クラブ「月光」の喧騒は、入口から押し寄せる冷たい殺意で瞬時に凍りつく。
タイトな黒スーツ、首に刺青が覗く男たちが、鞘から抜かれた刃のよう、生者近寄るなの殺気を放ち、視線は鉤のように、ブース席の浩一を正確に捉える。
リーダーの男、顔に刀傷が横たわり、口元が裂け、森白の歯を見せ、人を喰らう狼のようだった。手に握る写真は、黒田精工入社時の従順な浩一の社員証写真——岡田からの刺客を意味していた!
「探したぞ、浩一」
刀傷男の声は砂紙の摩擦のように嗄れ、騒がしい音楽の背景でも異常にクリアで、隠しきれない悪意を帯びる。
「俺たちと一緒に来な。岡田さんがじっくり『話したい』ってよ」
背後の連れが暗黙に散開し、包み込むような陣形と作った。リナは顔を青ざめ、ソファの隅に縮こまり、息もできない。小山雄一郎はこの光景を見て、濁った目に病的な狂喜が爆発し、浩一が引きずられ殴られる惨状を想像する。
危機!
冷たい警告が鋼の針のように浩一の脳に突き刺さる。
【危機察知(初級)】がパッシブで発動!
言葉にならない、針で刺すような感覚が背骨に走った、刀傷男の右手が懐に素早く伸びる動きを瞬時に捉えた——武器だ!
ほぼ本能に近い反応、刀傷男の指が懐の何かに触れる刹那、浩一が動いた!
後退ではなく、包囲の最も脆い右翼に猛突進!その動作は豹のように迅猛で、孤注一擲の凶暴さを帯びる。
「止めろ!」
怒号とともに、傷痕の男が懐から閃光のように伸縮警棒を抜いた。
振り下ろされる一撃を、浩一はかすめるようにかわし、むしろ右側にいた敵の腹部へと肩から突っ込んだ。
「うっ!」
刺客は不意を突かれてよろめき、痛みの叫びを上げる。
包囲に一瞬の隙ができると、浩一は一瞬の躊躇いもなく、この隙を掴み抜け出した。
振り返らずにクラブの奥にある従業員通路の門まで駆ける!
そこは、この窮地を脱する唯一の生きる道だ。
「お前ら!さっさと追え!」
刀傷男は激昂し、警棒でクラブの柱を叩き、深い凹みを残す。彼は手下を率い、獰猛に追いかける。
「へぇー、なかなかの反応ね」
神代凛は、静かに視線を浩一が去った暗闇に投じた。
瞳がきらめき、そこに何かを見抜いたかのような光が宿った。
彼女は優雅にシャンパングラスを置き、緊張するマネージャーに淡々と指示を出す。
「場を清めて。部外者は出て行ってもらいなさい」
「もちろんです!神代さま!」
マネージャーは赦免の恩寵を得たかのように即座に動き、警備員を呼びつけた。
リナと他の客たちは「ご配慮」という名の強制力により、静かに外へと促される。
小山はというと、二人の屈強な警備員に両脇を取られ、地を這うような叫びを残して姿を消した。
一方、浩一は従業員通路へと駆け込んでいた。
陰鬱に湿った道は、消毒液と腐臭が入り混じる、生理的嫌悪を催す空気に包まれている。
追ってくる足音と怒号が背中にまとわりつき、まるで神経に齧りつく虫だった。
システムの【危機察知】が警報を鳴らし続けていた——危険が迫ってくる。
通路の終点には重たげな防火扉、その先にはネオンのちらつく裏路地。
その瞬間——前方の闇を裂いて、刀傷の男と刺青の男の影が踊り出た。
獣のような笑みを浮かべる刀傷の男が背後の仲間との挟撃を完成させた。
「どうした、逃げねぇのか? 腰でも、抜けたか?」
警棒を軽く振るいながら、一歩、また一歩と詰め寄る。
脇から現れた二人も、短棍を引き抜き、浩一を囲む。
背は冷たい壁に預けるしかなく、息が荒れ、額に滲む冷汗が視界を曇らせる。
三対一、袋小路、敵は全員武器を携えている——絶体絶命、この上ない死角。
だが、その瞬間——浩一のポケットに潜む鬼札のコインが脈動し始めた。
かつてない熱が布越しに皮膚を焼き、眠れる獣の咆哮が、沈黙の中で静かに目覚める。
命の危機を前に、【初級威圧オーラ】が限界まで上昇し、無言の殺気となって空気を歪ませる。
刺客の足が、一瞬わずかに鈍る。脳裏に走る、得体の知れぬ寒気。
「両足をへし折れ!これは依頼だ!」
刀傷の男が怒声を上げ、棍棒が鋭く空気を裂く。
右膝を狙うその一撃に続き、左右の短棒が浩一の脇腹へ殺到する——!
