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第2話 追放されるリコリス令嬢

「……おまえはっなんと言うことを!」


 ドアが開いて、怒り心頭の父様と侯爵令嬢のエレオノーレ・ホーエンシュタインが入ってきた。


「ロゼッタは優秀だからこそ、カーネリウス家の後継ぎと結婚させる予定だったのに、なんだあの体たらくは!?」


 主催であるエレオノーレがいなければ、父様は私を殴りたいんだろうな。

 なんだと言われても、あれが事実。


 それでも、父様のこめかみはひくついていて大声と共に唾が飛ぶ。距離を取ろうとすると、逆に踏み込まれた。


「お前がイグゼル殿をちゃんと射止めておけば、ノイバウム家ともカーネリウス家とも久しぶりに縁が結べたのに!」


 それなら、私を今度はカーネリウス家に出すのだろうか?

 それはないよね。人前で婚約破棄されたみっともない娘だもの。


「グリムベルク子爵様、お言葉ですがこんな傷物の娘をご実家にもどされるつもりですの?」


 エレオノーレは、美しいくちびるを歪めた。


「あんなみっともない目に会って、この王都にいれば噂は止まらないですわよ」

「エレオノーレ様の仰る通りだ!家の戸籍から外すとは言わんが、二度と実家を跨げると思うなよ」


 よし、

 自分の失恋という代償を経て得たもの――それは。


「よろしいのですか?私のような諜報、暗殺の使い手を家から出して」

「勝手にしろ!何処へとも行け!我が家はもうお前の家ではない。こんな娘を貰う男など存在せん!」


 自由。代々から課せられた運命からの逃走。

 こんな不遜な願いは、叶わないと思っていた。イグゼルの横で、穏やかに家庭を育む一生こそ、最大の幸福だと信じていたから。


 そして、その夢は他ならないイグゼルに潰された。

「お父様も、お母さまも、カイルも――お姉様も、どうかお元気で」

「ふん、王都で庶民の真似事でもするのか」

「グリムベルク子爵、宜しくて?」


 エレオノーレが扇子を悩ましげに開く。

 その瞳が、私を隅々まで捉えるのを感じた。


わたくし、侯爵家の娘として元子爵令嬢が物売りの物真似などするのは、見るに堪えないですわ。いっそのこと、我が家のホーエンシュタイン領で幽閉したら如何かしら?隣国から魔族でも見物にきて日々過ごすのですわ。檻のお題と食事代は、婚約破棄のお祝いにさしあげますから」

「おお、それは有難い!ホーエンシュタイン領の隣と言えば、あのユグノス帝国ですからな」


  父様はエレオノーレの意見に喜んで笑っている。

 私は、ここまで嫌われていたんだ。


 一人だけ父様の血を引いていないと言われる、この真紅の髪。

 姉のロゼッタは父様と同じ黒髪。弟のカイルは母様と同じ蜂蜜色の髪。

 私だけが、誰にも似ていない。


「それでは、屋敷の者に声をかけておきますわ。最後のご挨拶など、もしあれば」

「いいえ、ありませんな。そんなもの。いつかなにか起こすと思っていたんですよ、この厄介者」


 顔も見なかった。

 父様は。父様だったものは足音も荒々しく客間から出ていった。

 無一文で、放り出すんだ。


「見張りを」


 エレオノーレが扇子を鳴らすと、メイドが二人走り込んできて、ドアの隙間から騎士服が三人廊下に並ぶのがチラリと見える。すぐに扉は閉じられた。


「あぁ、リリスティア!大好きなリリィ!ごめんなさい、台本通りとはいえ、あんな酷いことを」

「いいの、エレ……。こんな事、たのんでこっちこそごめんなさい」


 エレオノーレがドレスも構わず、私に抱きつく。

 エレオノーレの美しい金髪からは、優しい薔薇の香りがした。


「婚約破棄、。頑張ったわね」


 親友の腕の中で、私の張り詰めていた糸が切れる。

 じわじわと、涙が滲んで頬を伝った。

 解析通りにやり切ったのに。


 イグゼルに、最後まで私の気持ちは伝わらなかった。

 妖艶な化粧も、ドレスも、香水も。全て彼の好みにしていたのに。

 五年の歳月で花開いた恋が、本当に終わってしまった。

 子供のように泣きじゃくる私の背中を、エレオノーレが撫でる優しさに甘えて。

 体内からこの恋が溶けでるほどに、涙は止まらなかった。

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