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第10話

空が茜色から紫がかった濃紺に染まる頃、ハウゼン邸宅に賓客たちが続々集ってきた。

パーティー会場となる大広間の隣室で、ナディアはスカイブルーのドレスを着た鏡に映る自分の姿を見つめている。


「絵本からそのままでてきたみたいだわ。セラフィナ、素敵なドレスを本当にありがとう」


満足気な顔で横に立つセラフィナに、ナディアは笑顔を向けた。


「こんなにナディア様が着こなしてくれてぇ、頑張った甲斐があるわぁ。それに、このドレスに合わせてレイ様が選んでくれた真珠のネックレスも素敵よぉ。最近レイ様の貿易商会から帝国にも輸入されるようになって、貴族はみんな喉から手が出るほど欲しがってるらしいわよぉ」


「えっ! そんな高級なものなの?」


ナディアは、滑らかで美しい光沢の真珠のネックレスがずしっと重く感じられ、体を強張らせた。


「皆がナディア様の美しさにひれ伏すこと間違いなしですぞ」


ナディアは苦笑し、真珠のことは一度忘れることにして、もう一度ドレスを見つめ、肌触りの良いスカートを撫でた。


「ナディア様、準備はできましたか?」


ディランがノックをして廊下から声をかける。

ソフィーがドアを開けると、ディランに続き、ウンディーネとレイヴノールが入ってきた。


「うわあ、白のドレスも良かったけど、このドレスもすっごく似合ってるよ!」


ウンディーネがナディアに駆け寄ってきて笑みを浮かべる。


「ありがとう、ウンディー」


ナディアのドレスとお揃いのスカイブルーのスーツを着たレイヴノールは、微笑むナディアをぼうっと見つめている。


「レイ様、ナディア様とってもキレイでしょう?」


セラフィナがレイに声をかけると、レイヴノールは大きく頷いた。


「とても綺麗だ」


ナディアはレイヴノールの熱い視線が恥ずかしく、目を伏せた。


「ありがとう、ございます。旦那様も、とてもよくお似合いです」


「そろそろ時間だ。主、ナディア様のエスコートを」


ディランに言われ、レイヴノールはナディアの隣に立ち、腕を90度に折り曲げる。ナディアはレイヴノールの腕の内側にそっと手を添える。レイヴノールは頬を紅潮させ、ナディアは緊張した面持ちで大広間へ一歩、一歩、歩を進めていった。



「ハウゼン男爵、ナディア男爵夫人のご入場です」


さざめく大広間に、ディランの声が響き、しんと静まり返る。その場にいる全員が真っ赤な絨毯が敷かれた階段に注目した。

楽団の奏でる音楽に合わせて、レイヴノールとナディアがゆっくり階段を下りてくる。広間に感嘆の声が上がり、レイヴノールとナディアに熱い視線が注がれた。

ナディアのドレスと共に、真珠のネックレスにも注目が集まり、婦人や令嬢は羨望の眼差しをナディアに向けた。


宝石をふんだんに使ったフリルの真っ赤なドレスを身にまとったタリアは、うっとりした目でレイヴノールを見つめていたが、ナディアの真珠のネックレスに気付き、悔しさが込み上げてきた。


「何であんなのが真珠のネックレスをつけてるのよ! 私だってまだ直接見たこともないのに! 私も早く真珠が欲しいわ!」


「大丈夫よ~、新しく輸入したものはいち早く我が家に届けてくれるって誓約書があるじゃな~い」


「でも、あの亡霊に先を越されたのは悔しすぎるわ! 明日にでも届けてもらわないと」


タリアとライラの会話をよそに、シュペルツ侯爵はワインを片手に眉をしかめて呟いた。


「ちっ。真珠の貿易権も譲渡してくれたら良かったものを」


苦虫を噛み潰したような顔でワインを飲み干した。



それから、レイヴノールが呼んでいたオペラハウスの支配人兼歌手のララが登場し、透き通る歌声を披露して会場は拍手に包まれた。その他にも、手品や演劇の公演がパーティーを盛り上げ、賓客たちもダンスをして楽しんだ。


しばらくしてレイヴノールとナディアはお色直しをしてお揃いのピンクのスーツとドレスに着替えて賓客の前に姿を表した。

楽団の演奏の中、レイヴノールとナディアは高位貴族の当主と夫人たちに囲まれ、様々な質問を投げかけられた。レイヴノールがうまく応えてくれたおかげで、ナディアはおどおどしながらひきつった笑みを浮かべて頷くだけでよかった。それでも疲れが溜まってきて顔色が悪くなってきたナディアに気づいたソフィーが、人だかりからナディアを連れ出し、椅子に座らせた。