危機一髪!脳内に鳴り響く【危機察知】の警報。
瞳孔が収縮し、恐れの感情が霧散した。
ポケットの中の鬼札が熱を放ち、それに呼応するかのように、狂気が体を駆け抜け、浩一を支配した。
【危機察知】の警報が脳内で炸裂した!
浩一の瞳が縮まり、すべての恐怖がコインの熱で蒸発し、獣の生存本能と、追い詰められた狂気が残る!退路はない!
棍棒が膝に当たる刹那、浩一の身体が左に倒れる!
この動きは極めて危険、自ら網に飛び込むようで、左から来る短棍をより当てやすくする。
だが、奇妙な一幕が!
彼の倒れる動作は完全に制御を失ったものではなく、言葉にならない予見と巧妙な力を持つ。
倒れ辺の瞬間、左手が横の油まみれのゴミ箱の置き端にしがみつき、その体を円を描くように地面で急旋回させる。
その美しいまでの動作に、刀傷男の把ぶる手の挟棍はズボンのすそを掠って、コンクリートに火花を散らす。
左側の短棍も、この不意の回転でわずかな差で回避される。
右側の短棍は、準備されていた脊背への打撃が、流れるような倒れる動作で肩に当たる。
「バシっ」
重い音と共に、短棍が激しく左肩に叩き込まれ、熱を広げる痛みが全身を駆ける。
だが浩一の瞳は、その痛みを裏切るような光を放った。
「今だっ」
回転を利用し、さらに強く地面を押して、その反動で身体をばねのように反発させる。
左肩の痛みを振り切り、右足に全身の力を込め、鞭のような蹴りを右側の刺客の戦意を突き、仕留めた。
「ボキッ」
文字通り、骨が裂ける音が、詰まった通路の空気を切り开いた。
「うぎぁぁぁーっ」
右側の刺客がとっさに裏路までも響くような痛喉を上げ、ひざを抱えて地面に野垂れこんだ。
刀傷男も、他の刺客も、瞬間、息を呑んだ。
一瞬前まで、この場の空気から浮き、誰より無害に見えた男が、まるで猛獣のごとく襲いかかったのだ。
「佐藤浩一」――いや、今やその名のもとにいた穏やかな男はそこになく、まるで異質ななにかが目を覚ましたようだった。
「グシャ!」
骨の軋む音が、異様な鋭さで響く。
「うああああっ!」
右の刺客が絶叫をあげ、膝から崩れ落ち転げ回る。
その痙攣する肉体に、誰もが視線を釘付けにされた――今、仲間が一撃で潰された?
刺客の思考が追いつく間を与えずに――浩一は動いた。
わずかな着地の反動と、左肩の激痛を力に変え、怒れる獣のように、次の敵へと肉薄する!
二人目の刺客は、目の前で起きた惨劇に本能的に怯えた。短棍を握る手に少しの迷いが生じ、わずかに体が傾いた。
浩一は逃げずに、そのわずかな虚を突く。
裂けるような痛みに耐え、負傷した左肩を盾とし、振り下ろされた短棍を無理やり受け止める!
鈍く重い音が響く――骨が軋み、視界が白む。だがその瞬間には、既に右手が動いていた。
獣の鉤爪のごとく、指が鋭く、執拗に、敵の顔面へ!
狙いは――眼球。
「ぐああああっ!!」
またしても響く悲鳴。
刺客の顔から血が滴り落ちる。
視界を失い、彼はよろけて、背後のゴミ箱に激突した。
周囲の空気は、沈黙と恐怖に一変していた。
それは、たったひとりの男が作り出した修羅の気配だった。
電光石火の間に、形勢が逆転する!
倒れた2人の仲間を見て、刀傷男は驚きと怒りに震えていた。
そして、血まみれで、目が悪鬼のように冷たく狂気を孕んだ浩一を見て、寒気が足元から湧き上がる!
(こいつ…人間かよ!)
「クソくらえ!」
刀傷男は怒り狂って咆哮した。
警棒を振り回し、先ほどより捨て身の攻勢を仕掛けた。
左肩の感覚は薄れ、体力も大きくに消耗した浩一。
【危機察知】が致命的な一打となる攻撃を警告する。
浩一は本能と微かな予知だけで、なんとか転がって躲すが、身体に火傷のような傷をさらに増していった。
浩一の体力の限界が近く、刀傷男の目に残忍な興奮が浮かび、警棒を高く上げとどめの一撃を繰り出そうとした。
――その時!
「ヒュッ!」
音が裏路地の空気を裂く!
「パシッ!」
男の警棒が宙を舞う。
銀色に光る異物――まさかのシャンパンの栓が、棍を凹ませていた!
