「わたしが役に立てるか、いささか自信はないが、精一杯奉公させてもらう」
いやいや。大いに役に立っていますとも。
なにせ、ボクではあの【ハンティングフィールド】には歯が立たないのだ。
あれは、ちょっと特殊だったらしい先代に合わせて生み出されたものだから。ボクにはハードルが高過ぎる。レベルが違い過ぎる。もう、泣いちゃうくらいに。
「では、今日からは主と従者の関係だな」
「いいえ。それはイヤです」
どうせなら、もっときちんと仲良くなりたい。
それに、ボクはオーナーじゃない。ボクだって雇われの身だ。師弟関係だけれど。
「ボクたちは対等でいましょう。それで、助け合ってお店を切り盛りしていきたいです」
「対等……で、いいのか?」
「その方が、ボクは嬉しいです」
「そうか……ふふ。変わっているな、君は」
そうだろうか?
そもそも、ボクは誰かに命令したりするのが苦手なのだ。
お願いする方が性に合っている。
「分かった。では、これからお互いがお互いを助け合う関係になろう」
すっと、手が差し出される。
ボディータッチチャーンス!
いいんすか!?
いいんですか!?
素手で触っちゃっていいんですか!?
「あ、あの……よろしくお願いします」
緊張しながらも、差し出された手をそっと握る。
むぅはぁ~! 握り返されたぁ!
ぷにっとしてすべすべ~!
これ、頬摺りしたら絶対気持ちいい!
握手を交わし、顔を上げて視線を合わせる。
うゎ……やばい。これは、ドキドキする……
「いいな、こういうの」
ぽつりとこぼれ落ちたその言葉は、アイナさんの本心を素直に映し出しているように感じた。
微かに寂しげな響きを持つ、でも、嬉しそうな声音。
「はい。いいですね、こういうの」
なので、ボクの言葉でちゃんとプラスの方向へ気持ちを向けておく。
すると、ほんの少しだけ、アイナさんがはにかんだ。
そして、空いている方の手で口元を押さえ、数秒黙った後で、こんなことを言ってきた。
「こ、こういうのを、わたしは知っている。聞いたことがあるだけなのだが、実は少し憧れていた言葉があって……これはまさにそれなのではないかと思うのだ」
「言葉、ですか?」
「助け合い、持ちつ持たれつ、お互いがお互いを思いやっていく……つまり」
すぅっと息を吸い込んで、アイナさんははっきりとした口調で言う。
「これからわたしと君は、マウス・トゥ・マウスしていくわけだ!」
「ぶふぅー!」
今、再びの、逆流。
「ごふっ! ごふっ!」
「ど、どうしたのだ!? 大丈夫か?」
空いた方の手でボクの背中を撫でようとしてくれるのだが、カウンターが邪魔でそれが出来ないでいる。くぅ、惜しい!
……っていうか、いつまで握手しているんだろう?
離すタイミングが分からない……いや、嬉しいんだけれども。
「わたしは、何かおかしなことを言っただろうか?」
「ごほっ、ごほっ……た、たぶんですけど……アイナさんが言いたかったのって、『ギブ・アンド・テイク』じゃないですか?」
「え? ……………………………………………………あっ! なんだかそんな気がしてきた」
大丈夫なんだろうか? なんか物凄く間違って覚えていたみたいだけれど。
どこかで「マウス・トゥ・マウスしたい!」とか言ってないだろうか……
「なんとなく、語感で覚えていたようだ。……ん? では、マウス・トゥ・マウスとはどういった意味なのだろうか?」
え…………ボクに、言えと?
マウス・トゥ・マウスの意味を?
いまだに離すタイミングが分からずに手をつないだままの、この向かい合った状況で?
わぁ……物凄く期待した瞳で見つめてらっしゃる。
え~っと…………べ、別に、変なことじゃない、よね?
マウス・トゥ・マウスしましょうってわけじゃないんだし、意味を教えるだけ、だし。
………………セクハラっぽいな、限りなく、極めて、ギリギリアウトな感じで。
「えっと…………こほん。では、意味をお教えします」
「うむ。よろしく頼む」
穢れなき眼に見つめられ、根負けしたボクは、せめて視線を逸らして、意味を教えて差し上げた。
「ちゅ…………チューすることです。……口と口で」
「ちゅう? ………………って!? あ、あの、ちゅ、ちゅ、ちゅう、のことだろうか?」
「は、はい。おそらく……その、チューのこと、かと」
「なっ!?」
アイナさんの顔が一瞬で赤く染まり、つないだ手から物凄い熱を感じた。見る間に汗ばんでいく。
アイナさんの狼狽ぶりが手に取るように分かる。手を取っているわけだけれど。
「す、するのか!?」
「しませんよ!?」
相当にテンパっているようで、おかしなことを口走り始めた。
「したいのか!?」
「…………」
「なぜ黙るのだ!?」
だって、したいもん!
けど、この状況で「したい」とは絶対言えないし、かといって「したくない」なんて死んでも言いたくない!
だって、したいもん!
「それはそうと、握手というのはどのタイミングで手を離すのだろうか!?」
「あ、やっぱりタイミングを失ってたんですね!?」
なんとなくだけれど――アイナさんって、人付き合いが壊滅的に、下手?
空気がわちゃわちゃして、そのどさくさでアイナさんの手が離れていく。……あぁ。
「くっ、なんて手汗だ……申し訳ない」
後ろを向き、自分の手を見て歯を食いしばっている。
心配しなくていいですよ。
アイナさんの手汗なら、顔面にべったり付けられてもむしろウェルカムです!
「と、とにかく、よろしくお願いする! 至らぬところだらけだろうとは思うが!」
「こ、こちらこそ! いろいろやらかしまくりでしょうが、よろしくお願いします!」
互いに、必要以上に大きな声で挨拶を交わし――アイナさんが、【歩くトラットリア】の一員となった。