

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