衝撃が刀傷男の手を裂き血が滴る。
驚愕の表情で振り返る視線の先、通路の出口に黒光りするトヨタ・センチュリーがいつの間にか停まっていた。
その車両にもたれかかるのは、神代凛。
夜風にベルベットのドレスを揺らしながら、女王のごとく佇む彼女の手には、空のシャンパングラス。
――さきほどの栓は、その指先から放たれたものだった。
鋼のように整えられた黒のスーツを纏い、山のような圧に満ちた男たちが、凛の背後にぬるりと現れる。まるで影が実体を得たかのような無音の動き。
そのうち一人が、黒光りする拳銃を構えていた。
銃口は――刀傷男を狙っている。
裏路地の温度が、まるで氷点下に落ちたように感じられた。
男は息を呑み、背中を伝う汗に気づいたときには、もはや動けなかった。この護衛たちは、ただの用心棒ではない。
神代財閥――その名の真の意味を、彼の骨の奥まで叩き込むには十分だった。
「……消えな」
それは、命を奪うことも厭わない女王の宣告だった。
男は命の赦しを得た獣のように、地を這い仲間を振り返ることもなく逃げ出した。
冷たい壁に背を預け、浩一は荒く息を吐いていた。
左肩の激痛と全身を這う無数の傷が、意識をじわじわと削っていき、視界が徐々に暗転しながらも、目の前に立つ女と、まるで影のような二人の男を凝視した。
――この女、一体……何者だ?
栓を正確に射撃する腕と、男に向けられた銃口
。
逃げ去った男から目を戻した神代凛の視線が、次に捉えたのは、血にまみれながらも目に光を宿す浩一だった。
コツ、コツ――
ヒールの音が、静寂に支配された裏路地に乾いた音を響かせる。
彼女はゆっくりと歩み寄ると、冷たい雪松と、深山の泉を思わせるような、透き通るような香りが浩一を刺す。
凛は白く細い指を伸ばし、汗と血に汚れた浩一の前髪をそっと払った。
その動作は優雅で柔らかい。だが、その眼差しは違った――
まるで古の戦場から掘り出された、壊れかけの兵器に興味を示す眼だ。
「ふふ、棘って、思ったよりも鋭いのね」
その声は倦怠と戯れの混じった甘やかなものだった。指先が触れるたび、浩一の傷がひりつくように疼く。
「でもね――そんな生半可な野性じゃ、ここではすぐに喰われる」
体を起こした彼女の瞳は、もう眼前の男ではなく、この世界のすべてを俯瞰していた。
「“コイン”の気配、、さっきの絶体絶命の中で目覚めた霊覚。凡人とは違う、面白い素材ね」
ひそやかに歩み寄り、浩一の耳元に寄せた唇が、まるで蘭の香を含んだ吐息を届ける。だが、それは甘い囁きではない。まるで花のように柔らかいが、言葉は冷たい鋼のようだった。
「神代財団には、私の望む“棘”が必要なの。無駄な“枝”を剪定するために。あなたの面倒は見てあげる。だから……私のために生きなさい」
凛は少しだけ足を止め、ちらりと浩一の肩の傷を見やると、否応ない強さを帯びた言葉を発した。
「今すぐ、私と来なさい。傷の処理が必要。それと……あの“ハエ”も始末しなければならない」
その視線はクラブの方角を掠める。岡田健太――それが意味するところを、浩一は即座に理解した。
浩一の頭の奥で冷たい電子音が鳴る。
【任務達成:棘の影(黒道の追撃を振り切る/神代凛との初歩的接触)】
【報酬:5,000,000円が口座に送金されました】
【解放:危機察知(初級)<パッシブ>発動中】
【新任務:棘の用心棒】
【目標:神代凛の“誘い”に応じ、財団の“裏”に足を踏み入れること】
【報酬:10,000,000円 + 格闘技基礎<パッシブ>の解放】
【警告:この選択は、主の運命の座標を大きく変化させます。冷静に考えて判断することを推奨します】
闇に沈む黒のトヨタ・センチュリーのドアが、沈黙のまま音もなく開かれた。
神代凛は滑るような優雅な動きで乗り込み、背後に立つボディガードが、威嚇するような眼差しで浩一を見つめていた。
壁にもたれかかったまま、浩一は歯を食いしばって痛みを堪える。
左肩が焼けるように痛む。先程の戦いの余韻が、まだ身体の奥で燻っていた。
目の前には神代凛。
その言葉は冷たくも魅惑的で、脳裏に“報酬”と“力”という文字が浮かぶ。
岡田の報復。小山の消え方。美由紀の取り乱し。
すべてが頭をかすめるが、凛にとっては「取るに足らぬハエ」に過ぎない。
従うか、抗うか――。
浩一は血まみれの手を見下ろし、やがて車内の凛へと視線を移した。
影に包まれながらも、彼女の瞳は寒空に凍える星のように煌めいていた。
ポケットの鬼札が、彼の意志を焚きつけるように熱を放つ。
唇を舐め、そして心の奥で残っていた“ためらい”に別れを告げる。
足を引きずりながらも、確かに一歩を踏み出した。
棘の刻印を身に纏い――そして、未知と力の象徴であるかのような扉へと、足を進めた。