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第137話  再会は異世界の香り


「ふぅ……。どうにか上手くいったようだな。ひさびさだから、ちょいと不安もあったが、やはり石が良かったな。天色瑠璃群青……あれがなかったら失敗してたかもしれん」


 夢幻さんの言葉が、うまく耳に入ってこない。

 鏡は元通りのサイズに復元され、向こう側には、ほんの1ヶ月ちょっと離れていただけなのに、もうずっと――何年も離れていたかのように懐かしいみんなの顔が並んでいる。


「はぁ~。ひっさしぶりに思いっきり魔法使ったぁ~! 古いエンジンを思いっきりぶん回したみたいな気分!」


 魔法を使い終えたセレーネさんが、グーッと伸びをする。

 顔色もなんだか良くなっている様な……?


「最後の精霊石使ったのが70年ぐらい前だからなぁ」

「ね。アヤセさんにはこっちがお礼言いたいくらいよ。というか……、アヤセさん、どうしたの?」


 水を向けられて驚く。

 いや、驚くことじゃないけど。


「え、ええ? なにがですか」

「もう大丈夫よ。鏡、完全直ってるから。……顔、出してきていいのよ」


 そうだ。

 そうだよ。

 鏡が直ったんだ。


 俺はなぜか自分の身なりを確認した。

 ユニ○ロで買ったいつもどおりの普段着だ。

 向こうに行く時は、向こうの世界に合った服に着替えていくのだが、今はそんなこと気にする必要はない。

 荷物なんかいらない。

 おみやげも必要ない。


 鏡に映るみんなの姿。

 ソワソワと心臓が跳ねる。

 ディアナが両手を胸の前でギュッと握り、こちらを見つめている。

 マリナがピョンピョンと跳ねながら口を大きく開けて俺を呼んでいる。

 レベッカさんがチラチラと鏡のほうを覗いながら、右往左往歩きまわっている。

 オリカが、エトワが、エレピピが、イオンが、シャマシュさんが、ヘティーさんが、

 みんなそれぞれに、固唾を呑んで俺が来るのを待ってくれている。


 震える指で、鏡に触れる。

 一瞬、コツンと鏡にぶつかってしまったらどうしようと考える。

 だが、それは杞憂。

 いつもどおり、なんの感触もなく向こう側へ手が通りぬけていく。


 俺は一度振り返った。

 夢幻さんが、グッと力強くサムズアップする。

 セレーネさんが優しく微笑む。

 俺は小さく頭を下げた。


「行って、アヤセさん。あの子は、私自身であり、私の妹であり、私の娘であり、私の孫でもあるわ。…………あの子を……ディアナのこと、よろしくね」


「もちろんです。ありがとうございました!」


 そして、俺は鏡を抜けた――




 ◇◆◆◆◇




‹オリカ視点›



 眩い光と共に、自動的に鏡が修復されていくのを、私――オリカ・フラベリムは屋敷のみんなと共に見守っていた。


 薄暗い地下室が、目も開けていられないほどの光で埋め尽くされて、鏡が勝手に繋がって元通りの姿に戻っていく。

 向こうの世界が見えている、マリナさんとイオンさん、それにシャマシュさんによると、鏡を直してくれたのは、夢幻の大魔導師さまと、その奥さんのエルフさまなんだとか。


 そして、鏡が完全に元通りの姿に直って数分後。

 鏡から、いつも見た手がスーっとゆっくり出てきた。

 旦那さまの手だ。

 いつも、私の手紙を受け取ってくれる旦那さまの手だ。

 私には向こうの世界は見えない。ただ薄くモヤがかかって見えるだけだ。


「あっ、あっ! 主どのが来るであります! あっ……ある……じどのぉ……、う……グスッ……わぁあああああん」


 さっきからピョンピョンと跳ねながら、旦那さまのことを呼んでいたマリナさんが、旦那さまが少し痩せたお顔を出した瞬間、感極まって泣き崩れた。

 マリナさんがいの一番・・・・に抱きつくと思っていたから意外だ。

 だからって、代わりに私が……ってわけにもいかないんだけど。


 鏡から手だけを出した旦那さまは、躊躇したのかその状態で動きを止めた。

 心に不安が広がる。

 もしかしたら、上手く鏡が直らなかったんじゃないか……? とか。

 でも、そんな心配は杞憂だった。

 旦那さまが、鏡を抜けて完全にこちら側へ。

 照れくさそうに、少しだけ申し訳なさそうに姿を現した。


「お、お恥ずかしながら帰ってまいりました」


 本当に恥ずかしいのか、頬をポリポリと搔いてモジモジとしている。

 こんなにうれしい日なんだから、もっと喜んでくれてもいいのにな。


 まあ、私達も旦那さまも、この鏡が割れてしまって、本当にもう会えないかもしれないってちょっと覚悟もしてたから、こんなにすぐに直ったのは、嬉しいけれどちょっと恥ずかしいなんて思うのかも。

