新幹線「のぞみ」は銀色の弾丸のように夜を切り裂き、大阪へと向かった。
グリーン車の車内には重苦しい空気が漂っている。
凛は、すっきりとした黒のオーダーメイドコートに身を包み、長い髪を束ねていた。彼女の眉目にはもはや怠惰な気配は一切なく、氷のような冷徹さと、奥底に秘めた焦燥だけが宿っていた。
彼女の指先が暗号化されたタブレットの上を素早く滑り、画面には絶え間なく現場の速報と死傷者の報告が流れていた。
浩一は彼女の向かいに座っていた。同じく黒衣に身を包み、左肩の傷は専門の薬と包帯で処置され、ほとんど問題なかった。
【基礎格闘精通】による身体の制御力で、高速列車の揺れにも完全に適応していた。
彼は目を閉じて体を休めているように見えたが、意識は脳内のシステムインターフェースに沈み、【弱点洞察(初級)】のアンロックによって得られた微細な変化を感じていた――視界はより鮮明になり、環境中の違和感に対する本能的な敏感さが増していた。特に他人の身体言語やわずかな隙に対する察知力が著しく向上していた。
ポケットの中の「鬼札コイン」は、“白狐”という名が現れてからずっと、まるで宿敵に遭遇したときのような興奮の震えと、冷たい警戒を併せ持つような、低く連続したうなり声を発していた。
「現場はひどい有様よ」
凛の声が沈黙を破り、タブレットの画面を浩一に向けた。
「三台の車両が、嵐山の竹林にある山道の最も危険な“幽谷のカーブ”で崖下に追いやられた。我々の人間が即座に現場を封鎖したけど、襲撃者は非常に綿密で、追跡可能な物理的痕跡はほとんど残されていなかった。唯一の生存者、主任技師の吉田は重傷で意識不明、今も救命処置中。容体はかなり厳しいわ」
画面には数枚の現場空撮画像が映し出される。ねじ曲がった車の残骸が、急峻な谷底に散らばり、焼け焦げた黒い跡が目を引いた。
「月読の核は?」浩一が平然とした声で尋ねる。
「消息不明」神代凛の目は刀のように鋭かった。
「あれは特殊な多重生体認証と自爆プログラムを備えた携帯端末で、“月読神社”プロジェクトの核心データと初期起動キーが保存されていた。最後に信号を発したのは“幽谷のカーブ”付近で、それ以降は完全に消えた。襲撃者の狙いは明らかにそれだった」
「白狐……」浩一はそのコードネームを低くつぶやいた。「やつ(彼女/それ)に特徴は?」
「幽霊よ」
凛の声には骨の髄まで冷えるような寒気があった。
「誰も“白狐”の正体を見たことがない。あるいは、見た者は全員死んでいるとも言える。唯一わかっているのは、“織影商会”で最も鋭く、最も不可解な“掃除屋”だということ。事故を装った殺害、変装や心理戦に長け、行動は予測不可能。人の精神に干渉するか、幻覚を生じさせる何らかの能力を持っているという噂もあるわ」
彼女は一拍置いて、浩一を見つめた。
「だからこそ、あなたの棘が必要なのよ」
浩一は心の中で理解した。神代凛が彼を重用するのは、彼の非情さや決断力だけでなく、「鬼札」によって強化された“白狐”の異能に対抗可能な“非人の感覚”があるからだろう。
列車が京都駅に到着したときには、すでに深夜になっていた。プラットフォームは静まり返っており、漆黒のレクサスLSが二台、すでに待機していた。
挨拶も交わさず、一行はすぐさま車に乗り込み、車列は沈黙の刃のように京都の静寂な夜を貫き、嵐山へと向かった。
嵐山「幽谷のカーブ」事故現場。
警戒線が山道の急カーブを完全に封鎖している。
神代財団のセキュリティ部隊は、黒の戦闘服に身を包み、険しい表情で現場を掌握していた。山風さえも凍りついたかのような、殺気立った
空気が漂っていた。
ガソリンの濃い臭い、焼け焦げた匂い、微かな血の匂いが、竹葉の清涼さと混ざり合い、まるで地獄のようなコントラストを成していた。
浩一と神代凛は、現場責任者のセキュリティ主任に案内され、崖の縁へと進んだ。
谷底には、強力な照明に照らされた車の残骸が、まるでねじれた金属の怪物のように横たわっていた。救助隊はまだ最終的な捜索を続けていた。
「襲撃の手口は?」
浩一は【弱点洞察】による鋭い目で路面を細かく観察しながら尋ねた。
「初期判断では、高精度な電子妨害と物理的破壊の組み合わせです」
チーフは筋張った中年の男で、低い声で答えた。
「カーブに差し掛かる直前、車両は強力な電磁パルス攻撃を受け、制御系と通信が一瞬でダウンしました。同時に、路面には事前に仕掛けられていた少なくとも三つの高威力な磁気吸着型爆弾が、車両が滑り始めた瞬間に起爆。ブレーキとハンドル機構を破壊し、最終的に転落させたのです」
カーブ内側にある焦げた不規則な爆破痕を指差した。
「完璧な罠ね」
凛の眼差しは氷のようだった。
「極めて正確な時間制御と、現場の綿密な情報把握が必要。白狐…やはり只者ではないわ」
浩一はしゃがみ込み、爆破痕の縁にある土を指先でそっとなぞった。
彼は指先で少量の土をすくい上げ、強いライトの下でじっくり観察する。
その土には、極めて微量の、肉眼ではほとんど見えない銀色の粉末が混じっていた。
「これは…?」浩一が眉をひそめた。それは一般的な爆破の残留物とは違っていた。
チーフが近寄って見て、顔色を変えた。
「これは…初めて見るな。金属粉末…それも微細だな!」
浩一の中で何かが反応した。ポケットの中の鬼札コインが、微かに反応したのだ。
その銀粉に向けて、わずかにうねるような振動を感じる。浩一は無表情のまま、それをそっと採取して保管した。
そのとき、警備隊員が慌ただしく駆け込んできた。
「チーフ! 凛様! 吉田技師が…搬送中に心停止!」
神代凛の拳がぎゅっと握られ、指が白くなる。吉田はプロジェクトの中核人物だった。その死は甚大な損失だった。
「し、しかし!」
隊員は息を切らせつつ、信じられないものを見たような口調で続けた。
「吉田技師の遺品を整理していた看護師が…彼の右手に、何かを強く握っていたんです! 以前の検査では何もなかったはずなのに!」
「何?」
凛と浩一が同時に尋ねた。
隊員は掌を広げた。そこには防水のオイルクロスで丁寧に包まれた、親指ほどの小さな円筒があった。布を開くと、中には漆黒の、非常に精巧な金属製USBが現れた。その末端には、まるで三日月のような極小の銀の刻印が彫られていた。
「月読の核の…緊急バックアップユニットだ!」
主任が思わず叫ぶ。
「吉田は…襲撃を察知して、核心データの圧縮キーと重要なログの一部を、身に隠していたんだ!」
形勢逆転!