「ナディア様、大丈夫ですか?」


「ちょっと、疲れちゃったみたい」


「お飲み物をお持ちしますぞ。お待ちくだされ」


「ありがとう、ソフィー」


ナディアが、ふぅーと息を吐いて背もたれに背中を預ける。そこへ、タリアが近づいてきた。


「ねぇ、2人で話したいんだけど、テラスに行きましょ。案内して」


ナディアはビクッと体を震わせ、青ざめた顔でタリアとテラスへ向かった。


テラスへ出ると、明るい満月が雲に隠れ、薄暗くなった。タリアが後ろ手に鍵を閉め、ナディアに1歩、1歩近づいて行く。ナディアは両手を握りしめ、震える足に力を込めてタリアと向き合った。


「殺されてるかと思ってたのにそんな高級なドレスを着て、しかも真珠のネックレスまでつけて、なかなか良い思いをしるみたいね」


目を吊り上げたタリアが扇子を突きつけながらまた1歩ナディアに近づいてきた。ナディアは気圧され、1歩後ずさった。


「仮面男爵があんなに美しい殿方だったなんて、思いもしなかったわ」


タリアは更に1歩踏み出す。後ずさったナディアの背中に、テラスの柵が当たった。タリアは及び腰のナディアの目の前で扇子をバサッと開いて囁いた。


「私があの方と結婚するわ」


「えっ?」


タリアは扇子で口元を隠し、見下すような目でナディアを見た。


「あんたは身代わりでしょ。本来なら私がハウゼン男爵に嫁ぐはずだったのよ。だ・か・ら」


タリアは扇子をパチンと閉じて、ナディアの顔に突きつける。

ナディアはごくっと唾を飲み込んだ。


「あんたは離婚届でも書いて、ここを出ていって」


「な、何を言ってるの? そんなことできるわけ……」


タリアは扇子でナディアの顎を持ち上げた。


「できるわよ。元々は私に求婚してきたようなものだし、ハウゼン男爵だってあんたより私が妻になった方が嬉しいにきまってるわ」


「で、でも、旦那様がなんて仰るか。お父様だってあなたを皇子殿下に嫁がせるって」


「ふんっ、口答えするなんて生意気になったものね。この私が相手なんですもの。むしろ喜ばれるわよ。お父様だって分かってくださるわ。皇族に嫁ぐのも良いけど、愛する人と結ばれる方が素敵じゃない。あんなに心を鷲掴みにされた殿方は初めてなの。あの方と私は結婚する運命なのよ」


タリアは瞳を潤ませて夜空に輝く星を見上げた。ナディアが困惑していると、タリアはすっと表情をなくして冷たい眼差しをナディアに向けた。


「あんたといたらハウゼン男爵が死んじゃうかもしれないじゃない。あんたの母親は、あんたのせいで死んだんだってね」


ナディアはぎゅっとスカートを握りしめる。


「あと、お父様から聞いたんだけど、あんたのたったひとりの友達も、呪われてるあんたのせいで死んじゃったんでしょ。ハウゼン男爵もその内死んじゃうかもしれないなんて、考えただけでも恐ろしいわ。あんな国宝級の美男子を死なせるなんてもったいない」


ナディアは肩を震わせ、涙を堪えるために目をギュッと閉じた。


「大人しく出ていくなら、これは返すわ」


パラパラッと紙を広げる音がしてナディアが目を上げる。目の前に、母が描いてくれた、母と自分の絵があった。


「な、何であなたがそれを!」


ナディアが掴もうとするが、さっと避けられる。


「あんたの部屋で落ちてたのを拾ったの。破ってあんたを泣かせてあげようと思ったのに、頑丈な紙質で破れなかったのよ。返すのは癪だったし、捨ててもよかったんだけど、持ってるの忘れてキャビネットの奥にしまっておいたのよね。偶然思い出して、持ってきたんだけど」


