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6話 初めての夜 -2-

「あれ? 『エッくん』は!?」

「い、いや! 呼ぼうとしたのだが……き、君がお世辞とか、あと、他にもいろいろと言うから……」


 顔を逸らして前髪さわさわ。

 そして、こちらを一切見ないまま、辛うじて聞き取れるくらいの声量で呟く。


「……恥ずかしくなった」


 おぅっふ……

 照れたその表情は凄まじく可愛らしいのですが、もたらされた言葉は致死量の猛毒です。


 お師さん。こういうのが、因果応報というものなのでしょうか。

 思ったことを軽率に口にした罰なのでしょうか……それとも、ぷにぷにした手をいつまでも離さなかった罰ですか? 膨らみガン見の罰でしょうか!?

 甘んじて受けるべき罰、なのでしょうか……


「……好きなように呼んでください」


 恥ずかしいと言っている以上、『エッくん』呼びを強要するわけにはいかない。

 これ以上変なことをすると「やっぱ働くの無理!」とか、なりかねない!


 それはイヤだ!

【歩くトラットリア】は世界中を移動する大衆食堂だ。

 一度離れれば、もう二度と会えない。そういうお店なのだ。


 一期一会。


 お師さんが言っていた言葉が脳裏を掠める。

 二度と来ない今を大切にしなさいという教え。


 この出会いは生涯に一度。

 そう容易く手放せるはずがない。

 ならばっ!


 もう二度と、アイナさんに変なことはしない!



 …………変なことしちゃってる時点ですでにアウトな気がしてきた……なぜ抗えなかったのかっ。恐ろしい……恐ろしいよ、思春期……


「アイナさん!」

「は、はいっ」

「ボク、頑張りますので!」

「…………え?」


 おのれの中の思春期に、ボクは勝つ!


 あの胸元の膨らみにも、手のぷにぷにもすべすべにも、こっちをちらりと見つめる麗しい視線にも負け…………そう、だけれど、必死にこらえるっ!


「お部屋に案内します!」

「う、うむ。……よろしく頼む」


 ボクの勢いに、アイナさんが若干引いている。

 しかし。これくらいの勢いがなければ、強い心がなければ、あっという間に飲み込まれてしまうのだよ、思春期という恐ろしい心の闇に。


 強い心で、アイナさんを部屋へ連れて行く。

『アイナさんを部屋へ連れて行く』って……なんか、どきどきするワードだなぁ……むふ。


「『むふ』じゃなーい!」

「ぅおう!? ど、どうしたのだ、急に?」

「なんでもないです! お気になさらずに!」

「う、うむ……そう、か」


 カウンターを越えて、従業員専用のドアの前に立つ。

 アイナさんがこちらに来るのを待ってドアを開ける。

 ジェントルマンらしく、レディーファーストで先にお通しする。


 ……あぁっ、ボクが先導しなきゃ部屋分かんないじゃないか。

 急いでアイナさんを追い抜かし、再び先を歩く。……締まらないなぁ。


「荷物が多いのだな」


 廊下のあちらこちらに置かれた荷物。

 お師さんが集めてきた謎の置物や、食料庫を荒らそうと紛れ込む虫や小動物を撃退するためのトラップ、保存用の缶詰や水などが廊下の面積を狭めている。

 これまでは気にしなかったけれど、女性が住むならもっとキレイにしなきゃな。


 とか思っていると、急にアイナさんがボクに身を寄せてきた。


「ここは、特に狭いな」


 廊下の両サイドに積み上げられた段ボール箱。

 その間は人一人が通れる程度。

 自然と、ボクとアイナさんの距離は近くなり、アイナさんの香りがふわりと鼻孔の奥に入り込んでくる。すんすん! ふんがふんが! くんかくんかくんか!


「チェストーィ!」

「ぅひゃう!?」


 煩悩退散!

 立ち去れぃ! 出て行けぇーい!


「ど、どうしたのだ、シェフ?」

「なんでもないっす! 自分、全然普通っす!」

「いや、口調が変わっ……」

「気のせいっす! 自分は山っす! 不動の山っすから!」

「え? ……う、うむ、そう、なの……か?」


 自分、男子っすから!

 婦女子に軟派なことは出来ないっす!

 自分、不器用っすから!


「押忍! こっちっす!」

「あ、あの、シェフ……普通にしてくれないか?」


 普通に……?

 これが自分の普通っす!


「さっきまでのように、普通にしていてほしい」


 さっきまでの…………くんかくんかしてもいいんですか!? ご本人様公認ですか!? くんかくんかフェスティバルですか!? ぃぃいいいやっほぉおおおい!


「――な、わけがない!」


 ンガスッ! と、積み上げられた段ボールに頭を打ちつける。……く、箱の中は缶詰のようだ。おそらく、ホールトマトだろう……痛い。


「そ、それが、君の普通……なのだな?」

「い、いえ……そうではないんですが……もう、それでいいです」


 どうしても、普通の自分でいられない。

 アイナさんといると、心がざわめきたって、落ち着かなくて、まともでいられない。

 ……なのに、もっとそばにいたいと思ってしまう。


 こんなんじゃ、嫌われるのも時間の問題だ。奇行だらけの男が好かれるわけがない。

 それじゃダメだ。普通に。もっと普通にしなきゃ。


 好かれたいなんて贅沢は言わない。

 ただ、嫌われたくはない。


 普通でいよう。

 考え過ぎないように。


 そして。


 変な期待はしないように。


「すみません。女の人とこうしてお話することがあまりなかったもので……緊張、してます」


 弱みをさっさと白状してしまう。

 カッコ悪いけれど、格好つけて醜態をさらすよりかはマシだ。

 何より、気取った態度はボクらしくないから。


「わたしもだ」


 細い廊下で向かい合い、彼女は困ったように微笑んだ。


「わたしも、さっきからずっと緊張している。変なことを口走っていないか、気が気でない」


 それを聞いて、変な話だけれど、心が軽くなった。

 そうか。アイナさんも一緒なのか。


「お揃いですね」

「う、うむ。そう、だな」


 二人して、照れ笑いを浮かべる。

 痒くもない頭を搔くボクに対し、アイナさんは頬を搔いていた。たぶん、痒いわけではないはずだ。


「わたしなど、人と話すこと自体が久しぶりなのだ。だから……今は、ちょっと楽しい」


 ズドンと、心に衝撃が走った。

 ボクはなんてことをしていたのだろう。


 こんなにも純粋な女性に対して、なんて邪な……卑劣だ、ボクは。


 彼女に対しては――アイナさんには、誠実でいよう。

 ボクはそう誓った。






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