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第44話 台上の指揮者

 レオナルドは役人たちと共に執務室を出ると、駆け足で広場へ向かった。


 広場ではクラウスが、先に役場を出た者たちと共に、避難誘導に当たっていた。そこには多くの者が集まっていたが、まだ全員ではなかった。


 困惑する者、渦の発生を信じられない者、その脅威を知らぬ者、そして怯える者。それぞれの不安が入り混じり、空気を重くしている。


 レオナルドはクラウスに状況を尋ねた。返ってきたのはごく簡潔な説明だったが、それで十分だった。

「分かった」とだけ応じ、彼は役人たちが指示用に準備していた台の上に立った。


「皆様、聞いてください」


 よく通る、美しい声だ。

 うるさくはないが、騒がしさに埋もれもしない。それは、人の上に立つ者にふさわしい声だった。


「街門から西方、馬で二十分ほどの谷で“渦”が発生しました。直接“渦”の影響を受ける距離ではありませんが、魔獣の進行方向次第では、街に被害が及ぶ可能性があります」


 レオナルドは広場全体を見渡し、恐怖が再びざわめきへと変わる前に、間髪入れず言葉を継いだ。


「すでに負傷者も出ています。勇敢な商人が街まで駆けつけ、現状を知らせてくれました」


 “街まで知らせに駆けつけた勇敢な商人”とは、すなわち“命からがら街まで逃げてきた商人”だ。そして、その行動によって、魔獣の矛先がこちらに向いた可能性もある。

 しかしレオナルドは、彼の行動を“美談”として語った。混乱の火種となる、無為な怒りを生ませないために。


「我々の仲間が現地に向かっています。また、王都への救援要請も済ませました。明日、遅くとも明後日には、援軍が到着する見込みです」


 災厄はすぐそばで起きている。

 にもかかわらず、助けが来るのは明日か明後日。

 それは、残酷な現実だった。


 パニックが起きてもおかしくはない。

 だが、レオナルドはそれを許さない。


 そうさせぬだけの深い響きが、彼の言葉にはあった。


「申し遅れました。私は、レオナルド・シュヴァリエと申します。――私が前線に立ち、魔獣を屠りましょう」


 家名を持つのは貴族である。レオナルドが名を名乗ったのは、「貴族」であることを明確に示すためだった。


 平民から見れば、権力によっても、魔術という武力によっても、自分たちを簡単に踏み潰せる存在だ。

 しかしその“力”を、自分たちを守るために振るってくれると言う。これほど心強いことはなかった。


 ……レオナルドは今、“軍人”としてこの場に立っている。民を守るために剣を抜くことは、その務めにおいて当然の責務だ。


 それでも、民の心は打たれた。

『貴族様が、我々のために戦ってくれる』──それだけで、人々の胸は熱くなった。


 その空気が広場に浸透したのを見て、レオナルドは言葉を継いだ。


「そして彼は、クラウス・アイゼンハルト。この場において、誰よりも強い男です。……ま、これは見れば分かるかな?」


『見れば分かるかな?』という一言は、あえて軽く、ユーモラスに添えた。

 いくつかの笑いが、控えめに広がる。緊張が、わずかにほどけた。


 その瞬間を、レオナルドは逃さなかった。


「ご存知の方もいるでしょう。“アイゼンハルト”は『王国の盾』と呼ばれる家です。何があろうと、彼がいる限り、あなた方に危険は及びません。──ですが、彼が本領を発揮するためには、皆さんの協力が必要です」


「何をすればいいですか?」


 広場の一角から、大きな声が響いた。それは、先の会議でレオナルドが仕込んでおいた“質問役”だった。


「行政官の指示に従ってください。彼らには、すでに必要なことを伝えてあります。どうか、彼らと協力して動いてほしい」


 質問役に言葉を返しながら、ゆっくりと広場全体を見渡す。

 この場にいる住民たちは皆、『レオナルドと目が合った』ように感じていた。


「私は前に出て戦います。そして彼は、ここに残ってあなたたちを守ります。ですが、それだけでは足りません」


 ライトブルーの瞳に『誠実』の色を宿し、レオナルドは続ける。


「どうか、周囲の人を見てください」


 大きく手を広げ、『周囲の人』を指し示す。

 今度は、民衆同士が目を合わせるように。

『助けねばならない相手』を認識し合うように。


「彼らを助けてください。支え合ってください。声をかけ、手を取り、共に生き残りましょう」


 煽ることはしない。だが、その振る舞い、その静かな強さが、すべてを物語っていた。

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