テラスから落とそうとするタリアに、ナディアは慌てて手を伸ばした。タリアはさっと高く絵を持ち上げ、ナディアの手をかわした。


「お願いだから返して! 私の大切な宝物なの! お母さまが遺してくれた大切な」


「あんた、母親から呪われるほど嫌われていたのに、こんなものが大事って、バカじゃないの?」


「でも、それはお母様が大事にしてって渡してくれたもので」


「あー、イライラする。そんなこといって、あんたは母親に憎まれていなかったって思い込みたいだけでしょ。こんなものにすがってないで、いい加減現実みなさいよ」


風に吹かれてヒラヒラなびいている絵を見つめながら、ナディアは涙を流した。


「お母様からどう思われていてもいいの! 私にとってその絵と絵本は、お母様が愛してくれていた証なの。だから、返して!」


タリアは眉をしかめ、呆れ顔ではあーと深い溜め息をついた。


「じゃあ、離婚届書いて出ていきなさいよ」


「っ……!」


ナディアは言葉を詰まらせた。


「やっぱりこんなくだらないものいらないわよね。捨てるわ」


タリアが絵から手を離そうとした時、ナディアはぎゅっとタリアの腕を掴んだ。


「……言う通りにするから、捨てないで」


タリアはニヤッと口角を上げ、ナディアの腕を振り払って紙を折り畳んだ。


「一週間後、お父様を説得してここに来るわ。そしたらあんたは離婚届を置いて出ていくの。その時に返してあげる」


タリアはそう言うと、テラスを出て広間に戻って行った。

ナディアはテラスの冷たい床にしゃがみこみ、こぼれ落ちる涙を拭った。



タリアは令嬢と夫人たちに取り囲まれているレイヴノールに近づいていき、スカートを両手で広げ、頭を下げて猫撫で声で挨拶をした。


「ハウゼン男爵様、シュペルツ侯爵令嬢のタリアと申しますう。一度パーティーでお目にかかりましたよねえ? こうしてまたお会いできて光栄ですわあ」


レイヴノールは胸に手を当て、お辞儀をした。


「我が夫人の妹君ですね。お会いできて光栄です」


タリアは一瞬ピクッと顔をひきつらせるが、すぐに笑み浮かべる。


「おほほほ。ハウゼン男爵様がこれほどまでに美しい方だとは存じませんでしたわあ。これから親戚になるのですから、仲良くして頂けると嬉しいですう。少し、2人でお話しませんかあ?」


小首をかしげ、上目遣いでパチパチと瞬きをしてレイヴノールを見上げるタリア。遠くで見ていた令息たちが顔を赤らめてタリアを見つめている。


「申し訳ないですが、妻を探しているんです」


「あら、そうですのお?」


ひきつった笑みを浮かべるタリア。そこへセラフィナが堂々とした足取りで表れ、令息たちの視線を奪った。レイヴノールの周囲にいた令嬢や夫人がどよめいた。


「どうされたのぉ?」


「セラフィナ、ナディアを見なかったか?」


「ソフィーとウンディーも探していたわねぇ。あなた、知らなぁい?」


セラフィナに尋ねられたタリアは、更に笑顔をひきつらせる。


「ハウゼン男爵様、こちらの方はあ?」


「補佐官のひとりです。タリア嬢は妻を見ていませんか?」


「い、いいえ」


張り付いた笑みで首を横に振るタリアに、セラフィナは顔を近づけて囁く。


「嘘じゃないわよねぇ? レイ様は嘘つきが大キライなのよぉ」


タリアは冷や汗をかいて声を震わせる。


「ほ、本当よ」


「ふーん。そう。レイ様、探しに行きましょう」


レイヴノールは頷き、セラフィナと広間の奥へ向かった。

自分のことを見向きもしないレイヴノールと、補佐官の分際で敬語を遣わないどころか上から目線で圧迫感を出すセラフィナに、タリアは怒りが込み上げてきて、わなわなと震える手で扇子を握りしめた。


その後、ソフィーがテラスで青ざめたナディアを見つけ、ナディアは部屋に戻ることになり、パーティーは中断された。



✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳ ✳



翌日の新聞では、仮面を脱いだハウゼン男爵の結婚式とパーティーの様子が一面に掲載され、体調を崩したナディアを抱きかかえるレイヴノールの姿が、妻を大切に思う夫の姿そのものだと囃し立てられた。


そうして瞬く間に、愛する妻を探し出すために仮面を被っていたハウゼン男爵と、美しさゆえにシュペルツ侯爵によって邸に閉じ込められていたナディア夫人の、甘いロマンスが貴族の間で語られるようになった。

その愛の物語は庶民の間にも広まっていき、それをもとにしたロマンス小説が飛ぶように売れたことをきっかけに、レイヴノールとナディアに関連する商品が次々と販売され、流行していった。


