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020 一縷の望み、そして精霊の寵愛



「くそっ……! 絶対、食われるもんかよ……!」


 俺は狼の群れに見つかっていた。

 ダークネスフォグを切らさないように連続使用し、時々シャドウランナーを囮として相手の注意を引き、また走った。


「単独の相手なら、まだしも……!」


 群れは最初に出会ったやつらとは別の群れだろうか。それとも同じか。それはわからない。

 一つ言えることは、やつらはデカく、速く、力強かった。

 数は15頭くらい。

 ちゃんとした数を数える余裕はない。

 とにかく出し抜ける数ではないことだけは確かだ。


「ダークネスフォグ……!」


 精霊力の枯渇を感じていた。

 全身が熱っぽく、これ以上の連続使用は危険だと身体が訴えている。

 狼は闇の中に入ってくるほど無鉄砲ではないようで、ダークネスフォグが効いている間は、ただ遠巻きに様子を窺っている。

 ただし、絶対につかず離れずの距離を保ち続けていた。


 ダークネスフォグは熟練度がまた100を超え、第4位階まで上がっていた。

 闇は深く、効果範囲も広い。効果時間も4分ほどはあるだろう。

 だが、一回でたった4分だ。


「ダークネスフォグ…………!」


 一瞬の術の切れ間で、相手に俺の姿を見せてしまっている。

 そして、そんなわずかな時間でも、連中はめざとく襲いかかろうとしてくるのだ。


 夜の間であれば、ここまで連続で使用する必要はない。

 それにシャドウランナーを使うことも少ないから、精霊力にも余裕があった。

 ……いや、違うな。

 夜は、「闇」なのだ。

 明らかに、闇の精霊術を使ったときの消耗度合いが違う。

 夜に闇を発生させるのと、晴天の昼間に発生させるのでは、負荷に数倍の差がある……。そんな気がする。


 地図を確認する余裕はないが、おそらくまだ30キロは残っているだろう。

 いや、30キロは一番近くの砦までの距離だったか。

 とすると、森を抜けるまで20キロか、それとも10キロか。

 さすがに世界地図ではそこまで厳密なところはわからない。


「ダークネス……フォグ………………!」


 光を切り裂く闇の霧。

 まるで質量を持つかのような暗闇に、いきり立って周囲を走り回る狼たちも近付くことができずにいる。


 しかし限界は近かった。

 走りながらステータスボードを確認すると、3クリスタル入っていた。

 ちらっと視界に入ったログには『通算視聴者数50億人達成』の文字。 


 すかさず精霊力回復ポーションと交換し、飲み干す。

 身体から熱が引いていく。


「よし……! これで……!」


 走った。

 森を抜ける方角へ。

 一直線に。

 幸い、森はまた少し走りやすい状況に変化してきていた。

 もしかしたら、このあたりは人の手が入っているのかもしれない。


「ダークネスフォグ……!」


 それから、どれだけ走っただろうか。

 体力はもうとっくに限界だった。

 服は上も下も枝で切り裂かれボロボロ、体中も切り傷で血塗れ。


 それでも、生きていた。

 痛みも気にならないほど、脳は加熱し、ただ今、そして未来へと生を手に入れる為、精一杯あがいていた。

 本来なら、これほど走れることなどありえない。

 死が掛かっていることで、人間に隠された力が出たのだろう。


 ……だけど、もう限界だ。

 森はまだ続いている。


 ……いや、違うな。

 光が見える。

 うっすらと、森の彼方に広がる草原が。

 あと少し。もう少しなのに。

 ……いや、どっちにしろ同じか。森を抜けたらいきなり安全地帯になるわけじゃない。

 開けた場所で今以上に不利になるだけかもしれない。


