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第3話

 体が、動かない。

 暗闇の中横たわるカメリアの体は、重たく錆びた鎖でがんじがらめに縛りあげられ、指の先ですら少しも動かすことができなくなっていた。

「カメリア」

闇の奥からフローリアの声が響いてくる。カメリアは声を発しようとするが、口を開くこともできない。

「あなたホワイトリバー侯爵家直系の高貴な血筋。あなたは私の誇り。家のために、お母様のために、皇族に嫁ぐの」

声がだんだん大きくなっていき、それに比例するように鎖が重く、きつく締めあげられていく。息が詰まり、心臓が押しつぶされそうだ。

「完璧な令嬢になりなさい。絶対にならないといけないのよ!」

響き渡るフローリアの声が耳をつんざき、キーンと耳の奥が痛くなる。

 ミャーオ

 どこから猫の鳴き声が聞こえる。

 ふと体が軽くなったカメリアは、大きく息を吐きだし、ゆっくり立ち上がると、遠くに薄っすら光が見えた。

「カメリア、カメリア、カメリアー!」

後ろからフローリアの呼ぶ声が聞こえるが、暗闇から脱出したい一心で光に手を伸ばし、駆けて行く。光を掴もうした瞬間、体がふわっと浮き、いつの間にか地面にぽっかり空いた穴の中に猛スピードで落ちて行った。

「キャアアアアーーー!」


「カメリアお嬢様!」

ニーナの呼ぶ声にはっとしたカメリアが辺りを見回すと、見慣れた自室のベッドの上に起き上っていた。

「お嬢様!」

涙を流したニーナに強く抱き締められ、カメリアの意識は徐々に明確になっていった。

「ニーナ」

「ああ、神よ、感謝します。お嬢様が、目を覚まされました」

ニーナは呟くと、カメリアから体を離し、涙でぐしゃぐしゃになったやつれた顔でカメリアの手を握りしめた。

「目を覚まされて本当に良かったです」

「私、お母様と馬車に乗っていたのよね」

「はい。突然馬が暴れて、ブティックに突っ込んでいき、店が倒壊してしまったのです。馬車も潰れてしまい、亡くなった方も数名いらっしゃって。実はその中に、奥様も……」

ニーナは言葉を詰まらせ、大粒の涙をぼろぼろこぼし、顔を覆ってしゃくりあげた。

「それって、つまり、お母様が亡くなったってこと?」

「はい」

ニーナは小さな声で答えると、ハンカチで涙を拭い、カメリアを見上げた。

「奥様は、身を挺してお嬢様を守るように、お嬢様の上に覆いかぶさっておられたそうです」

「……そう」

「お医者様は、軽症だと仰ったのですが、3日間目を覚まされなかったので、本当に心配しました。ご無事で何よりです。擦り傷が少しありますが、すぐによくなるそうですよ」

カメリアは両腕にまかれている包帯に目を落とした。

「奇蹟的に美しいお顔には傷ひとつなかったので、お医者様も驚いていました」

ニーナはそっとカメリアの頬に触れ、また溢れてきた涙を拭い、弱弱しい笑顔を浮かべた。

「生きていて下さり、ありがとうございます」

「……ありがとう、ニーナ」

カメリアはニーナから目を逸らし、明るい日差しが差し込む窓を見て、眩しさに目を細めた。


 翌日、今にも雨が降り出しそうな曇天の空の下、フローリアの葬儀が行われた。顔も体も押しつぶされ、損傷が激しかったため、棺の中の遺体には白い布がかけられ、誰も顔を見ることはできなかった。式が終わると、白いユリいっぱいになった棺に蓋が閉められた。真新しい墓石の前に開けられた深い穴に棺は運ばれ、土が被されていった。

父のジョルジュは悲しむ素振りすら見せず、式の後は弔問客の相手に勤しんでいる。その後ろをついて回る妾のルイーズと、その娘のヴィオレッタは、黒いベールで顔を覆い、涙も流れていないのにハンカチで目尻を拭う振りをしている。ジョルジュたちの様子を一歩離れたところで見ていたカメリアは、墓石の前にしゃがみ込み、俯いて肩を震わせた。

「お嬢様、お辛いですよね……」

ニーナが、涙声でカメリアの肩に手を乗せた。それを見ていた弔問客たちも涙腺が緩み、ハンカチで涙を拭った。

 だが、当のカメリアは緩む口許を手で押さえ、込み上げてくる笑いを必死にこらえている。

 辛い思いをしているのはお母様でしょうね。あれほど望んでいた娘と皇族との婚約を目前に、この世を去ってしまうなんて。なんてかわいそうなのかしら。 

それに、お母様がいなくなったことで皇子との面会はなくなったわ。さぞ悔しがっているでしょうね。

ああ、お母様の悔しがる顔がみたかったわ。

想像するだけでも、胸がいっぱいになるほど笑いが込み上げてくる。

「ふっ、ふふっ」

堪えきれず声が漏れたカメリアは、両手で口を押え、更に肩を震わせた。

「カメリア様っ!」

ニーナは嗚咽を漏らしてカメリアを抱きしめた。

 ニーナ、あなたは本当に、おめでたい人ね。そういうところも好きよ。

 カメリアは、込み上げてくる笑みを殺しながらニーナを抱きしめ返した。

* * * * * * * * * * * * * *

テラスに出て夜空に浮かんでいる細い三日月を見上げたカメリアは、ふっと笑みを漏らした。

「夜空も笑っているみたい」

 目を閉じるカメリアの脳裏に、白ユリでいっぱいになった棺の中で眠るフローリアと、ふたが閉められた棺が土に埋められていく様子が蘇る。

「ふふふふ。はははは。あーっはっはっはっはっ!!」

 カメリアはテラスの手すりを掴んでのけぞり、フローリアが聞いたら卒倒しそうなはしたない笑い声を上げた。

紅潮させた頬に手を当て、カメリアは恍惚の表情を浮かべた。

「もう私を縛るものはないのね。この家にお母様のように束縛する人は誰もいない。こんなに解放された気持ちは初めて。これが自由の気分なのね」

 冷たくも心地よい夜風がさーっとカメリアの前髪をかきあげる。高揚して火照った頬が冷めていく。

「そうよ、私は自由になったの。これからは、誰にも縛られないで、自分のためだけに生きたい! 本当の自由が欲しい!」

腕を大きく広げて三日月に手を伸ばす。

 ガサッと手前の木が揺れる音がしたすぐ後、カメリアの足元から聞き慣れない泣き声が聞こえた。

「ミャーオ」

「あら?」

カメリアが驚いて下を見ると、黒猫が足に頭をこすりつけ、真っ赤な瞳でカメリアを見上げてきた。

「珍しい瞳の色。まるで血みたいね」

カメリアが黒猫を撫でると、手をペロペロ舐めてきた。

「人懐こいわね。今日から私の飼い猫になりなさい。お母様がいたら絶対反対されるところだったけど、あなた運が良かったわ」

カメリアは黒猫を腕の中に抱き上げ、顎の下を撫でた。

「首輪をつけてあげなくちゃ。あなたの目の色に似た真っ赤な首輪を」

黒猫は満足気に喉を鳴らし、目を細めた。


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