世間が2人のロマンスにときめいているとは夢にも思っていないナディアは、心労がたたって熱を出し、数日寝込むことになった。

体調が戻ってもタリアとの会話が頭を離れず、鬱々とした思いを抱えて溜め息ばかりついていた。


「最近、ナディア様の様子がおかしいのじゃ」


「そうよねぇ。体調は良くなったのに全く元気がないのよぅ」


「レイのせいかな?」


ソフィー、セラフィナ、ウンディーネが、執務室のソファに座り、机に向かっているレイヴノールへ不審な目を向ける。レイヴノールは書類から顔を上げ、首を振った。


「いや、パーティーの後からまともに会話してないんだ。俺じゃないと思う」


「そのせいではないか?」


「レイ様がナディア様を気遣っていないから、愛想つかせたとかぁ?」


「ありえる! やっぱりレイのせいだ!」


3人に睨まれたレイヴノールは、思いっきり首を左右に振る。


「いやいやいや、まさか。部屋にちょくちょく顔を出してたし、体調を気遣って長居しないようにしてたんだぞ」


「それは主からの目線ではないか。ナディア様がどう思われていたかは分かりかねる」


レイヴノールの書いた書類を確認しながら、ディランが口を挟んだ。


「それは……そうか」


レイヴノールは落ち込み、羽ペンを机の上に放る。


「レイ様、用意していた指輪は渡せていないのでしょう?」


「ああ。パーティーの後に渡そうと思っていたが、それからタイミングがなくて渡せずじまいだ」


「渡せばいいじゃん」


「ナディア様も体調が戻ってきたところじゃ。主君、今がタイミングではないか?」


ウンディーネとソフィーに言われ、レイヴノールは確かにと頷く。


「景色がきれいな場所で渡すとロマンチックよねぇ」


「景色がきれいな場所、か。あそこしかないな」


レイヴノールが窓の外に目を向ける。


「ナディアの好きな花を植えた花畑のこと?」


ウンディーネに聞かれ、レイヴノールは頷いた。


「ああ。俺とナディアがよく遊んでいた花畑に、ミモザとライラックが咲いていたんだ」


「レイ様は、ナディア様に昔のことは何も話さないつもりなのぉ?」


「話してしまったら、復讐のことも話さないといけなくなる。ナディアは何も知らず幸せに生きて欲しい。復讐のことは知ってほしくないんだ。でも、自分のせいで俺が死んだと思っているから、そのへんは誤解を解かないといけないんだけど」


「じゃあ、生きてるって伝えてあげなきゃ。それに、夫婦って隠し事しちゃいけないって聞いたことあるよ」


「主君が隠し事をしていると気づかれたら、余計に傷ついてしまうかもしれぬ」


「そうねぇ。もし気づかれたら、きちんと本当のことを話した方が良いと思うわぁ。レイ様は隠し通せる自信があるのぉ?」


セラフィナに聞かれたレイヴノールは、口を引き結ぶ。


「どうかな。隠し通したいが、全て話して、それでも傍にいてほしいとも思う。けど、復讐を知って離れていくんじゃないかと考えると怖い。だから今のところは明かすつもりはない。だが、俺は復讐のために生きてきた。もし、ナディアに復讐の計画が知られて俺のもとを去っていこうとしたら、ナディアを閉じ込めてでも復讐は必ず成し遂げる」


レイヴノールは拳を握りしめ、ソフィーたち4人へ向き直る。


「今までは、俺の存在がシュペルツ侯爵に気づかれないよう、ディランに仮面男爵として身代わりをしてもらっていたが、素顔をさらしても侯爵には俺がヨハンブルグ家の者だと勘づかれていない。父上と母上のことを忘れているとしたら腹立たしいが。きっと俺も死んだと思い込んでいるはずだ」


「シュペルツ侯爵は悪魔みたいなやつだよ。ナディアがかわいそう」


ウンディーネが眉を寄せて肩を落とす。


「ああ。ようやく悪魔のようなあの家から計画通りナディアを救って、俺の傍において安全を確保できた。ここからが復讐の始まりなんだ」


セラフィナは髪をかきあげ、頬に手を添える。


「復讐のこと隠したいレイ様の気持ちは分かったけどぉ、結局ナディア様に指輪渡すのぉ、渡さないのぉ?」


「もちろん渡すさ」


「いつですかな?」


ソフィーに聞かれ、レイヴノールは考え込む。


「いつ? うーん、いつがいいかな」


「すぐでしょ! ナディア、元気ないし、花畑見たら元気でるかもよ。レイが連れていかないならボクが連れていっちゃうよ」


「すぐって、もう真夜中たぞ」


「じゃあ、明日!」


「主、明日は午前中であれば、少し時間の余裕がありそうだ」


「決定ねぇ。レイ様、明日必ずナディア様に指輪を渡すのよぅ」


「ナディア様が少しでも元気を取り戻して下さればいいが」


「流れで決まってしまった……」


レイヴノールはぽかんと口を開けて、口々に明日のことを話す4人を眺めた。



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