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第2話:冒険家との共闘

クロノポリス――金属と蒸気の迷宮都市が、唸るような音を立てて目を覚ましていた。

蒸気管の熱、歯車の回転、電磁軌条の唸り。都市そのものが生きているようなこの空間を、ギアホッパーと呼ばれる蒸気バイクが轟音とともに駆け抜けていく。

「しっかり捕まってな! あたしの運転、ちょっと荒いからさ!」

叫ぶ少女の背中に、悠真は必死でしがみついていた。全身を包むのは、焦げた金属と油の匂い。目に映るのは、ねじれた配管と、交差する鉄骨の影。

クロノポリス――この異世界の都市は、上下左右の感覚を狂わせる。道は平面ではなく、螺旋のように立体的に組まれていた。

高架を飛び、吊り橋を渡り、路地を滑り、蒸気を噴き出す鉄のパネルをジャンプする。

(こんな場所が……現実に存在するのか?)

悠真の脳は、恐怖と興奮で飽和していた。だが同時に、妙に冴えていた。

配管の素材。熱伝導の方向。音の反響。

頭の中で、自動的に構造解析が始まる。追跡者の距離、地形、反射角――理系脳の本能が、今の状況を「攻略」しようとしていた。

後方では、装甲に身を包んだ兵士たちが追ってくる。

「止まれ! 懐中時計を渡せ!」

蒸気銃の炸裂音が、鉄板を焼き、火花を散らす。

「ギアホッパー、限界加速いくよ!」

少女の叫びとともに、バイクは再び跳ね上がる。

「なんで俺を助けたんだ!?」

悠真の叫びは、風にかき消されそうだった。けれど、少女は応える。

「その時計、ワケありにしか見えなかったし―― なにより、あんた、ほっとけなかったから!」

アイリス。

そう名乗った少女の瞳は、ゴーグルの奥で鋭くも澄んでいた。

機械のように正確な操縦。けれど、その言葉はどこか人間くさくて、あたたかかった。

急カーブの先に、巨大な蒸気管が立ちはだかる。

「前方塞がれてる!」

「左だ! バルブがある、ひねって!」

義手が伸び、バルブを回す。高圧の蒸気が爆発音のように噴き出し、ギアホッパーが跳ね上がる。

鉄の障害物を飛び越えるように、都市の空を飛ぶ。

「ナイス判断! あんた、なかなかやるじゃない!」

その一言に、悠真の緊張が少しだけ緩んだ。自分が、この異世界で、初めて「役に立てた」という、かすかな喜びが胸に灯る。この世界は、ただ恐ろしいだけではないのかもしれない。

やがて、二人は都市の喧騒を抜け、鉄屑と錆に囲まれた、広大な廃工場のような空間に滑り込む。巨大な機械の残骸が積み重なり、油と煤の匂いが満ちていた。蒸気と静寂の中で、ようやく呼吸を整える。

少女はバイクを降り、ゴーグルを額に上げた。短い黒髪が風に揺れ、煤で汚れた顔に、精悍な笑みが浮かぶ。

「ふぅ。……これで一息つけるね。怪我は?」

「いや、無事だ。……君がいなければ、どうなっていたか。本当に、ありがとう」

「いいってこと。名乗るのが遅れたな。私はアイリス。見ての通り、冒険家さ」

胸を張る彼女は、泥だらけの服と無骨な義手にもかかわらず、どこか誇らしげで、そのまっすぐな笑顔が、妙に安心をくれた。

「で、あんたは? ……どう考えても、よそ者だよね?」

悠真は、自分の名前が藤崎悠真であること、そしてフリーマーケットで手にした懐中時計に触れたことで、突然この世界に迷い込んでしまったことを話した。アイリスは、最初は驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な眼差しで悠真の言葉に耳を傾けた。

「へぇ……そりゃまた、とんでもない話だね。で、その時計……見せてくれる?」

渡された懐中時計を、アイリスは義手の指先で慎重になぞる。煤けた真鍮の表面、精巧な歯車のレリーフを、まるで精密機器を扱う整備士のように観察する。

「やっぱりね。 これ、ただの懐中時計じゃないよ。 うちの親父が見たら、よだれ垂らして整備室に持ち帰るレベルさ。これは、“向こう側”の遺物かもね」

丁寧に返された時計を受け取る悠真。

「向こう側……?」

「この世界に“ひび”を入れるもの。時空の裂け目を作る“鍵”……」

アイリスの言葉が、悠真の胸に深く残る。(この時計が……俺を、ここに連れてきたのか? そして、“ひび”とは……?)理屈で割り切れない現実に、悠真の脳は混乱しつつも、底知れない好奇心を刺激された。

静かな時間が流れる。

油の匂い。かすかに歯車が回る音。廃工場の高い天井から、一筋の光が差し込み、埃の粒子が舞い踊る。

その中で、悠真は懐中時計を握りしめながら、ふと、ひとつの顔を思い浮かべていた。

(陽菜……)

最後に交わした言葉。フリーマーケットで別れた後、何も伝えられなかった。突然消えた自分を、あの幼なじみは今、どう思っているだろう。心配しているだろうか、それとも、もう諦めてしまっただろうか。

現代に残してきたもの。当たり前の日常。気心の知れた人間関係。そして、積み上げてきた未来の計画。

そのすべてが、今は遠く霞んで見える。でも、決して消えてはいない。薄れていく風景の中で、陽菜の笑顔だけが鮮明に浮かんでいた。

(戻る方法を……見つけなければならない。あの世界に。彼女のもとへ)

「……ねえ、悠真」

アイリスの声に顔を上げる。彼女は、悠真の様子をじっと見つめていたようだ。

「しばらく、私と行動を共にしない?」

「……どういうこと?」

「興味があるんだよ。その時計も、あんた自身も。 ギアガードに追われるってことは、“何か”を持ってるってことだろ? それに……あたし、あんたみたいなやつ、嫌いじゃないしね」

その瞳に、打算もなければ馴れ馴れしさもない。ただまっすぐな好奇心と、困っている他者を助ける意志だけが、光っていた。

「わかった。……よろしく、アイリス」

悠真の口から、自然と承諾の言葉が漏れた。この見知らぬ世界で、初めて掴んだ希望の光。

懐中時計の中で、小さな音がした。

──カチリ。

それは、世界の歯車がもう一段階、回った音だった。

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