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2話 笑顔の味 -2-

 本当に、今日のボクは少し変だ。

 …………あのおっぱいがいけないのかな。度肝を抜かれたというか………………じぃ。


「あの……そんなに見られると、ちょっと……食べにくい」

「へっ!?」


 おぉおう!?

 またしても!

 またしてもガン見してしまった!?


「申し訳ございませんっ!」

「いやっ、そんなに力いっぱい謝るほどのことではないと思うのだが!?」


 あなたは、食べる手元を見ていたと思い込んでいるようですが、実は違うんです!

 その向こうの豊かな膨らみをガン見していました! いや、もはや、視線で揉んでいました!


「なんたる恥知らず! ボクはダメ人間です!」

「少年っ!? 少し落ち着いてはどうか!?」


 カウンターに頭を打ちつけるボクを、彼女の声が諫めてくれる。

 そして、優しい手がそっと……肩に触れる。


 この人は、どこまでも優しい。

 顔を上げると、困ったような顔がこちらを見ていた。

 お客様を困らせるなんて、店員失格だ。…………でも、困った顔も可愛いなぁ……そう、この人は綺麗なだけじゃなくて可愛いんだ。時折見せる仕草が、声が、食べ方が――


「……くぅ」


 ――そして、そんなお腹の音までもが。


「す、すまない…………」


 浮かしていた腰を下ろし、両手でお腹を押さえる。

 照れた様がまたたまらない。……弱火でことこと煮込みたいくらいに可愛い。


「す、少し長い間、ろくに食事をとっていなかったもので……こ、このスープを口にした途端、忘れていた食欲が戻ってきたのだ」


 コンソメスープには、食欲を増進させる効果がある。

 この後の料理を、一層美味しく感じてもらうために。


 それでも、彼女はお腹の虫が恥ずかしかったのか、眉を歪めて、視線をあちらこちらへさ迷わせて、少し饒舌に語る。


「しかし、このスープはすごいな。何も入っていないし透き通っているのに、まるでいくつもの具材が入っているかのように芳醇な香りと深い味わいがあって、とにかく、こんなスープは初めてだ」

「すごいです。よく分かりましたね」

「え……?」


 目を丸くする彼女に、自慢のスープの説明をする。


「コンソメスープは、見た目では分からないほどたくさんの食材を使って作られているんですよ」


 グラスに水を注ぎ、彼女の前へと置く。

 導かれるように手が伸び、グラスを持つとそのまま口を付ける。

 そして驚いたようにグラスの中を覗き込む。

 きっと、水が美味しく感じたのだろう。

 豊かな味わいのスープを飲んだ後の水は熱と味を流し、口の中をリフレッシュさせてくれる。それでいて、香りや余韻はそのままにしてくれるから、普通の水でも美味しく感じてしまう。


 そんな驚きを体感しているであろう彼女の耳に、少しだけ出しゃばりな言葉を送る。


「このスープは本当に絶妙なバランスで成り立っていて、何か一つが欠けても、ほんのちょっと身勝手なことをしても、この味は出せません。いろんな物が支え合い、折り重なって、この完全なる調和が生まれているんです」


 彼女の瞳が、ボクを見る。

 ボクも彼女の瞳を覗き込んで、真っ直ぐに声を届ける。


「人間だって、そうでしょう?」

「…………」


 彼女は無言だった。

 でも、言いたいことは伝わった――と、思う。


 彼女の周りには、彼女を大切に思っている人がたくさんいるだろう。

 彼女がいなくなると悲しむ人が、たくさんいるだろう。

 もしそんな人がいないのだというのなら、ボクが大泣きをしよう。


 あなたには、生きてほしい。


 そんな、料理人のエゴをたっぷり載せて彼女の瞳を見つめる。

 そんなボクの視線から逃れるように、彼女の顔が俯いていく。

 そして、赤い髪の毛に隠れるようにして、小さな声が発せられる。


「……邪魔になるモノも、あるのではないか?」


 確かに、料理には合う合わないがはっきりと表れる。

 けれど、それでも……


「合わないのなら、どうすれば合うかを必死で考えます。邪魔になんかしません。それぞれが輝ける場所を見つけて、一番輝ける場所で頑張ってもらいます。――料理の場合は」


 言いながら、ボクはよく冷えたトマトを取り出す。

 それを彼女の前に置いて、質問を投げる。


「お客様は普段どうやってトマトを食べますか?」

「え…………丸かじり……とか?」


 トマトは生食か、ソースにするのが一般的だ。

 けれど。


「実は、トマトは煮ても美味しいんですよ」

「え?」


 じっとトマトを見つめ、そして、いぶかしむような視線を向けてくる。


「……それは、ウソだと思う」


 ボクもそう思った。

 お師さんに『トマトのおでん』なる物があると知らされるまでは。


「ちょっと待っててくださいね」


 コンソメを小さな鍋に適量取り分け、コンロに載せる。

 そして、キャベツを細く切る。歯応えがあるように適度な大きさで。

 それを鍋に入れて軽く火にかける。

 その間に玉ねぎを半分に切り、そして薄く薄くスライスしていく。

 こうすることで煮込み時間を短縮出来る。


「ほぅ……見事なものだな」


 ボクの包丁捌きを見つめ、彼女が息を漏らす。

 ……なんか、照れる。

 調子に乗って、必要以上にスライスしてしまいそうになる。

 いやいや、玉ねぎがこんもり入っていると味が玉ねぎに塗りつぶされてしまう。今回のメインはあくまでトマトだ。


 ボクの包丁捌きを見ながら、真似するようにエア包丁でエアスライスをするお客様。

 なにアレ。超可愛いんですけど。

 背後からそっと手を取って、「こうするんだよ」って教えてあげたい! その際、覆いかぶさってしまうのは不可抗力ということで!


「……玉ねぎ、多いのだな」

「はっ!?」


 彼女が夢中で見つめてくれるから、つい調子に乗って切り過ぎてしまった!?

 切った玉ねぎ、実に四個分。……多いよ。


「いえ、こっちは……別の料理で使います」


 えぇっと、どうしよう。

 とりあえずサラダを一品と……ジャガイモと一緒に甘辛く煮つけて肉無し肉じゃがに……


「と、とにかく。今はこっちを仕上げますね」


 小さな鍋の中で、カットされたキャベツと薄くスライスされた玉ねぎが舞っている。

 水洗いしたトマトを、賽の目にカットして、玉ねぎとキャベツに十分熱が通ってしんなり甘そうになったところで投入する。

 トマトにはあまり熱を通さず、温めるくらいの感覚で。


 最後に溶き卵を、円を描くようにゆっくりと落とし入れてやれば……


「完成です。トマトのコンソメスープです」


 おでんくらい煮込むのも美味しいのだけれど、今はさっと作れるこっちで味をみてもらう。

 大丈夫、このスープもちゃんと美味しいはずだ。


「きれい……だな」


 ふわりと広がるタマゴを見て、彼女がぽつりと漏らす。

「君の方が黄身よりも綺麗だよ……ふっ」とか、気の利いたことが言えればいいんだけど、生憎そんな度胸はボクにはない。……っていうか、タマゴと比べられても……だよね。






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