 狼たちは結局俺のことを諦めなかった。

 何十頭もの狼が、涎を垂らしてすぐ近くに迫る。


 もう一歩も動けない。

 この最後の闇の霧が晴れたら、あとはもう成す術もない。


「……は、はは。相手は狼なんだから、どっかの木にでも登ってれば良かったな」


 今更そんなことを思い、笑いが込み上げてくる。

 もちろん、木に登るような体力は残っていない。

 体力も精霊力も空っぽだ。


 炎で炙られているかのように、全身が熱い。

 まるで、自分が自分でないかのように熱に浮かされている。

 気を失っていないのが奇跡だった。


「あっ」


 シャドウバッグに収納していた荷物が、影からまろび出てきた。精霊力の枯渇によりついに術を維持できなくなったのだ。

 3つの精霊石と、光る花、ロープ、シャツの袖。ポーションが入っていた陶器のコップ。

 なるほど、精霊力がなくなったら影に収納していたものは、ぶちまけられるんだなと、冷静に考えている自分がおかしかった。


「……俺は……死ぬのか」


 この暗黒の霧が晴れた時、俺の人生は終わるのだろう。

 その映像を、父さんも母さんも見るのだろうか。

 二人の妹も見るのだろうか。

 そして涙を流すのだろうか。

 ナナミはこの誰も知り合いのいない世界で、一人で生きるのだろうか。

 つい、この間まで自分が死ぬなど夢想すらしていなかったのに。

 こんな誰もいない森の中で死ぬことになるのか。


 ダークネスフォグの効果は、まだ続いている。

 闇の向こう側で、涎を垂らした大型の狼たちが、今か今かと闇が晴れるのを待ちわびている。


「嫌だ……。死ねない……。死にたくない……!」


 魂の底の底から、湧き上がってくる感情だった。

 本当の本当に死に瀕することがなければ、一生知ることのない感情だっただろう。

 異世界だからとか、そんなことは関係がなかった。

 死にたくないものは死にたくない。

 原始的な願い。あるいは、これを本能と呼ぶのだろう。


 決着が近いと、狼たちも本能的に察しているのか、俺の周囲を隙無く取り囲む。

 もうすぐ闇は晴れる。

 少しでも武器になるものとして、俺は大猿の脊椎から抜き取った精霊石を手に取った。

 溺れる者は藁をも掴む。それが俺にとって目の前に転がる精霊石だったのだ。


 精霊石は大きく硬く、今手に入る武器ではまあまあ上等なほうだろう。狼の口に詰め込むことができれば、一頭くらいなら倒せるかもしれない。

 意味はないかもしれないが、せめて一矢くらい報いたい。


 あと武器になるものといえばポイントかクリスタルだ。この二つは何かの特典で突然入ることがある。現状ではそれが一番生存確率を高めることができるものだった。

 ステータスボードを開く。


「1クリスタル入ってる!」


 ログを見ると「デイリー視聴者数トップ」によるものだった。

 これは過去に2度取ったことがあるやつだ。

 俺がいよいよヤバい状態になったことで、注目度が上がったのだろう。

 だが、1クリスタルでは現状をどうにかする手段はない。


 俺は苦し紛れに、手に持った大猿の精霊石にアイテム鑑定を行った。

 手持ちのアイテムで、可能性がありそうなのはもうこの石しかない。


 ……あるいは、本能的に感じていたのかもしれない。

 この石が持つ力を、そして――可能性を。


『精霊石 :混沌 混沌の精霊結晶は、怪物化した動物の体内から採取するか、魔物を殺すことで稀に現れる。混沌とは、精霊たちが純粋な属性を得られず混ざり合ったものであり、すべての属性を含み「魔石」とも称される。魔王からのドロップ率は100%。通常の魔物や怪物が落とすことは稀であり貴重。精霊力の源として大型の石は魔導具のエネルギー源として高額で取引されている。該当個体は、ほむら猩々の怪物体からドロップしたもの。LLサイズ。レア素材』


