「……おまえはっなんと言うことを!」
ドアが開いて、怒り心頭の父様と侯爵令嬢のエレオノーレ・ホーエンシュタインが入ってきた。
「ロゼッタは優秀だからこそ、カーネリウス家の後継ぎと結婚させる予定だったのに、なんだあの体たらくは!?」
主催であるエレオノーレがいなければ、父様は私を殴りたいんだろうな。
なんだと言われても、あれが事実。
それでも、父様のこめかみはひくついていて大声と共に唾が飛ぶ。距離を取ろうとすると、逆に踏み込まれた。
「お前がイグゼル殿をちゃんと射止めておけば、ノイバウム家ともカーネリウス家とも久しぶりに縁が結べたのに!」
それなら、私を今度はカーネリウス家に出すのだろうか?
それはないよね。人前で婚約破棄されたみっともない娘だもの。
「グリムベルク子爵様、お言葉ですがこんな傷物の娘をご実家にもどされるつもりですの?」
エレオノーレは、美しいくちびるを歪めた。
「あんなみっともない目に会って、この王都にいれば噂は止まらないですわよ」
「エレオノーレ様の仰る通りだ!家の戸籍から外すとは言わんが、二度と実家を跨げると思うなよ」
よし、
自分の失恋という代償を経て得たもの――それは。
「よろしいのですか?私のような諜報、暗殺の使い手を家から出して」
「勝手にしろ!何処へとも行け!我が家はもうお前の家ではない。こんな娘を貰う男など存在せん!」
自由。代々から課せられた運命からの逃走。
こんな不遜な願いは、叶わないと思っていた。イグゼルの横で、穏やかに家庭を育む一生こそ、最大の幸福だと信じていたから。
そして、その夢は他ならないイグゼルに潰された。
「お父様も、お母さまも、カイルも――お姉様も、どうかお元気で」
「ふん、王都で庶民の真似事でもするのか」
「グリムベルク子爵、宜しくて?」
エレオノーレが扇子を悩ましげに開く。
その瞳が、私を隅々まで捉えるのを感じた。
「
「おお、それは有難い!ホーエンシュタイン領の隣と言えば、あのユグノス帝国ですからな」
父様はエレオノーレの意見に喜んで笑っている。
私は、ここまで嫌われていたんだ。
一人だけ父様の血を引いていないと言われる、この真紅の髪。
姉のロゼッタは父様と同じ黒髪。弟のカイルは母様と同じ蜂蜜色の髪。
私だけが、誰にも似ていない。
「それでは、屋敷の者に声をかけておきますわ。最後のご挨拶など、もしあれば」
「いいえ、ありませんな。そんなもの。いつかなにか起こすと思っていたんですよ、この厄介者」
顔も見なかった。
父様は。父様だったものは足音も荒々しく客間から出ていった。
「見張りを」
エレオノーレが扇子を鳴らすと、メイドが二人走り込んできて、ドアの隙間から騎士服が三人廊下に並ぶのがチラリと見える。すぐに扉は閉じられた。
「あぁ、リリスティア!大好きなリリィ!ごめんなさい、台本通りとはいえ、あんな酷いことを」
「いいの、エレ……。こんな事、たのんでこっちこそごめんなさい」
エレオノーレがドレスも構わず、私に抱きつく。
エレオノーレの美しい金髪からは、優しい薔薇の香りがした。
「婚約破棄、
親友の腕の中で、私の張り詰めていた糸が切れる。
じわじわと、涙が滲んで頬を伝った。
解析通りにやり切ったのに。
イグゼルに、最後まで私の気持ちは伝わらなかった。
妖艶な化粧も、ドレスも、香水も。全て彼の好みにしていたのに。
五年の歳月で花開いた恋が、本当に終わってしまった。
子供のように泣きじゃくる私の背中を、エレオノーレが撫でる優しさに甘えて。
体内からこの恋が溶けでるほどに、涙は止まらなかった。