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第1章 転生、そしてダンジョンを開墾して

第1話 目覚めは異世界の土の上、スキルはまさかの農業チート!?


佐倉優は、自身の体が発する熱い光が、触れた大地をみるみるうちに豊かな土に変えていくのを目の当たりにした。それは、まるで魔法のような光景だったが、彼の脳裏には、スキルに関する詳細な情報が流れてくる。


『アース・エンリッチメント』は、土壌の肥沃度を高めるだけでなく、淀んだ負の魔力を分解し、生命力へと変換する浄化能力も持っているという。このダンジョンの「ブラック」な雰囲気を根源から改善できる、まさに求めていた能力だった。

彼は、自身の右手に宿ったこの力が、前世で抱いていた「効率化」や「改善」といった漠然とした願望の、具体的な具現化だと直感した。


佐倉はポケットを探った。前世で、疲弊しきった脳を甘いもので一時的に満たそうと、たまたまスーパーの試食コーナーでもらってそのまま忘れていた、潰れた小さなトマトの種が一つだけ残っていた。彼はその種を、スキルで浄化されたばかりの黒々とした、まるで上質な腐葉土のような土壌に、丁寧に、しかし期待を込めて蒔いた。指先で土を優しく被せ、まるで赤ん坊を扱うかのような真剣な眼差しで、その小さな塊を見つめる。


そして、もう一つのスキル『グリーンサムズ・ブースト』を意識する。

体内に満ちる魔力を、その小さな種へと流し込むイメージを抱いた。

すると、種は見る見るうちに膨らみ、殻を破って白い根を伸ばし始めた。

たった数秒で、青々とした芽が土から顔を出し、茎がぐんぐんと天を目指して伸びていく。

細かった茎は次第に太くなり、生命力に満ちた緑の葉が次々と展開し、あっという間に小さな黄色い花が咲いた。花の奥からは甘い香りが漂い、それがダンジョンに蔓延する瘴気をわずかに打ち消すようだった。

花はすぐに散り、その跡には小さな緑色の実がいくつも顔を出す。

驚くべき速さで実は膨らみ、瞬く間に彼の掌に収まるほどの、見事な真紅のトマトへと成長した。

その表面はつややかに輝き、まるで宝石のようだった。

まるで、人生の早送りをしているかのような、信じられないほどの生命の躍動に、佐倉はただ呆然と立ち尽くした。


「は、はは……っ、本当に、できた……。」


信じられない思いでそのトマトをもぎ取り、両手に載せてまじまじと見つめた。

まごうことなき、完璧な球体。表面には張りがあり、うっすらと土の香りがする。

まるで、丹精込めて育てられた芸術品のような姿だった。


恐る恐る、一口かじりつく。


パリッという皮の小気味よい音がしたかと思うと、口の中に甘く瑞々しい果汁が爆発した。

それは単なる甘さではない。大地の恵みと、生命の力が凝縮されたような、深い味わいだった。

酸味はほとんどなく、雑味も皆無。ただひたすらに、純粋で濃密な「トマトの旨み」が舌の上で踊る。

こんなに美味いトマト、今まで食べたことがない。

前世で、徹夜明けにコンビニで買った栄養ドリンクや、味のしない弁当、そして上司の罵声という精神的毒素で蝕まれていた彼の体に、久しく感じていなかった「生きる喜び」と「満たされた幸福感」がじんわりと染み渡っていく。


「これなら……いける。このダンジョンでも、食っていけるぞ!いや、食っていけるどころじゃない。

 こんなに美味いものが作れるなら……!」


佐倉は確信した。このスキルがあれば、この荒れ果てたダンジョンでも、最高の作物を育てられる。

そして、それを育てることが、彼の新たな「天職」になるのだと。


(あのブラック企業での社畜生活は、このスキルの前準備だったのか? 効率化への執念、完璧な成果へのこだわり、デッドラインマネジメント……すべてが、この異世界で「ダンジョンファーマー」として生きるためのスキルだったとでもいうのか?)


彼の頭の中で、前世の経験が次々とスキルとして変換されていく感覚があった。


しかし、冷静な「社畜」の頭脳が、即座に現実的な問題点を洗い出した。


(食料は確保できた。だが、ここはダンジョンだ。安全な場所ではない)


スキルによって浄化された足元の数メートル四方以外は、依然として禍々しい魔力を放つ木々が立ち並び、遠くからは不気味な咆哮が響く。

ゴブリンやオークといった魔物の存在は、彼の知識の中にもあった。彼らは間違いなく「危険な存在」だ。

瘴気は重く、肌を刺すような不快な冷たさが漂っている。いつ何時、凶暴な魔物が現れるかも分からない。

前世ではシステムトラブルの監視に徹していた彼だが、今目の前にいるのは、いつ牙を剥くかわからない「モンスター」だ。


そして、彼は丸腰だった。


(まずは、安全な場所の確保だ。拠点がないと話にならない。あのオフィスビルと違って、ここは四方を敵に囲まれている。セキュリティの確保が最優先だ)


佐倉は、周囲の地形を観察し始めた。前世のシステム構築で培った「効率的な配置」と「動線の確保」の思考が、無意識のうちに働き出す。

この森の中で、比較的開けていて、水源に近く、かつ防衛しやすい場所はないか。彼の目は、ただの木々や岩ではなく、可能性を秘めた「土地」として、ダンジョンを見つめていた。

まるで、新たなプロジェクトの初期設計図を描くかのように、彼の脳裏では地形データとリスクが高速で分析されていく。


(ダンジョンの中央に行くのは危険だ。まずは境界領域で、ゆっくりと範囲を広げていくしかない。それに、いきなり広大な土地を耕すのは非効率的だ。まずは小さな区画から……いわゆる『テスト環境の構築』だな。段階的にスケーリングしていく必要がある)


彼は、手にした絶品トマトをもう一口かじり、その甘みに新たな力を得た。

前世の「ブラック」が染み付いた思考回路も、この異世界では「危機管理能力」や「プロジェクト推進力」、そして何よりも「現状をホワイト化する」ための最強の武器となる。


「よし。まずは、この近くで身を隠せる場所を探そう。そして、少しずつこの土地を耕し、生活基盤を築く。 このブラックダンジョンを、最高のホワイトファームに変えてやる。そして……必ず、定時で上がるぞ!」


佐倉は、ダンジョンの奥へと目を向けた。

そこにはまだ、彼の想像をはるかに超える「ブラック」が潜んでいるだろう。

しかし、彼の心には、決して折れない「ホワイト化」への決意と、未来への確かな希望が宿っていた。

これは、異世界に転生した元社畜が、その身に宿したスキルを武器に、過酷な環境を「理想の職場」へと変貌させていく、壮大な物語の第一歩だった。


彼は、このダンジョンを、彼の人生で最初で最後の「ホワイト」なプロジェクトにすると、心に固く誓った。


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