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2話 笑顔の味 -3-

「いただきます」


 また律儀に言って、スプーンでトマトをすくい上げる。絡みつくようにキャベツと玉ねぎがついてきて、全体を覆うように薄いタマゴがかかっている。

 それをコンソメスープと一緒に口へ流し込み――彼女の頬はほっこりと緩んだ。


「…………合う、な」

「美味しいでしょ?」

「うむ……温かいトマトを食べたのは初めてだが、なんだか懐かしい気がする」


 優しい料理は、どこか懐かしさを感じさせる。

 それはもしかしたら、生命が受けるべき自愛の温かさを思い出させるから、かもしれない。


「……そうか。トマトでも、温かい料理の仲間になれるのか」

「そうですよ。もっとも、いろいろ考えて、物凄く頑張って、仲間になろうって努力した結果、ですけどね」

「そうか……ただ待っているだけでは、ダメなんだな」

「はい。でも、一所懸命頑張っている人なら、温かく迎え入れてくれる場所がきっと見つかります」


 努力は人を裏切らない。

 たとえ生き方を変えようと、たとえ道を踏み外そうと、積み重ねた努力は決してなくなりはしないのだから。

 ボクが、ここでこうして料理を作っていられるように。



 親の期待に応えられず、深いダンジョンに捨てられた――ボクみたいなモノでも、こうして誰かを笑顔にしてあげられるように。



「一所懸命、頑張って……」


 俯き、まるで自分に語り聞かせるような口調で呟く彼女。

 と、同時に、彼女のお腹が「きゅるぅ……」と鳴く。


「はぅっ!? ……ま、また…………」


 お腹を押さえ、憎々しげに睨みつける。

 そんな顔も、どこか可愛い。


「……すまない。恥に恥を重ねてしまって……」

「いいんですよ」


 お腹の虫は、ボクのような料理人にとってはとても愛着のあるものだ。

 その音を聞くと、俄然やる気が出てくる。


 恥ずかしがることなんて、何もない。

 なぜなら。


「お腹がすくのは、体が『生きよう』としている証拠ですから」

「体が……?」

「はい。人が生きるためには食べなければいけません。だから、お腹がすくのは、その人が必死に『生きよう』としている証なんです――って、お師さんの受け売りなんですけど」


 聞いた話をどや顔で語ってしまった。

 ちょっと恥ずかしい。でも、それだけは、この人に知っておいてほしかった。


「……そうか」


 この店に入ってから、ずっと消えることのなかった切ない響きが――


「わたしは、……わたしの体は、生きたがっているのか……」


 ――彼女の声から、消えた。


 よかった。

 これで、彼女はたぶん、もう大丈夫。


「あっ!」


 彼女の前に並ぶ二つのお皿を見て、思わず声を上げる。

 コンソメスープに、トマトのコンソメスープ。


 スープばっかりじゃないか。


 お腹がすいている時に汁物が続けば、そりゃお腹も鳴る。

 トマトの美味しさを伝えたいがために、彼女のお腹のことをすっかり後回しにしてしまった。

 やっぱりボクはまだまだだ。『まだまだ料理人』だ……


「ごめんなさい。今すぐお腹に溜まる物を作りますね」


 慌てて【冷蔵庫】を開ける。

 が、入っているのは野菜ばかり。タマゴはあるけれど、これじゃあパンチが弱い。

 薄い希望に縋るように【冷凍庫】を開けるが……


「…………イカ」


 そこにあったのは、凍ったヤリイカ。カッチコチで、本当に槍のようだ。


 改めて中を覗き込むも、お肉の姿はどこにもない。

 やっぱり、ないか……


 しかし、今このお客様に――彼女に必要なのはお腹が膨れて生きるための元気が湧いてくるような「ガツン!」とした肉料理。

 出来れば、チキンのようなあっさりとした肉ではなく、荒々しく大地を踏みしめて生きる力強い獣の肉。


 ……ボクの、もっとも苦手とする分野の『材料調達』が必要となる。


「なぁ、君。その白い棒状の物はなんなのだ?」


 お客さんが、ボクの握るイカに興味を示す。

 ……って、なんで握っていたんだろう、ボク。


「これはイカですよ」


 手渡すと、ノックをするようにイカの体を叩く。

 コンコンと硬質な音がする。


「凄いな。こんなに防御力の高そうなイカがいるのだな……」

「あ、いえ。それは凍っているだけですよ」

「凍っている? こんな温かい室内でか?」


 あぁ、そうか。

 普通の人は知らないのか……この【歩くトラットリア】の中に存在する、『異世界』の不思議なアイテムのことを。


「実は、この【冷凍庫】という物に入れておくと……」


 と、説明をしようとしたのだが……


「カチカチだな、すごく硬い」


 彼女が、カチカチになった棒状のモノを「つんつん」「にぎにぎ」している。

 なんか卑猥です!


「むっ……くんくん……手がイカ臭くなってしまった」


 卑猥ですっ!


「凍らせてしまいましょう、こんなモノは!」


 彼女に「にぎにぎ」されていたイカに、軽くジェラシーを感じつつ、八つ当たり気味にイカを【冷凍庫】へと叩き入れる。……貴様は後日、八つ裂きにしてくれる……そして、その後で美味しくいただいてくれる!


 そんな死刑宣告を心の中でして【冷凍庫】を閉める。


 さて……


「あの、すみませんが、少し待っていていただけますか?」


 どうしても引き攣ってしまう頬を無理矢理笑みの形に変えて、食事を待つお客様へと向ける。

 美味しい料理を堪能してもらうためだ。苦手意識はかなぐり捨てなければいけない。


 ものすご~く、嫌だけれど……


「これから、ちょっと食材を…………狩って・・・きますので」






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