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第4話:職人の隠れ家へ

クロノポリス第七層。迷路のような高架と蒸気管が交差する薄暗い通路を、ギアホッパーが走り抜けていた。

アイリスが操る蒸気駆動のバイクは、廃棄された軌道跡を縫うように進む。悠真はその背中にしがみつきながら、風と焦げた油の匂いの中に身を晒していた。

「もうすぐ抜けるよ。あんた、振り落とされないでね!」

アイリスの活発な声が、風に乗って悠真の耳に届く。彼女の操るギアホッパーは、文字通り空を跳び、地面を滑り、信じられない速度で障害物をクリアしていく。悠真は、そのたびに身体が宙に浮き上がるような感覚に襲われた。

「いや、もう手遅れかも……!」

悠真は叫んだ。彼の手は、アイリスの服を掴んで離さない。これまでの人生で味わったことのない速度と、予測不能な動きに、彼の理系的な頭脳も、感覚も、いっぱいいっぱいだった。

蒸気の噴出音とともに急上昇したギアホッパーが、巨大な鉄骨橋の隙間を抜けた先――

目の前に現れたのは、まるで別の世界だった。

そこは、煙と錆と光が交錯する“技術者たちの隠れ里”。

巨大な歯車が複雑に絡み合ったアーチが空を覆い、その隙間から、まるで無数の煙突から吐き出されたかのような蒸気が、白い柱となって立ち上っている。個々の建物は、鉄と石と木の混合構造で、増改築を繰り返した結果、有機的な塊のように見えた。それぞれの建物の壁には、蒸気の配管が血管のように張り巡らされ、規則的な脈動を伝えている。

「ようこそ、スプロケット区へ」

アイリスの言葉に、悠真は思わず息を呑んだ。足元の歩道には、小さな歯車がいくつも埋め込まれ、通るたびに足元が僅かに震える。それは、この区画が都市の奥深く、動力の中枢に近いことを物語っていた。

「この区画は“表の都市”とは違う。ギアガードの監視が甘い分、技術者たちが集まりやすいんだ。ギルドの目の届かないところで、自由な発想が生まれる場所さ」

アイリスは案内しながら、胸を張って言った。彼女の瞳には、この場所への深い愛情と、誇りが宿っているように見えた。悠真は、そんなアイリスの姿に、この世界での彼女の「居場所」を感じた。そして、自分も、いつかこの世界に、そんな場所を見つけられるのだろうか、と考えた。

辿り着いたのは、区画の中央に据えられた古い工房。外見は質素だが、その扉は重厚な鉄でできていた。

扉を開けると、中はさらに異様だった。

壁一面には、巨大な大時計の部品がまるで芸術品のように飾られ、天井からは無数の工具が種類ごとに整然と吊るされている。炉の熱が空気を揺らし、部屋の奥には、悠真の背丈をはるかに超える巨大な歯車が、ゆっくりと、しかし確実に回転していた。油と金属の混じった匂いが、どこか懐かしい郷愁すら誘う。

そこに立っていたのは三人の職人たち。彼らは、悠真とアイリスの姿に気づくと、それぞれの持ち場から顔を上げた。

一人目は、白衣にゴーグルを身につけた、いかにも研究者といった風情の女性。妙に落ち着きのない視線で、悠真たちを観察している。フラスコの中で奇妙な薬品を蒸留しているところだった。彼女こそが、天才錬金術師――エレノアだ。

二人目は、巨大なパイプレンチを片手に、重厚な機械を叩きながら様子を伺っている、無骨な巨漢の男。その顔は煤と油で汚れているが、その目には確かな職人の光が宿っていた。彼こそが、無骨な整備士――バルド。

三人目は、静かに書類に目を通しながらも、その耳だけは悠真たちの会話を逃していない、細身の青年。その手元には、複雑な配線が剥き出しになった、精巧な義手が置かれている。彼こそが、繊細な義体技師――シオン。

「おや、アイリス。また随分と賑やかな獲物を連れてきたな」バルドが、低く響く声で言った。彼の視線が、悠真の持つ懐中時計に一瞬向けられる。

「こいつが例の、“落っこちてきた異世界人”ってわけか」

エレノアが、フラスコを置くと、悠真に歩み寄った。彼女の瞳は、まるで悠真の持つ懐中時計に吸い寄せられるかのように、じっとそれを見つめている。

「その時計……見せてくれない?」

悠真は戸惑いながらも、ポケットから懐中時計を取り出した。

その瞬間、工房の空気が変わった。

悠真の手から離れた懐中時計は、淡い光を放ち始めた。その光に呼応するように、周囲の蒸気機器が一斉に震え出す。天井の巨大な歯車が、本来の回転速度を無視するように勝手に加速し、錬金装置の水銀が激しく泡立った。それは、悠真の持つ懐中時計が、この工房全体のアストラル波と共鳴している証拠だった。

「これは……共鳴反応……! しかもこの出力、私の装置より高い!?」

エレノアは、興奮を隠せない様子で叫んだ。彼女の顔は、新たな発見への歓喜に満ち溢れている。その様子は、悠真がかつて知っていた、学問に没頭する天才科学者たちの姿と重なった。

エレノアの言葉をよそに、バルドが低く呟く。

「こいつ、起動してやがる。止まったはずの“時”が動いてる……」

悠真はその反応に、思わず聞き返す。

「どういうことなんですか? この時計が……何なんですか?」

すると、静かに口を開いたのはシオンだった。彼の声は落ち着いており、混乱する悠真に冷静な情報を提供しようとしているようだった。

「その時計は、時間という“座標”そのものに触れる媒体。そして、悠真さん、貴方はその“座標”を動かす“観測者”……あるいは、そこに“干渉”する者かもしれない」

あまりに現実離れした言葉の羅列。しかし、悠真は不思議と拒絶する気にはなれなかった。彼の理系的な頭脳は、その言葉の背後にある、深遠な「理(ことわり)」を感じ取っていた。懐中時計が持つ力、そして彼がこの世界に転移した理由。全てが、今、目の前で語られていることと繋がっているような気がした。

悠真の中で何かが静かに変わりつつあった。それは、恐怖や戸惑いだけではない。未知への探求心、そして、この世界の真実を解き明かしたいという、強い欲求だった。

「……僕は、この時計の仕組みを知りたい。そして、元の世界に“戻る方法”を見つけたい」

悠真の言葉に、アイリスがにやりと笑う。彼女は悠真の成長を、まるで自分のことのように喜んでいるようだった。

「いいね。探究者の目だ。ようやくこの世界の住人らしい顔になった」

その時だった。

工房の外から、重たい衝撃音が響いた。爆ぜるような音とともに、扉の蝶番が軋む。それは、先ほどの穏やかな共鳴とは異なる、明らかに破壊的な音だった。

「……ギアガード?」

エレノアが顔をしかめ、緊急スイッチに手を伸ばす。彼女の表情から、瞬時に研究者の顔が消え、厳しい覚悟が浮かび上がった。

「バルド、シオン。対応準備。悠真くんは下がって!」

「おうよ。こいつを壊されたら元も子もねぇ」

バルドが巨大なレンチを構え、シオンは無言で作業台の奥から、小型の機械を取り出した。歯車が悲鳴を上げるような軋みが響く中、悠真は懐中時計を握りしめた。

その指先に、確かに感じた。

──再び、歯車が噛み合う感覚。

この世界と、自分自身が、確かに“繋がっている”という証。

運命の歯車が、音を立てて回り始めていた。

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