「いるじゃん……」
7時間後に目覚めても、まだ狼たちは周辺をうろうろしていた。
結界の中にいる俺の姿は見えていないはずだが、俺の肉を少し食べたことで、人間の味に目覚めたのか、それとも元々この辺りが根城なのか。
いずれにせよ、腹を括る必要がありそうだ。
俺は1クリスタルを使用して、狼の情報を得る。
『リングピルオオカミ:通常体 リングピル大陸全土に分布する狼。群れで行動し、大型怪物を狩ることもある。餌は小動物などだが、雑食性が進んでおり、木の実なども食べる。群れは通常8から20頭程度の数だが、時に50頭を超える場合もある。怪物体となった個体は、最終的に自らの群れを食い殺し、その後、他の怪物に殺される。稀に殲滅捕食者となる。該当個体は通常体。精霊石出現確率は、水20%、無垢80%』
「前の大猿のときにも出てたけど、『怪物』ってなんなんだ……」
謎の単語を知ってる前提での説明なので、ピンと来ないが、要するに狼だ。
特に「大型」という説明もないから、あれが一般的なサイズなのだろう。というか、あの大猿みたいな4メートルを超すような生物がいるのだから、ちょっと大きい狼なんて「普通」の範囲内ということなのかもしれない。
俺は立ち上がって、結界の範囲内から周囲を確認した。
「……見える範囲にはないか」
落とした結界石を回収しなければならない。あれは虎の子の1ポイントで交換したもので、近くに落ちているはずなのだ。
さすがに、まだ結界石の効果時間が残っているから、外に出たりはしないが、どう行動するかは決めておかなければならない。
結界石を使った時間は朝の8時だ。
いつから気を失っていたかは謎だが、夜明けまでは歩いていた記憶がある。つまり、早朝に気絶して、8時前に襲われたのだろう。狼たちは朝食を探しに来ていたのかもしれない。
そして今は午後の3時過ぎ。
結界石の有効時間は12時間だから、夜8時までこうしていられる。
「夜になれば抜けられるか……?」
狼たちが俺と同じように昼間に寝ていたとは考えられない。24時間行動できるはずもなし、日が暮れれば巣へ帰るはずだ。
襲われた時もダークネスフォグの中に狼たちは入ってこなかったし、なんとかなる……。そのはずだ。
あの「ヒント」も、まだ有効だろう。
俺は時間が許すかぎり、闇の精霊術の練習をして過ごした。
ダークネスフォグを結界内で使うことで、また「闇の大精霊」が出現しても怖いので、あまり闇が濃縮しなさそうな、シャドウランナーとシェードシフトを重点的に。
そうこうしているうちに日暮れとなり、予想通り狼たちはどこかへ走り去っていった。
◇◆◆◆◇
夜8時。
結界が解けてから、周囲を1時間も探し回って落とした結界石を発見し、また闇を纏って俺は歩き出した。
やはり夜に行動する生物は少ないのか、順調に歩くことができた。
数時間に一回くらいはサンゴスグリの群生地に出会うため、食料に困ることもなかった。
技術があれば、大きなリスや鳥なども狩ることができるのかもしれないが、今の俺には無理だ。まあ、贅沢なんて言っていられる状況ではない。
あれから視聴者はコンスタントに毎日6億人ほどもいる状況が続いている。
ちょっと考えられない人数だ。そんなことありえるのだろうか。
俺は、こうして闇に乗じて歩いているだけだ。魔物に出会ったとはいえ、大猿と狼だけだ。しかも、戦うわけでもなく、ただ結界の中に引き籠もっているだけ。
到底、6億人もの視聴者を引きつける要素があるとは思えなかった。
考えられるとすれば、唐突に現れた転移者が死にかけているのを面白がって見ているか。あるいは、必死に足掻く姿を見て応援してくれているのか。
他の転移者はどうなっているのだろう。転移者が得られる情報が少なすぎる。
『累計視聴者数20億人突破』も達成している。
転移者は1000人もいるのだ。一人で見れる人数は限られている。
つまり、どう考えても、俺は上位……かなり見られているほうだ。
「今も画面越しに見ている人がいるんだよな……」
6億人もの人間に自分が見られていることが、リアルに想像できなかった。
いや、そんなのは当然か。
生き残ることに必死であまり考えないようにしていたというのもある。
だが、こうして夜中に一人で歩いていると、ふと考えてしまうものだ。
「みんな……どうしてんのかな…………」
両親と二人の妹のことを思う。
今、俺がこうしているのをハラハラしながら見ているのだろうか。
結果的に俺は生きている。
死ななかっただけ、親不孝ではない……なんて言ってみても仕方がないだろうけど、「行ってきます」も言えずこんな場所にいる俺にできる親孝行は『死なないこと』一択なのだろう。
月の明るい夜だった。
満月から少し欠けているけれど、それでも夜の森を月明かりは優しく照らしている。
俺は少し明るい場所を見つけて立ち止まった。
どういうふうにこれが放送されているのかは不明だ。
カメラらしきものは、どこにも見当たらない。
あるいは、遥か上空から超望遠で撮影しているのだろうか。
だから、この音声が届くかどうかはわからない。
でも、伝えておきたかった。
「……父さん、母さん、セリカ、カレン。自分でも……なんで、こんなことになっちゃったのかわかんないんだけど、なんとか……生きてます。俺がここに来たのは事故みたいなものだったし……帰れるのかとか、わかんないけど、できれば生きて帰りたいとは思ってます」
虚空に向けてメッセージを発するという、未知の体験にシドロモドロになってしまう。
ナナミと一緒に殺されかけたこと、犯人のこと、いろいろ話したいことがあったはずなのに、一方的なメッセージではどう伝えていいのかわからない。
「ナナミもこっちに来ているはずだから、探して合流して……そっから先のことはわかんないけど、多分なんとかなると思うので、心配しないでいて下さい。今は、ちょっと森から出るのに時間かかりそうだけど、大丈夫です。ポイントも残ってるし、夜に移動すれば危険もあまりないみたいだから」
強がりだった。
親や妹達が見ていると思えば、弱音ばかり吐いていられなかった。
本当は、泣き出したかった。
身内に向けて話している――その事実が、心の弱いところを刺激していた。
ナナミのことだってわからない。
もしかしたら、あのまま死んでそのままだったのかもしれない。
おじさんとおばさんだって、あの男に殺されたのかもしれない。
他の転移者のこともわからない。
俺以外みんな死んで、だから俺のことをみんな見ているのかもしれない。
この世界のことだってわからない。
荒廃した街だけしかない死の世界かもしれない。
こんな森の中で、俺は自分が異世界にひとりぼっちなのかもしれない不安のただ中にいた。
だからだろうか。
俺とナナミを殺した相手のことも、考えることすらなかった。
なにもわからなかった。知る手段もなかった。
俺にできることは、ただ一方的なメッセージを家族に送ることだけだ。
「このメッセージも……届いてるかどうかなんて、全然わかんなくて……みんながなんで俺を見ているのかもわかんなくて……。でも、視聴者が多いから、クリスタルとか貰えて、正直……助かってるから、ありがとう。…………ありがとうございます」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
俺は、いわゆる陰キャというやつで、大勢に向けて話すのは苦手だった。
自分の意見を言うのも、自分のことを話すのも。
ふいに、涙がこみ上げてきて俺はダークネスフォグを使い、闇に紛れた。
俺は一人じゃない。
そう信じることで、生きる気力が湧いてくる気がした。