ビーフストロガノフ。
肉じゃが。
ローストビーフ。
ビーフシチュー。
牛カツ。
牛丼。
久しぶりのお肉をどのように料理しようか悩み……悩んで……悩み抜いて――素直にステーキにしました!
熱した鉄板で焼く。それだけ!
「んんんんっ!? ……お、美味しい」
「美味しい」いただきましたぁ!
本当はもっと手の込んだものを用意したかったんだけど、彼女のお腹が限界だった。
お腹の虫は、大量発生したイナゴを想起させる勢いでけたたましく鳴き喚いていた。
彼女はさっき、「しばらくの間何も食べていなかった」と言っていた。
その上、コンソメスープで食欲が増進され、挙句にイカを片手に牛を狩ったのだ。
そりゃお腹もすくし、お腹の虫も合唱団を結成するというものだ。
「遠慮なく食べてくださいね。お客様が狩ってくれたお肉ですから」
幸せそうに肉の歯ごたえを堪能する彼女に向かってそう言っておく。
魔獣の肉は、ざっと見ても5キロはあった。これだけあれば、しばらくは持つだろう。
本当に感謝感激だ。
「それとも、別の何かを作りましょうか?」
「別の……?」
「牛肉は主役でありながら、実に様々なものに合わせることが出来るオールラウンドプレーヤーですからね。無敵ですよ」
何しろ、焼くだけで美味しいのだから、牛肉を不味くする方が難しい。
しかもこの牛肉は魔力を帯びた魔獣の牛肉だ。普通の牛肉よりも旨みが濃厚で味は数段上だ。
「可能性は無限大です」
「可能性は……無限大」
無限大の可能性を、どう使おうか。
やっぱり、少し時間はかかるけれど、煮物にいっちゃおうか。
はたまた、薄くスライスしてさっと茹で、玉ねぎのスライスと一緒にさっぱりといただいてもらおうか。
あぁ、ミンチにしてハンバーグというのも捨て難い。
「あ、あのっ」
突然、彼女が勢いよく立ち上がる。
慌てていたのか、腰辺りの何かがカウンターに引っかかって大きな物音を立てる。紐のような物がピーンと伸びていた。何かほどけたっぽい。
それでも、そんなことを気にも留めない様子で、彼女はボクの顔を覗き込んでくる。グッと身を乗り出して。
「わたしをっ!」
言いながら、自身の胸をバンッと叩く。
鎧、ゆっさぁ~。
あぁっ、鎧を取り付けるためのベルトが緩んでいる!
さっき引っかかっていたのはアレだったのだろうか……
狩りを終えて食事――だから、鎧の留め具を緩めていたのかな?
う~ん、しかし。しっかり押さえつけていないとこんなにも揺れ…………
「学習能力がないのか、ボクは!?」
冷凍庫のドアに頭をぶつける。
カウンターには、現在お肉が載っているので頭をぶつけるわけにはいかない。髪の毛が入ってしまうから。
どうしても……油断すると、どうしても『そこ』へ意識が向いてしまう!
罪な膨らみめ……
「しょ、少年よ。その行為は、もしかして、君の趣味なのか?」
変な誤解されてる!?
頭をどこかにぶつけるのが趣味です! ……って、紛うことなき危険人物です。
「そんなことよりも、聞いてほしい。どうかわたしを……」
再び、彼女が胸をバンッと叩き、鎧がゆっさぁ~と揺れ、懐から布製の小袋がぽとりと落ちた。
ん? なんだろう。
二人の視線が小袋へと注がれ、彼女の顔が一瞬で真っ青になる。
「す、少し待っていてほしいっ」
焦った様子で落ちた小袋を拾い上げ、ボクに背を向けて袋の中身を確認する。
「…………え?」みたいな驚きが背中に現れる。
「いやいや、そんなバカな」みたいな取り繕う空気が醸し出される。
「こうして逆さまにして振れば……」みたいな感じで小袋を逆さまにして振る。
「…………出ない」みたいな、絶望感が彼女を中心に室内全体へと広がっていく。
これは要するに……
「もっ、申し訳ない!」
振り向き様に、彼女が深々と頭を下げた。
赤い髪がふわりと舞い、彼女の小さな顔を覆い隠してしまう。
「しょ、食事をいただく前に気が付くべきだったのだが…………わ、わたしには、その…………今、持ち合わせが……ない」
「あ、いいですよ」
この【歩くトラットリア】は、ダンジョンの奥深くや、人が踏み入らないような秘境の地へも自ら出向く。
そんな場所から来店されるお客様は、大抵お金を持っていない。
生きるか死ぬかの極限状態でいることが多いからだ。
そんな場合、食事代を支払えない人もいる。
ここに来てまだ数年しか経っていないボクでさえ、何人も見てきた。
でも、お金がないからって食べさせないなんて、ボクには出来ない。
ここでの一食がその人を救うかもしれない。そう思うと、お金なんかいらないからとにかく食べてほしい。――そう思ってしまう。
「お代は結構ですよ」
「そうはいかない!」
そして、こういう人も、割と多い。
「お代はいりませんよ」と言って、「やったー、ラッキー」となる人は、実は少ないのだ。
そういう場合、多くのお客様は『代わりになる物』を置いていく。
予備に持っていた剣や、槍。
買って間もない盾。
ダンジョンで手に入れた不思議なアイテム。
薬草。加工して活用出来る魔獣の部位等々。
例を挙げると暇がない。
「しかし、困ったことに、わたしには代わりに差し出せるものが何もないのだ。剣は折れ、鎧は……諸般の理由で特注なのだ。おそらく、質に流しても買い手はつかないだろう……」
乳ですね!?
オートクチュールな部分は、そこなんですねっ!
あぁう、もう!
ボクはまたしても大切なお客様をそんな目で……っ!
いっそ、食塩を目に塗り込んでしまおうか……っ!?
「だからっ、体で支払わせてほしいっ!」
「ぶふぅーっ!」
なんか出た!?
ボクの口から、なんだかよく分からない液体が迸ってしまった。
……そ、そう言った人は、さすがに初めてです。
「も、もちろん、君さえそれでよければ、なのだが」
「あ、あぁあ、あのっ! とりあえず、一旦落ち着きましょう!」
この人は、意味が分かって言っているのだろうか……
「あっ!? ち、違うぞ!」
自分の発言の際どさに気が付いたのか、彼女は慌てた様子で手を振り、自身の発言を訂正し始める。
ですよね。だよね。ね。やっぱりね。ねぇ。
「勘違いしないでほしいのだが、わたしの体を食肉用として切り取って提供したいという意味ではないぞ」
「そんな勘違いはしていませんでしたけど!?」
「お金が無いから、代わりにわたしのリブロースをあ・げ・る」みたいな勘違いは一切していませんでしたとも。
……「わたしのリブロース」ってなんだ!?
「は、働いて返したいということだ!」
「あ、……あぁ、そういうこと、ですか」
ほっとした。
なるほど。労働を対価としたいということか。
確かに、そういう返済方法もありかもしれない。