 怪物だの魔王だの、よくわからない単語が多いが、一つだけ引っかかった。


「精霊力の源? これに精霊力が詰まっているのか……?」


 ダークネスフォグの効果が切れ始めていた。

 徐々に闇の霧が晴れていく。

 考えている時間はなかった。


「頼むっ……!」


 俺は精霊石を両手で抱えるように持ち、強く強く握りこんだ。

 何に対して願っているのかわからなかった。

 だが、これまでずっと精霊術を使ってきて、精霊が生きている何かであるという実感は確かにあった。

 術を使っているのは俺だが、たくさんの精霊達の力を借りて、その結果としてこの闇が生まれているのだと。

 精霊石が精霊の結晶だというのなら――


「俺に力を……生き残る力を授けてくれ……!」


 ――うふふ。あはは

 ――きゃっきゃ


 どこからか声が聞こえた。

 あの闇の大精霊と同じような、だけどもっと無邪気で無垢な|何か(・・)の声が。


 次の瞬間。

 スッと身体の熱が引いていくのがわかった。

 精霊石が俺の願いに呼応したのか、俺の身体の熱が移ったかのように次第に精霊石が熱く熱を帯びていく。

 そして、石が生きているかのように鼓動を発し始めた。


 身体に精霊力が戻っている。いや、どこからか供給されているかのように、力が身体に漲ってくるのだ。

 だが、せっかく身体に戻ったその力は、なぜかそのまま石に注ぎ込まれていた。


「な……何が起きているんだ……? 精霊力が……」


 ダークネスフォグはおろか、他の精霊術も使える状態ではなかった。

 まるで、なにかの術が発動している最中であるとでもいうかのように。


 精霊石から光が溢れる。

 光は無数の色彩となり燦めき、まだ残っていたダークネスフォグの闇を払った。


 星をちりばめたような石の中の輝きが、そのまま光となり溶け出したかのようだった。

 狼たちも、この現象の前に、襲いかかるのを躊躇しているようだ。


 色とりどりの光は、石から溢れ続けている。

 不思議な鼓動と共に、石から発せられる熱は高まっていく。

 まるで――生きているかのように。


「熱っ! な、なんだ……?」


 精霊力が得られると想像していた。いや、精霊力は確かに得られたのだ。

 だが、今起きていることは想像の範囲外の出来事だ。

 ヤケドをするほどの熱さになった精霊石を、たまらず手放す。


 地面にごろりと転がった石に、あふれ出した光が集まり、そして濃密に膨れ上がっていく。複雑な色彩。

 それは次第に赤く、朱く、形を帯びていく――


「グアウッ!」


 一頭の狼が、精霊石から生まれた|何か(・・)に突っ掛かった。

 次の瞬間――

 ダンッと、その狼は数十メートルは離れた木の幹に打ち付けられていた。


「嘘だろ……」


 精霊石から溢れ出した光は、朱く紅く収束していき、骨となり肉となり血となり――巨大な一つの肢体へと結実した。

 それはまるで命を逆再生するかのような出来事。

 闇の大精霊によりバラバラにされたはずの「ほむら猩々」が、背中から朱い炎を立ち上らせ、俺を護るように立っている。


「グギャアアアゥ!」


 大猿の咆吼で、狼たちは一瞬で竦み上がった。

 生物としての格の違い。

 サイズも、力も、そしておそらくは精霊力すら、狼と大猿とでは桁が違うだろう。

 この異世界でも、狼はそれを顕著に感じとる生物だったに違いない。

 そこからは、一方的だった。


 大猿が一つ動く度に、2頭か3頭の狼が動かなくなった。

 一頭は丸太より太い腕を振り下ろされ潰され、また別の一頭はファイアブレスの炎に巻かれて死んだ。


 蹂躙。

 噛み付きと爪しかない狼の攻撃は、大猿に痛痒すら与えられていないようだった。

 俺は、現実をうまく認識できず、その様を見ていた。

 あの猿が味方なのかどうかすら、わからなかった。


 精霊力はほとんど底を付いている。

 一時的に回復したかのように思われたが、ほとんどすべてを精霊石に吸われてしまった。


 あの石は俺の願いを叶えてくれたのだろうか?

