レオナルドは役人たちと共に執務室を出ると、駆け足で広場へ向かった。
広場ではクラウスが、先に役場を出た者たちと共に、避難誘導に当たっていた。そこには多くの者が集まっていたが、まだ全員ではなかった。
困惑する者、渦の発生を信じられない者、その脅威を知らぬ者、そして怯える者。それぞれの不安が入り混じり、空気を重くしている。
レオナルドはクラウスに状況を尋ねた。返ってきたのはごく簡潔な説明だったが、それで十分だった。
「分かった」とだけ応じ、彼は役人たちが指示用に準備していた台の上に立った。
「皆様、聞いてください」
よく通る、美しい声だ。
うるさくはないが、騒がしさに埋もれもしない。それは、人の上に立つ者にふさわしい声だった。
「街門から西方、馬で二十分ほどの谷で“渦”が発生しました。直接“渦”の影響を受ける距離ではありませんが、魔獣の進行方向次第では、街に被害が及ぶ可能性があります」
レオナルドは広場全体を見渡し、恐怖が再びざわめきへと変わる前に、間髪入れず言葉を継いだ。
「すでに負傷者も出ています。勇敢な商人が街まで駆けつけ、現状を知らせてくれました」
“街まで知らせに駆けつけた勇敢な商人”とは、すなわち“命からがら街まで逃げてきた商人”だ。そして、その行動によって、魔獣の矛先がこちらに向いた可能性もある。
しかしレオナルドは、彼の行動を“美談”として語った。混乱の火種となる、無為な怒りを生ませないために。
「我々の仲間が現地に向かっています。また、王都への救援要請も済ませました。明日、遅くとも明後日には、援軍が到着する見込みです」
災厄はすぐそばで起きている。
にもかかわらず、助けが来るのは明日か明後日。
それは、残酷な現実だった。
パニックが起きてもおかしくはない。
だが、レオナルドはそれを許さない。
そうさせぬだけの深い響きが、彼の言葉にはあった。
「申し遅れました。私は、レオナルド・シュヴァリエと申します。――私が前線に立ち、魔獣を屠りましょう」
家名を持つのは貴族である。レオナルドが名を名乗ったのは、「貴族」であることを明確に示すためだった。
平民から見れば、権力によっても、魔術という武力によっても、自分たちを簡単に踏み潰せる存在だ。
しかしその“力”を、自分たちを守るために振るってくれると言う。これほど心強いことはなかった。
……レオナルドは今、“軍人”としてこの場に立っている。民を守るために剣を抜くことは、その務めにおいて当然の責務だ。
それでも、民の心は打たれた。
『貴族様が、我々のために戦ってくれる』──それだけで、人々の胸は熱くなった。
その空気が広場に浸透したのを見て、レオナルドは言葉を継いだ。
「そして彼は、クラウス・アイゼンハルト。この場において、誰よりも強い男です。……ま、これは見れば分かるかな?」
『見れば分かるかな?』という一言は、あえて軽く、ユーモラスに添えた。
いくつかの笑いが、控えめに広がる。緊張が、わずかにほどけた。
その瞬間を、レオナルドは逃さなかった。
「ご存知の方もいるでしょう。“アイゼンハルト”は『王国の盾』と呼ばれる家です。何があろうと、彼がいる限り、あなた方に危険は及びません。──ですが、彼が本領を発揮するためには、皆さんの協力が必要です」
「何をすればいいですか?」
広場の一角から、大きな声が響いた。それは、先の会議でレオナルドが仕込んでおいた“質問役”だった。
「行政官の指示に従ってください。彼らには、すでに必要なことを伝えてあります。どうか、彼らと協力して動いてほしい」
質問役に言葉を返しながら、ゆっくりと広場全体を見渡す。
この場にいる住民たちは皆、『レオナルドと目が合った』ように感じていた。
「私は前に出て戦います。そして彼は、ここに残ってあなたたちを守ります。ですが、それだけでは足りません」
ライトブルーの瞳に『誠実』の色を宿し、レオナルドは続ける。
「どうか、周囲の人を見てください」
大きく手を広げ、『周囲の人』を指し示す。
今度は、民衆同士が目を合わせるように。
『助けねばならない相手』を認識し合うように。
「彼らを助けてください。支え合ってください。声をかけ、手を取り、共に生き残りましょう」
煽ることはしない。だが、その振る舞い、その静かな強さが、すべてを物語っていた。