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目が覚める。
とても心地よい感触に全身が包まれている。
なんだか、とてもいい夢を見た気がする。覚えてはいないけれど。
「……ここは、どこだろうか?」
まぶたを開けると、よく分からない荷物の山と、見覚えのない天井が目に入った。
壁際には立派な書架がある。
あの書架は大切な物だと、たしかエっくんが…………あ、そうか。
そこでようやく眠気が覚め、わたしは【歩くてってりーぷっぷー】とかいう場所にいるのだと思い出した。
とても純粋で優しい少年と出会い。
そして――わたしは命をもらった。生きる意味を、もう一度見つめ直す機会をもらったのだ。
ただ戦い、死に場所を求めるだけの生き方をやめようと、彼を見てそう思ったのだ。
あの美味しいスープを飲んで。
「……『いつでもそばにいますから』、か……………………くふ~っ!」
そんな嬉しいことを言ってくれた。
思い出しただけで、全身が羽になったかのようにふわふわし始める。
わたしを、『仲間』だと言ってくれた。
わたしの名を、何度も呼んでくれた。
不思議な気持ちだった。
彼と話しているだけで、彼を見ているだけで……彼がそこにいるだけで、わたしの心はふわふわと重さをなくし軽くなっていった。
こんな気持ちは初めてだ。
彼のそばにいると、とても心地いい。
あの不思議な部屋での魔獣との戦いも、彼のためになるのだと思えば、いつものような殺伐とした後味の悪さも感じなかった。素直に楽しかった。
けれど、不意に苦しくなる時がある。
まるで呪術にでもかけられたかのように、心臓が軋みを上げて、一瞬呼吸が止まる。そんな瞬間が何度かあった。
そう。
それはたとえば、彼の名を呼ぼうとした時……とか。
「……………………エっくん」
――っ!?
その名を呟いた瞬間、また心臓が軋みを上げる。
全身の血液が逆流し、髪の毛が逆立って、顔が熱くなる。
酸素が脳に回らず、不格好に口をぱくぱくと開いてしまう。
……なんだろう。
すごく、恥ずかしい。
最初は、可愛らしい呼び名ではないかと思った。
彼も喜んでくれたようで、素直に嬉しかったし、そう呼ぼうと思っていた。
なのに、急に呼べなくなった。
彼が悪いのだと思う。
わたしのことを……わたしなんかを……か、可愛い…………などと。
「……きゅうっ!」
思い出した途端、心臓がぎゅ~っと縮まった。気がした。
ばくばくと、これまでに感じたこともないような激しい鼓動がわたしの胸を叩く。
「…………エッく……はぅううっ!」
ばくばくと心臓が伸縮し、助けを求めるように彼の名を呼ぼうとして、それが裏目に出た。
心臓が暴れている時に彼の名を呼ぼうとすると、鼓動は一層その激しさを増す。覚えておこう。もし今が戦闘中だったら、わたしは敵にやられていただろう。
「……すぅ………………はぁ……」
深呼吸をして、心を落ち着かせる。
これまでに感じたことのない不思議な感覚に戸惑いは尽きない。
だが、とにかく冷静にならなければ。
いつも抱いて寝ているお気に入りの『ぴーさん』をぎゅっと抱きしめる。
これを抱きしめていると、不思議と心が落ち着く。街でたまたま見かけて購入したぬいぐるみで、わたしが死に場所を求めてダンジョンへ潜ろうとした日の朝、世話になっていた宿屋の前に『可愛がってあげてください』という貼り紙を貼りつけてお別れした、わたしの唯一の仲間………………ん?
『ぴーさん』とは、確かにお別れしたはずだ。……では、今腕の中にいるのは一体…………
瞬間、背筋が寒くなる。
とんでもないことをしでかしたと、直感が告げている。
眠る直前の微かな記憶を繋ぎ合わせれば自ずと答えは見えてくる……が、認めるわけにはいかない…………なぜなら、そんな破廉恥なことは…………
寒くなる背筋とは裏腹に、顔ばかりが熱くなっていく。
「と…………とにかく、確認を…………」
意を決し、わたしは腕の力を緩めて胸に埋まっている『それ』に視線を向ける。
黒い、柔らかそうな髪。
あぁ……この髪に、わたしは見覚えがある。
そっと……そ~っと、身体を離し、徐々に見えてくるその顔を覗き込んで――
「…………ぃっ!?」
――わたしは、絶叫した。