 それが、もともと精霊石に備わっている力だったのか、それとも別のなにかなのか。

 答えは、妙なところからもたらされた。


『おめでとうございます! 異世界転移者であなたが一番初めに「封印されし第八の精霊術」に開眼しました。初回ボーナスとして、3ポイントが付与されます』


「封印されし……なにそれ……」


 あっけに取られている間に、戦いは終わっていた。

 すでにまわりに動くものはない。

 大猿は狼たちを蹂躙して、俺の真向かいに命令を待つように立っている。


 不思議と恐怖は感じなかった。

 よく見ると、全体が完全に復元されておらず、所々、肉が欠け、骨が見えている箇所がある。

 ……まるでゾンビのように。


 ステータスボードを開く。


【 闇の精霊術 】

 第一位階術式

・闇ノ虚 【シェードシフト】 熟練度11

・闇ノ棺 【シャドウバインド】 熟練度0

・闇ノ喚 【サモン・ナイトバグ】 熟練度0

 第二位階術式

・闇ノ見 【ナイトヴィジョン】 熟練度9

・闇ノ化 【シャドウランナー】 熟練度21

・闇ノ納 【シャドウバッグ】 熟練度6

 第四位階術式

・闇ノ顕 【ダークネスフォグ】  熟練度1

 特殊術式

・闇ノ還 【クリエイト・アンデッド】 熟練度1


「クリエイト……アンデッド…………」


 新しい精霊術が芽生えていた。

 どうやらアンデッド……つまりゾンビを作る術のようだ。

 俺の願いが、あの精霊石に吹き込まれた結果、その術に目覚めたということなのか。

 画面をタップして説明を見る。


『各属性に一つだけの特殊術式。闇の精霊術のそれは、アンデッドを作るというもの。材料として「闇の精霊石」か「混沌の精霊石」が必要。作られるアンデッドはその石の生前の姿をとる。怪物や魔王のアンデッドすら作成が可能な強力な術だが、必要精霊力が大きいので、使用には注意が必要。熟練度アップにより作成時間の短縮と維持時間の増加が可能。位階の変化はなし。使用した精霊石は失われる』


 目の前に立つ大猿を見る。

 ほとんど生前と変わらないように見える。

 その戦闘力も、あれだけの一瞬で狼たちを蹴散らすほどのもの。おそらく、生前とほとんど同じだろう。

 だとすると、この力は破格……いや、強大すぎる力だ。

 原料が必要という部分がストッパーなのかもしれないが……。


 精霊力は少し回復していた。


 ――きゃっきゃっ

 ――あははは


 声が遠ざかる。

 多分この声は精霊たちの声なのだろう。

 闇の大精霊のような形ある精霊ではなく、この世に遍在する小さな精霊達の声。


「……ありがとう」


 虚空に向けて呟く。

 クリエイト・アンデッドは維持時間があるのだという。まだ、危険が完全に去ったわけではないのだ。急がなければ。


「大猿、狼の死体から精霊石を抜き取れるか?」

「グァウ」


 俺の命令を素直に実行する大猿。


「うっ……グロいな」


 狼の身体から種を絞り出すかのように精霊石を取り出す大猿。

 猿だけに器用だが、少し可哀想にすら見えてしまう。

 あれだけ命を狙われていた相手だが、別に彼らに罪があるわけではないのだ。容易い獲物がいたなら狙う。それは自然の摂理みたいなものなのだから。


 精霊石はほとんどが子猿のものと同じ透明のもので、一つだけ青く輝く石だった。

 なるほど、星をちりばめた「混沌」の石はかなりレアなのだろう。


 石の次は食料となる果物を取って来てもらった。

 もうすぐクリエイトアンデッドの維持時間が終わるという感覚があった。

 果物の採取が終わってから、大猿は一鳴きして輝く粒子となって消えた。


 俺は狼の精霊石と果物をシャドウバッグにしまい歩き出した。

 念のために、1ポイントで新しい結界石を出しておくのを忘れずに。


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