 あ、そういえば、私もけっこう恥ずかしい内容の手紙を書いて送っちゃってた。

 今さらだけど、顔が熱くなる。


「ご主人さまっ!!」


 実際にいの一番に抱きついたのは、ディアナさまだった。

 その大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、溢れた雫がキラキラと輝く。

 旦那さまの胸に顔を埋めるようにして、強く抱きしめる。

 そして、旦那さまも、優しく笑ってディアナさまを抱きしめた。

 今までとは、なにかが違う、口では説明しがたいような優しい抱擁だ。


「ただいま、ディアナ。心配かけたな」

「う……うぇ……。ご……ご主人ざばぁ……」


 ディアナさまが涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。

 ずっと……、旦那さまがこちらに来れなくなってから、ずっと屋敷で沈んでいたディアナさまを思い出すと、私も胸がいっぱいになる。


「ジロー!」「ボス!」「若旦那!」「アヤセくん!」「アヤセさん!」「ジローさま!」


 ディアナさまを皮切りに、みんながワッと旦那さまのところに集まる。

 なぜかみんなで、良かった良かったと旦那さまの頭を撫でたり、腕を揉んだり、背中を叩いたりする。

 私も負けじと参加して、旦那さまの耳を引っ張ったりした。

 みんな、旦那さまがここにいるっていうのを確認したかったんだと思う。

 自分で触れて、私も確かに安心できた。


「ジロー。その……元気そうでよかった」


 レベッカさんがモジモジと旦那さまに話しかける。

 その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

 村では怖いお姉さんで通っているレベッカさんも、旦那さまの前では恋する乙女みたいだ。


「レベッカさんも。心配かけました。屋敷のこととか、いろいろ護ってくれてありがとうございます」

「い……いいのよ。みんな一生懸命だったし。……でも、ほんとに良かった……ジロー」


 レベッカさんが、コテンと頭を旦那さまの二の腕に預けて目を閉じた。

 村でもレベッカさんは美人なのに、そういう話もないみたいで、なぜなんだ? という話題は定期的に出ていた。出ていたが、みんな触れてはいけない話題だと思って、本人に訊くのは避けていた。

 引っ越してきた最初は、シェローさんと夫婦だと思われていたが、どうやら違うらしいと話好きの狩人がシェローさんから聞き出してきたものだ。

 何人かアタックした人もいたらしい。だが、みんなケチョンケチョンにフラれたと聞いた。

 今では確信できる。

 レベッカさんの想い人は旦那さまで、その心は私が思うより深そうだということ。

 旦那さまと知り合う前のことは知らないけど、今では村でもほぼ公認である。

 こっそりレベッカさんを狙っていた何人かの村の若者は、けっこう旦那さまに嫉妬してるという話だ。


 その後も、シャマシュさんやエレピピさん、エトワちゃんにイオンさん、そしてヘティーさんにまでもみくちゃにされて、最後に残されたマリナさんが涙を拭いて割って入り旦那さまに強烈に抱きつくまでしばらく、再会を喜び合った。


 旦那さまも、涙をうかべて笑い合った。

 私もどさくさに紛れて抱きついてやった。

 なかなか良いものだったので、これからもどさくさに紛れて抱きつこう。


 その後、旦那さまは一度、鏡を直してくれた二人にお礼をしに戻り、それが終わってから、みんなで用意してあった料理を食べてパーティーをした。

 ディアナさまとマリナさんが、1ミリの隙もないほどビッタリと旦那さまにくっついているのを、シャマシュさんが羨んだり、レベッカさんが怒ったりした。

 旦那さまがいなかったこの一ヶ月で、みんな旦那さま分・・・・・に飢えているのだ。養分を吸わないと枯れちゃうみたいに、みんなでピタピタと旦那さまにくっつきに行くので、見ていて面白い。

 かくいう私もこっそりピタピタしに行った。一人だと目立ちそうだから、エトワちゃんを誘って、こっそりピタピタ。旦那さまは、私が着ているメイドの服が好きだから、けっこうまんざらでもなさそうで嬉しい。


