「はぁ……。まさか俺を捜していたとは……。これからどうすっかなぁ」
宿に戻った俺は項垂れていた。
彼女がどういうつもりかわからないが、どうせろくなことではあるまい。
闇の精霊術者として通報しようとしているのか、それとも光へ改宗でもさせようとしているのか、悪い方向へ考えればいくらでも想像ができた。
本当に……街を出る必要があるのかもしれない。
だとしても、今の手持ちの金ではどうにもならないだろう。
地図があるから移動そのものは可能だろうが、せっかく迷宮で食べていけそうな気がしてきたところだ。簡単に手放したくないという思いもあった。
その日は結局、深夜といっていい時刻になってから迷宮に入り、ゴブリンとオークを相手に少し狩りをした。
辺りが明るくなる時間の前に、そっと迷宮から外に出る。
そんな日を数日繰り返した。
深夜にはさすがにリフレイアは迷宮の入り口にはいなかった。
まだ俺を探しているのかどうかはわからない。
さすがに、街中で術を使って逃げたのだ。
俺が本格的に接触を避けていると彼女も理解してくれたのかもしれない。
精霊石が溜まったころ、俺は買い取りを頼むため闇市に訪れていた。
街を出るにせよ、出ないにせよ、金がなければどうにもならないのだ。
「やっと、見つけましたよ……!」
闇市の手前でダークネスフォグを解除し、店に入ろうとしたところで誰かに腕を掴まれた。
物陰に隠れていたらしい、薄汚れた路地裏には似つかわしくないプラチナブロンドの髪を下ろした美人。
リフレイアだ。
「おっ、お前。なんでここに」
「ふふん。この辺りで精霊石の違法買い取りをしているところは、ここくらいですからね。登録された探索者に該当人物がいないことから、あたりを付けました」
「ずっと、ここで待っていたのか……?」
「ええ。迷宮前でも待ってみましたが、あなた、現れないじゃないですか。……まあ、ここもダメ元だったんですけど」
店の中の親父を見ると、わざとらしく肩をすくめてみせた。
顧客情報を守るような店じゃないだろう。銀貨の一枚もちらつかせればペラペラと喋ったに違いない。
黒髪黒目の人間は少ない。まして、俺みたいに全身黒ずくめならば尚更だ。
「やっと……やっと見つけたんですからね。今度は逃げないで下さいね?」
驚いて初動が遅れた俺の腕をリフレイアがグッと掴む。
細指が腕に食い込み、その見た目からは想像できない力強さに、彼女の強い意志が込められていた。
――正直、唖然としていた。
俺はこの街ではほとんど足跡を残していない。
食事は全部屋台で済ましているし、そもそも昼間は外に出ていない。
誰も起きていないような夜中に迷宮と宿を往復してるだけの生活なのだ。
それなのに、彼女は俺を見つけた。執念深いというかなんというか。
それだけ、俺を見つけることが、彼女にとってメリットとなる……そういうことなのだろう。
腕を掴むリフレイアの手から、尋常ではない膂力を感じる。
彼女がその気になれば、腕をそのまま握りつぶすのではないかというような。
これを引き剥がすなら、それこそナイトバグを出すか、マンティスをアンデッド召喚するか、結界石を出すくらいしかなさそうだ。
「……俺をどうするつもりだ」
闇の精霊術の使い手として、どこかへ突き出すつもりなのか。
彼女は、さっき登録された探索者という言葉を使った。俺は無免許の探索者だ。掴まえれば報奨金なんかが得られるのかもしれない。
牢屋に入るのはごめんだ。まして、こんなところで死にたくはない。
「返答次第では、全力で抵抗させてもらう」
シャドウバッグの中にはマンティスの精霊石がある。
あれをここでアンデッド召喚したら、街中大パニックだろうが、確実に逃げ切れるだろう。
アンデッド召喚した魔物は俺の命令に従うから、リフレイアだけを足止めしろと命令すれば、誰の命を奪うこともない。俺は街を出なければならなくなるが、いずれにせよ、もうこうなったらこの街にはいられないのだ。
しかし、彼女の返事は想像の範囲外のものだった。
「え? どうって、別にどうも……。ただ、命を救っていただいたお礼をしたかっただけですよ?」
ケロリとそんなことを言うリフレイア。
役所みたいなとこに突き出すつもりではないのか?
いや、油断したところをグサリといくのかもしれない。
どれだけ美人だろうが知らない相手だ。警戒は解かない。
「いらん。この手を放せ」
「ダメですよ。あなた、逃げるじゃないですか」
「だから、礼なんていらないと言っているだろ。話は終わりだ」
「あなたが良くても、私がダメなんです。ね? 少しだけでいいですから」
ニッコリと微笑むリフレイア。
なんなんだこいつは。
全然、人の話を聞かないんですけど。
そういえば、闇に隠れた俺を光の精霊術で暴き立てたような奴なんだった。
しかし、押し問答を続けるのは愚策だった。
路地裏でも、人の目はある。
いや、路地裏だからこそ、窓からニヤニヤと見る者や、通りすがりにガン見する者などが多い。
そして、リフレイア自身も俺から視線を外さない。
いつ、あの笑い声が、あの視線が現れるかわからず、背中に冷たいものが流れる。
「いい加減にしろ! 俺は礼なんていらないと言っているじゃないか。なにが目的なんだ!? お前は命が助かったんだし、それでいいだろう!?」
俺は掴まれた腕ごと、彼女を壁に押しつけた。
礼というのは方便だろう。
彼女が嘘をついているとまでは言わないが、そこはかとない違和感があった。
それとも、こういうのがこの世界の礼の仕方なのだろうか。この世界の常識に疎い俺には、そこまではわからない。
だが、たとえそうだったとしても、俺は彼女と関わるつもりはなかったのだ。
「……ったんです」
壁に押さえつけられたリフレイアは、真っ赤な顔をして震え、小さく何かを呟いた。
反撃されると思っていなかったのか、彼女のほうが遥かに力は強いはずなのに、抵抗することなくそのままでいる。
耳まで赤くして、もしかしたらいきなり逆上して襲ってくるかもしれない。
俺は腕に力を込めた。
「…………になっちゃったんです」
また小さくなにかを言った。
ブルブルと震えていて、なんだか鬼気迫るものを感じる。
ヤバいかもしれない。
なんとか逃げ出すことを考えていたら、リフレイアはやおら顔を上げ、覚悟を決めた表情で言った。
「あなたのこと、好きになっちゃったんです! だから――」
「へ?」
潤んだ瞳でそう言われて、俺は最初、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
好き……?
好きって言ったのか? 今……。