逃げ場のない廃墟で、ついに紡と林 耀が真正面から対峙します。
彼らの「真の欲望」がぶつかり合う時、一体何が起こるのか。
天響研究所の跡地。夜風が吹き荒れる中、林耀の狂気じみた歓喜の声が響き渡った。
「さあ、小鳥遊さん。この場所で、貴女の『真の欲望』の全てを、私に見せてください。」
紡は、全身が震えるのを感じた。逃げたはずなのに、結局は林 耀の「根源」の地で、彼と対峙している。しかも彼は、紡の能力の覚醒を心から喜んでいる。まるで、紡が彼の思惑通りに動いていると言われているかのようだった。
林 耀は、ゆっくりと、しかし確実に紡との距離を詰めてくる。その瞳には、獲物を追い詰める捕食者のような冷酷さと、未知への探求に燃える狂気が同居していた。
(どうすればいい……?)
紡は、あたりを見回した。崩れかけた鉄骨、瓦礫の山、焼け焦げた壁。隠れる場所はいくらでもあるが、林 耀の追跡能力は計り知れない。
「貴女の『拒絶』の欲望は、私の計画に新たな可能性を開いた。瞬間移動……いいや、意識の具現化か。貴女の『認識』が世界を変える。この力こそ、まさに私が求めていたものだ!」
林 耀の声は、歓喜に震えていた。
「貴女の『真の欲望』は、私が失ったものを再構築するための、完璧な『核』となる。」
彼の言葉が、紡の胸に重くのしかかる。
(私の欲望は、私のものだ……!)
(貴方の道具なんかじゃない……!)
紡は、ポケットの中の招待状を強く握りしめた。招待状は、脈動している。
「私は、貴方の目的には協力しません。貴方の欲望は、世界を『無』に帰すと言った!」
紡は、林 耀にそう言い放った。
林 耀は、フッと鼻で笑った。
「『無』? いいえ、それは新たな『構築』のための必要な段階だ。腐敗した肉体を捨て、意識を再構築する。それは、より完全な生命への進化なのです。不完全なこの世界を、私が、救済して差し上げます。」
彼の言葉は、あまりにも独善的で、倫理観を欠いていた。
「貴方は、死んだ人たちを生き返らせようとしているだけじゃない!」
紡は、林 耀の言葉の裏にある、恐ろしい真意を感じ取った。
「そうですよ。」林 耀は、いとも簡単に認めた。「死んだ者たちが、完全な形で『再構築』されれば、この世界の不完全な生命は、もはや不要となる。真に洗練された世界が、そこには生まれるのです。」
彼の言葉は、まるで全人類を巻き込む壮大な計画を語っているかのようだった。
そして、その計画の「核」が、紡の「真の欲望」なのだと。
その瞬間、紡の脳裏に、あの廃墟の壁に触れた時に見た、林 耀の幼い頃の記憶の断片が鮮明に蘇った。
炎の中で、青白い光に包まれながら、林 耀が誰かの名前を叫んでいる。
それは、藍の父親の名前だった。
そして、その光景の中に、もう一つの、小さな光の塊があった。
(あれは……招待状……?)
紡は、息をのんだ。あの火災の時に、招待状はすでに存在していたのか?
そして、その光が、林 耀の「真の欲望」を決定づけたというのか?
「小鳥遊さん。貴女は、その『書』が示す『欲望の地図』を見つけたでしょう。それは、この研究所の地下に残された、藍沢博士の『遺産』の一つです。」
林 耀の言葉に、紡はさらに驚愕した。
彼は、紡が「欲望の地図」を見つけたことまで知っている。
「藍沢博士は、『書』の力を人工的に引き出す研究の過程で、この『欲望の地図』を作成した。それは、人間の心の深層にアクセスし、『真の欲望』の道筋を示すものだ。」
林耀は、一歩、また一歩と近づく。
「しかし、博士は、あと一歩のところで道を誤った。そして、貴女の『書』――『本物の導きの書』の存在に、最後まで気づかなかった。」
彼の表情に、かすかな嘲りが浮かんだ。
「私は違う。私は、貴女の『書』の真の価値を理解している。そして、貴女の『真の欲望』こそが、全ての鍵なのだと。」
林 耀の手が、紡へと伸びてくる。
「さあ、小鳥遊さん。貴女の『真の欲望』を、私に渡していただこう。」
彼の指先が、紡の胸元へと迫る。
そこに触れられれば、全てが奪われる。
そんな直感が、紡の全身を駆け巡った。
(渡さない……!)
(私の欲望は、貴方のものじゃない……!)
紡の「拒絶」の意志が、再び心の奥底で燃え上がる。
同時に、ポケットの中の招待状が、かつてないほどの熱と光を放ち始めた。
その光は、まるで紡の命そのもののように、激しく脈動する。
そして、招待状の白い表面に、これまで見たことのない、複雑で巨大な紋様が、闇の中で輝きを放ち始めた。
それは、まるで「欲望の地図」全体が、招待状の上に凝縮されたかのようだった。
林 耀の顔が、驚愕に歪む。
「これは……!そんなはずは……!まだ、その段階では……!」
彼の顔から、いつもの冷静な表情が消え失せ、純粋な焦りと混乱が浮かんでいた。
彼もまた、紡の力の覚醒が、自身の想像を超えていることに気づいたのだ。
招待状から放たれる光が、廃墟全体を青白く照らし出す。
その光の中で、紡の体は、まるで光の粒子となって分解されていくかのように見えた。
林 耀の手が、空を掴む。
そして、次の瞬間。
紡の姿は、闇の中に、消え去っていた。
林 耀は、茫然自失といった様子で、虚空に手を伸ばしていた。
「……消えた……? まさか……」
彼の背後で、天響研究所の朽ちた鉄骨が、夜風に軋む音を立てていた。
林耀の脳裏に、かつて研究室で交わした、藍沢博士の言葉が蘇る。
『もし、この研究が暴走すれば、世界は、根源的な『無』に帰すだろう。その力を制御できるのは、『真の欲望』を、誰かのためではなく、自分の意志で変えられた者だけだ……』
(つづく)