 そうして、久しぶりの明るい夜が更けていった。




 ◇◆◆◆◇




‹ジロー視点›



 久しぶりの異世界。

 パーティーも終わり、みんなが寝静まった後。

 ソファにひとりで寝転がりながら、これからのことを考えていた。


 みんなとの再会のことを思い出すと、つい唇が緩んできてしまう。

 泣いて、喜んで、抱き合って喜びを分かちあった。


 熱を。心を感じた。


 夢幻さんから聞いていた、エメスパレットがゲームの世界だとか、ノンプレイヤーキャラだとか、アンドロイドだとか、そんなことチラリとも考えなかった自分が嬉しかった。

 みんな、この世界にちゃんと生きている人間で、少しだけ種族が違うってだけなのだ。

 むしろ、異邦人なのはたった一人の地球人である俺のほう。

 その俺を、受け入れてくれている、そのことをむしろ喜ぶべきなくらいだ。


 ディアナとマリナは、今日は、むしろこれからは毎日いっしょに寝ると断固言い張った。

 一瞬、俺もそれなら――と言いかけたが、さすがにやめておいた。

 キザったらしく、二人が寝付くまでベッドの脇に座って頭を撫でてやっていると、二人はホッとしたからか、すぐに静かな寝息を立て初めた。


 ディアナの特別なお導き。

 セレーネさんにも、よろしくと頼まれてしまった。

『永遠の愛』は俺にはまだちゃんと理解できていないけれど、その答えは近いうちに出さなければならないだろう。


 二人が眠った後、リビングではレベッカさんとヘティーさんが待ち構えていた。


「お二人はどうするんですか? 泊まっていくなら寝る場所の用意しますけど」

「いえ、ベッキーの家に泊まるから大丈夫ですよ。それより、早速ですがジローさま」

「はい。……ディダのことですよね」


 鏡が割れる原因となったディダへの復讐。

 すでにヘティーさんがディダの身柄は捕らえてあるらしい。

 最初は泳がせていたらしいが、鏡が直ると聞いて、拉致してあるのだとか。

 ヘティーさんは、まどろっこしいことを好まない性質たちなので、やることが豪快だ。拉致はさすがに問題になるんじゃ……とも思ったが、上手くやったから大丈夫だという。大丈夫だというなら信用する他ない。


 俺としては、どうしようかなという気もする。

 雨降って地固まるとも言う。今回の件は結果的にプラスとなった。夢幻さんとも知り合えたし、この世界のことも知ることができた。

 でも、だからって放免というのも癪だ。


「ジローさま」


 考え始めてしまった俺に、ヘティーさんから声がかかる。


「あなたがやらないとしても、私かベッキーがやりますよ。ルクリィオン姫……いいえ、イオンにやってもらってもいいかもしれませんね」


 ああ、そっか……。

 ディダは今回の件がなくても、相応に恨み買ってるんだったな……。


 凛とした表情のレベッカさんとヘティーさん。

 彼女たちは殺る・・と言ったら殺る・・だろう。


 だが、今回の件の始末は、俺自身がつけねばなるまい。

 ここは日本じゃない。現代でもない。地球ですらない。法律なんか関係ない。

 殺そうとしたツケは奴自身が取るのだ。

「殺される覚悟のあるやつだけが殺していい」ってなんの言葉だったか思い出せないが、まったくその通りだと思う。


「……俺がやりますよ。今、どこにいるんですか、ディダは」

「私の家の馬小屋に放り込んであるわ」

「なるほど。って、すぐそこじゃないですか」


 今日、シェローさんが来てなかったのは、奴の見張りをしているからなのだそうだ。


「では、ジローさま。処刑は明日執り行いましょう」

「……わかりました。心の準備をしておきます」


 そうして、二人は帰っていった。


 まさか、童貞よりも先に殺人童貞を捨てることになるとは夢にも思わなかった。

 ……正直に言ってしまえば、俺には重すぎる。

 その手を血に染める覚悟があるかと言われれば、ハッキリと無い。


 かといって、じゃあヘティーさんやレベッカさん、ましてイオンにやらせるというのも……。


「ああ~……。どうしよ……」


 相手は大金持ちだから、精霊契約で縛って何か金銭的なものと交換で無罪放免……というのが、俺が考える最良の筋書きだ。

 あんな悪いやつでも、奥さんや子どももいるだろう。

 殺されたとなれば復讐に燃えるかもしれない。

 それは不幸の連鎖というやつだ。


 そんなことになるよりは、精霊契約で縛って手出しできないようにすればいいんじゃないか。

 結果的に俺は生きてるんだし、ただ殺すより金もらったほうが良いような――


「……ダメか。……ダメだな」


 イオンの件もある。レベッカさんの傭兵団のことも。

 俺の件だって、俺自身が許したとしても、みんなは許せはしまい。

 ここは日本じゃない。命が重い世界じゃないんだ。

 むしろ、手を下す権利を俺が譲られた格好だ。

 みんな殺りたいと思っているのだ。


「やるしか……ないのか…………」


 ソファに寝っ転がりながら、両手のひらを見る。

 しかし、覚悟が決まることもなく、夜はただ更けていった。







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