「あ、あのっ」
アイナさんは、おどけていた顔を幾分キリッとさせ……キリッとし切れてはいないけれど……まだ熱の引かない赤い頬を隠すように右手の甲を左頬へとあてて、視線を逸らしたままで囁くように言う。
「でも、びっくりするから……あまり、言わないでほしい」
「あ…………は、はい。えっと……以後、気を付けます」
手首で口元が隠れ、一層赤い瞳を際立たせる。
微かに潤んできらきらと輝くその瞳を見ると、「反論」という選択肢がボクの中から消失してしまった。
「そうじゃないんです」
「誤解です」
「いや、でも実際可愛いですし」
「とか言ってるその仕草も超か~わ~い~い~!」
――などなど。脳裏に浮かんだ言葉は、浮かんですぐさまゴミ箱行きとなった。
もっとも、そのどれも口には出来なかっただろうけれど。
「そ、それで、あの! ど、どうかな?」
「どう」?
何が「どう」なんだろう?
「わたしを、ここで働かせてくれるのか?」
あぁ、その「どう」か。
「はい。一応……」
ボクとしては、一も二もなく大賛成したいところなのだが……
「ただ、現在この店のオーナーが迷子……行方不明になっていまして。ボクの一存で正式に採用というわけにはいかないんです」
「行方不明? それは、心配だな」
「いいえ、全然」
「え……? そう、なのか?」
「はい。いつものことですし。お師さん、結構しぶといですし」
実際、半年くらい迷子になっていたこともあった。
なんだかんだで、外の世界を旅して楽しんでいるのだろうと思う。
「ですので、お師さんの了承が得られるまでは採用(仮)ということで」
「(仮)、か……うむ。それでもありがたい。どうか、よろしく頼む」
すっと伸びた背筋が綺麗に倒される。
アイナさんは一挙手一投足、すべてが綺麗だ。姿勢がいいんだろうな。
剣士って、みんなそうなのかな?
「あぁ、でも一点」
ここで働く上で、おそらくかなり重要度の高い情報を知らせておく必要がある。
「ご覧になったかもしれませんが、この【歩くトラットリア】は、その名の通り歩きます。歩き回って、世界のあっちこっちに移動するんです。ですので、自宅からここに通うというのは、現実的に不可能になりますので…………」
ドクンッ――
そこまで言って、とんでもないことに気が付いた。
この【歩くトラットリア】で働くということは、ここに住むということだ。
お師さんが迷子になって、現在ボク一人しか住んでいない、この【歩くトラットリア】に。
「こっ…………ここで、一緒に寝起きをするということに、なり……ます、けれど……それでもよろしいで……」
「ここで寝起きを?」
「わぁ、すみません! でもそうしないと無理なんで、諦めてほしいというか、あ、あのっ、大丈夫ですから! 全然変なこととか考えてにゃいれす!」
噛んだ!
変なこと考えてますと白状したのと同義だ、これ!
やらかしたぁ!
「そうしてもらえると、こちらも助かる」
「…………へ?」
想定外の言葉に、間の抜けた声が出てしまった。
おそらく、それに即して相当間の抜けた顔をしているのだろう。
アイナさんが「ん?」みたいな感じで首を傾げている。
不思議がっているボクを見て、不思議がっているようだ。
「えっと……いいんですか?」
「むしろこちらが聞きたい。いいのか?」
「それは、はい。大歓迎ですけれど、でも…………え?」
二人っきり、なんだけどなぁ……年頃の、若い男と女の子が。
ん?
なんか、警戒とか、まったくされて、ない?
「わたしには帰る場所もなく、長く利用していた宿も、今回のダンジョン探索の前に引き払ってしまったのだ」
ダンジョン。
それは、今【歩くトラットリア】がいる、この場所のことなのだろう。
アイナさんが最後に入ったダンジョン。
そこでアイナさんは…………
だから、宿を引き払ってしまったのだろう。
もう二度と、戻ることはないだろうと思っていたから。
うん。
照れている場合じゃない。
なんとしても、ここにいてもらわなきゃ。
アイナさんがきちんと『生きよう』と、心の底から思えるまでは。
「それじゃあ、今日からいろいろとお願いしますね」
「こちらこそ。世話になる」
「たぶん、ボクの方がたくさんお世話になると思います」
……主に、目の保養的な意味で。(猥褻な感情は省く)
………………嘘です、ごめんなさい。省ききれません。