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6話 初めての夜 -3-

「ここがお師さんの部屋です」


 ドアを開けて、散らかった部屋へとお通しする。

 もう、室内に二人きりでも、ちょっと大きめのベッドを見ても、変な妄想は湧いてこない。

 そういうんじゃ、ないんだ。


「散らかってるので、邪魔な物は片付けちゃっていいですよ。ただ、この棚だけは触らないでください」


 お師さん所有のガラクタに埋もれる、先代の遺した書架を指差す。

 壁一面を埋め尽くす、天井にまで届く大きな書架。

 ここには、【歩くトラットリア】のすべてが収められている。とても大事な場所だ。


 それ以外の物は全部捨ててもいい。

 逆さまにしてから元に戻すと「ぺー!」って鳴く人形とか、使いどころが分からない。


「これくらいの方が落ち着く。ありがたく使わせてもらうよ」


 アイナさんが剣を外し、籠手を外す。

 つ、次は鎧ですか!?

 心が躍るっ!(中も外も!)


「誓いはどーした!?」


 近場にあった書架に激突する。


「そこは大切な場所なのではないのか!?」


 おぉっと、しまった。

 つい、我を忘れて。

 普通に。平常心で。紳士的に。


「そ、それじゃあ、ボクはもう行きますね。何か必要なものがあれば言ってください。ボクの部屋は向かいの扉なので、大体そこか厨房にいますから」

「うむ。何から何までありがとう」

「いいえ。これから一緒に働く仲間ですから」

「仲間……か」


 何かを言いかけ、そしてやめたような、そんな『間』を感じた。


 ダンジョンに一人で潜っていたということは、彼女には仲間と呼べる人がいないのかもしれない。基本的に、どんな冒険者も凄腕の戦士でも、ダンジョンのような危険な場所に一人で赴くことはしない。

 どんなに腕に覚えがあっても、不測の事態というものは起こる。

 そして、ダンジョンでその不測の事態が起こるということは、即『死』を意味する。


 けれど、アイナさんは一人だった。


 もし、彼女に仲間と呼べる人がいないのであれば、ボクがそれになってあげたい。

 いや、是非なりたい。アイナさんのためにではなく、ボクのために。


「アイナさん」

「……ん?」

「いつでもそばにいますから。なんでも言ってくださいね」


 これが、今のボクに出来る精一杯。

 踏み込み過ぎることも、引き寄せることも出来ない。


 だからせめて、この人に対しては誠実でいよう。

 いつか、アイナさんがボクを必要だと思ってくれるようになるまで。

 それまでの間、ずっとそばにいられるように。


「…………ん。ありがとう」


 ギシッ……と、ベッドが音を立てる。

 アイナさんがベッドに腕を突き、スプリングを確かめるように二度、ベッドを押す。


「気持ちのよさそうなベッドだ……こんなふかふかのベッドに入ったら、きっとすぐに眠ってしまうだろうな」


 少しおどけた声は、考え過ぎかもしれないボクの心をほんの少しだけ軽くしてくれた。


「寝つきがいいのはいいことですよ。たっぷり休んでください」

「うむ」

「では」


 静かに言って、ドアを開ける。

 ドアを閉めるために振り返り、もう一度だけ室内を覗く。


 ベッドの隣に立ち、腕をベッドに押し当てているアイナさんは……


「…………すぅ……すぅ」


 寝息を立てていた。


「いや、早いですよ!?」


 ベッドに入ったらすぐ寝てしまうって、入ってませんよ!?

 手を置いてるだけですから、それ!


「アイナさん。寝るなら鎧を脱いで、ちゃんと横になって――」


 肩を揺すって一度目を覚ましてもらおう。

 そんな軽い気持ちで近付いたのだが……


「――えっ!?」


 肩に手を載せようとした瞬間、手首を掴まれ、肘を固められ、ベッドの上に投げ飛ばされた。


「どぅっ!」


 肺から空気が漏れ出て、息が詰まる。

 呼吸が出来ず、体が一瞬硬直する。

 その一瞬で、ボクは。


「………………えっ?」


 アイナさんにがっちりと、それはもうがっちりと…………抱きつかれた。


 ベッドの上に投げ飛ばされ、抱きつかれて…………え? えっ? えぇっ!?


「あ、あの……アイナ、さん……?」

「…………すぅ……すぅ……」


 寝てらっしゃる!?

 なのに、腕ががっちりとロックされていてびくともしない。寝てるのに!?


 ひょっとして、アイナさんは何かを抱きしめて眠る癖があって、酷く疲れていたから即落ちして、今現在寝ぼけてボクをその『何か』と勘違いしている……とか、そういうことなのだろうか?


 と、とにかく離れないと。


「あの、アイナさん。ちょっと腕の力を緩めて……」

「…………みゅう」


 なんか鳴いた!?

 抗う気持ちが根こそぎ持っていかれた!?

 なに今の!? 超可愛いんですけど!?


 いや、しかし、この状況はマズい。非常にマズい。

 そばにいるとは言ったけれど、これはそば過ぎる。

 ボクの思春期がいつ暴走するかも分からないし、何より……


「ア、アイ……ナ、さん……っ」


 ボクが全力を出しても振りほどけないくらいの力で抱きしめられ、頭を押さえられて、アイナさんの胸元にボクの顔が押しつけられている。……鎧着用なので、頬骨がすごく痛い!


「アイナさん、ほ、頬骨がゴリッて……痛いです、割と真面目に……っ」


 涙声である。

 眠る女性に抱きつかれて胸元に顔を押しつけられる。

 昔お師さんに聞かされた、所謂『ラッキースケベ』というシチュエーション。

「そんなうまい話があるはずがない」と思っていたことを、今まさにボクは体験しているわけだけれど……やっぱり、うまい話はなかった。

 鎧が、痛いです。


 なのに、ボクの知らない香りがして……あぁ、これがアイナさんの香りなのかとか思うと、もう、思春期が…………


「すぅ……すぅ……」


 そして、微かに聞こえるこの寝息がもう! もう!


「喜んでいいのか、照れるべきなのか、脱出不可能なこの状況に焦るところなのか……もう、訳が分かりません……」



 結局、アイナさんのホールドは強靭で、ボクには抜け出すことが出来なかった。

 一晩中、アイナさんと同じベッドにいて、抱きしめられて、けれど紳士的でいようと誓ったから邪で愚劣な妄想はしないように必死に努めて、あと単純に鎧が硬くて、もう……いろんな意味で泣きそうだった。


 それでも泣かなかったのは、アイナさんの腕にこもる力が「失いたくない」って必死に何かに縋っているような、そんな儚さを感じたから、かもしれない。


 気が付くとボクは眠っていて――アイナさんと出会った記念すべき日は、そうやって幕を閉じた。






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