「これから、料理するのか?」
静かな、でも、とても優しい声が聞こえる。
あぁ……ボク、この声好きだなぁ。
耳に心地よくて、胸の奥がふわっと軽くなる。
「はい。でも、その前に」
カウンターの中の厨房。
その真ん中に位置する【ガスコンロ】の上で、ゆらゆらとたゆたう琥珀色のスープをお皿によそう。
この店で一番に口にしてもらうものは、この店で一番の自信作でありたい。
「【歩くトラットリア】特製、コンソメスープです」
ふわりと湯気がのぼり、あとを追うようにたまらない香りが広がっていく。
うん。今日のスープも大丈夫。きっと喜んでもらえる。
このコンソメは、お師さんのお師匠様である、先代オーナーのオリジナルレシピだ。
ボクはいまだかつて、これを超えるスープに出会ったことがない。
「…………綺麗だ」
スープを見た彼女の口から、そんな言葉がこぼれ落ちる。
ちらりとこちらを窺った彼女に、笑顔で「どうぞ」と勧める。
金属のスプーンを差し出すと、彼女はそっと手に取る。
ぁう……指先が触れた。
ドキドキするボクをよそに、彼女はまったく気にする素振りも見せずに――というか、スープに釘付けな様子で、静かにスプーンをスープへと沈める。
「……いただきます」
律儀に呟いて、そっとすくい上げたスープを口へ運ぶ。
「――っ!?」
途端に彼女の瞳が大きく見開かれる。
鼻で大きく息を吸い込んで、まぶたを閉じ、口の中に広がる香りと味を堪能する。
そして、まぶたを開けると同時に二口目を口へと運ぶ。
「すごい……」
その一言を呟いた後は、止まることなく、一心不乱にスープを口へと運び続けた。
よしっ!
ボクは心の中で拳を握り渾身のガッツポーズを決める。
こんなに美味しそうに食べてくれれば、それは嬉しいに決まっている。
「おかわり、たくさんありますからね」
にやけようとする口元をしっかりと制御して言葉を発する。
油断すると、顔中ふにゃふにゃになってしまいそうだ。
なんでだろう。
これまで何人ものお客様に料理を振る舞ってきたけれど、こんなに嬉しいのは初めてだ。
なんで、なんだろう?
「あの……」
疑問が脳内を、感動が体中を駆け巡り、ともすれば緩みそうになる表情筋と格闘しているボクに、彼女が遠慮がちに声をかけてくる。
「もう一杯……その、お、……おかわりを、いただけないだろうか?」
きっ……
きたぁ! きたきたきたぁ!
料理人が言われたい言葉ナンバーワン!
「おかわりください」!
「美味しい」よりもさらに上の快感を与えてくれる魔法の言葉。
とても「美味しい」料理でも、一杯食べれば十分な物もたくさんある。
けれど、一杯では満足出来ず、「もっと食べたい」という欲求を掻き立てられた末に発せられる「おかわりください」は、「美味しい」をベースに、もうワンランク上の感動を生み出す言葉、上位互換の言葉と言ってもいい。
ボクは「美味しい」という言葉を聞くために料理を作っている。
けれど、たまにもたらされる「おかわりください」は、「美味しい」よりも発生確率が低い分、驚きと共に湧き上がってくる感動も一入だ。
たまに、失神しそうになるくらいだ。
「あ、あの……ダメ……だろうか?」
「いいえ、とんでもない! 喜んで! 二杯でも三杯でも!」
お皿を受け取り、最初と同じくらいの量をよそう。
本当ならこぼれるくらいになみなみとよそいたいところだけど……おかわりの量は、最初の一杯を超えてはいけない。
一杯目でそこそこお腹が満たされた状態で一杯目以上の量を出されると気圧されてしまうことがある。人によっては、三杯目のおかわりを躊躇してしまうことも。
お客様は「おかわりを頼んだ以上は残せない」、そんな心理が働くため、無理矢理でも二杯目は平らげてしまう。それではダメなのだ。
あくまで楽しく、最後まで美味しいと思ってもらったまま、食事は幕を引くべきなのだ。
あぁ、でももっと食べてほしい。もっともっと味わってほしい。
毎日でも、彼女に食事を食べてほし………………
「ぅへぃっ!?」
熱に浮かされた脳が不意に思いついた思考に驚いて、思わず変な声が出てしまった。
……毎日、食事を…………それって……
「どうか、したのか?」
「あっ、あぁいえ! お気になさらずに、召し上がってください!」
彼女の赤い瞳に見つめられて、ボクの頬にも赤が伝染する。
まったく。
ほんのちょっと綺麗なお客様だからって浮かれちゃって。男ってやーねー。――と、自分を茶化しておく。