凛の目に、鋭い光が宿る!
浩一はすぐに前に出て、その冷たいUSBを慎重に受け取った。その指先がUSBに触れた、その瞬間——ブーン!
ポケットの鬼札コインが、突如として灼けつくような共鳴を放ち始めた!
氷のように冷たい、しかし膨大な情報の奔流が、決壊した洪水のごとく浩一の意識へとなだれ込む!
【高次元情報媒体(断片)を検出…解析開始】
【同源異質エネルギー波動を感知…警告:媒体には精神印が付着】
【防御モード起動中…精神印を剥離中】
【一部情報流を捕捉…宿主の記憶へ転送】
浩一はうめき声を上げ、体が激しく痙攣する!視界が一瞬で崩れ、無数の断片的な光景と音が脳内に閃光のように流れ込む!
猛スピードで走る車内、車窓の外では歪む竹林!
耳を劈く電磁の爆音と車体の激震!
制御不能の直前、不自然なほどに冷静な目をした神代の制服姿の人影!
そして、崖の竹の梢に立つ、光と煙のように揺らめく女の影。唇に浮かぶ、妖しく人外の微笑!
最後に、蛇のような声が意識に刻まれた。
「……神代の“月神の眼”…“織影”の手に落ちたわ…凛の怒り…楽しみね…」
「佐藤顧問!」
凛は、ぐらついた浩一の身体をすぐに支えた。
彼の顔は蒼白で、額には冷や汗がにじんでいた。だが、その目は驚くほど鋭く、まるで氷の刃のような光を宿していた。
「白狐は……女だ」
浩一は荒く呼吸を整えながら、かすれた声で言った。
その声には疲弊の色がにじむ一方、冷酷な意志の炎が燃えていた。
「彼女は姿を変えることができる。襲撃者の中に――内通者がいた。神代の安全部隊の中に。彼女は……あのとき現場にいたんだ。あの目で、全部見ていた。そして言った……“月神の眼は織影のものになった”と!」
彼は、先ほど脳裏に流れ込んできた断片的だが決定的な映像と音を、急いで言葉にして報告した。
神代凛の瞳孔が、ぎゅっと収縮した。浩一が伝えた「内通者」――そして「白狐の変身能力」という二つの情報は、どれも作戦の根幹を揺るがす重大なものだった。
そして、USBメモリひとつからそれだけの情報を“読み取った”浩一に対する彼女の視線には、驚愕と敬意、そしてある種の畏怖が混じっていた。
「直ちに安全部隊の全人員を封鎖! 緊急警戒レベルに引き上げ!」
神代凛は冷徹な声で安全主任に命じた。その口調は、まさに氷の刃のように鋭かった。
「全員、その場に待機。隔離審査を受けさせて。あなたも例外じゃないわ」
主任は一瞬顔色を変えたが、すぐに無言で命令を受け入れ、部隊に指示を飛ばした。
浩一はようやく呼吸を整えながら、手にした黒いUSBの冷たい感触を再確認した。ポケットの鬼札コインの震えは徐々に静まっていたが、それでもわずかながら警戒の波動を放っていた。
そして彼の脳裏には、あの妖艶な笑みと、毒のような声がなおもこびりついて離れない。
「月神の眼……織影……」
浩一が低くつぶやく。
「それは“月読の核”の別名よ」
凛が静かに応じた。その眼差しは深く、底知れないものがあった。
「織影商会は、私たち以上にこの計画の真実に近づいている可能性がある。吉田が命をかけて遺してくれたのは、ただのバックアップなんかじゃない……これは糸口よ」
彼女は浩一を見据え、そこには復讐の炎と、今までにない真剣さが浮かんでいた。
「その内通者を見つけ出して、佐藤くん。あなたの“荊棘”で、影に潜んだ“白狐”を――陽の下に、打ち据えてちょうだい!」
任務更新:白狐の影を狩れ
任務目標:24時間以内に、“月読の核(バックアップ)”と現場の手がかりを活用しすること。
① 部隊内の内通者を特定・排除
② “白狐”の潜伏先を見つけ出せ
報酬:追加入金 1,000万円(基本報酬は3,000万円のまま)
特別提示:内通者の排除に成功した場合、“弱点洞察”スキルの熟練度が大幅に上昇。
浩一の口元が、冷たい、だが戦意に満ちた弧を描いた。
狩りが始まる――