アイナさんがずぶ濡れです。
「大丈夫ですか?」
「う、うむ……かたじけない」
昨日と同じカウンターの席に座って、バスタオルで髪を拭いている。
「【シャワー】というもの、あれはなかなか手強い物だな」
「いえ、慣れればそれほどのものでは……」
朝になりアイナさんにお風呂を勧めたのだが、初めて見るタイプのお風呂にアイナさんは戸惑っていたようだった。
それも仕方のないことだ。
なにせ、この【歩くトラットリア】のお風呂場は、この世界の浴室とは大きく異なっているのだから。
「いきなり頭上からお湯が降ってくるとは、想像もしなかった」
「説明が追いつかず、すみません」
アイナさんにお風呂場の使い方を教えている時、「ここをひねるとお湯が出るんですよ」「おぉっ、すごいな! では、ここは?」「あっ、それは!?」「ドザー!」……と、まぁ、こんな感じだった。
仕方ないので、そのままシャワーを使ってもらった。
そして、着替えがないということだったので、ボクの服を一時的にお貸ししている。
おぉ……ボクのシャツの胸元が……
「昨日の、『ファイティングプードル』の時も思ったのだが……」
「【ハンティングフィールド】、ですけどね」
どこのワンちゃんですか、ファイティングプードル。
「ここには不思議な部屋がたくさんあるのだな」
その言葉には、自信を持ってYESと言える。
何を隠そう、この【歩くトラットリア】は、『扉の魔法』なのだ。
魔法によって生み出された『扉』が、どこか別の――不思議な空間とこの場所をつないでくれる。
先代オーナーが女神様から授かった、世界に一つの魔法なのだとか。
先代に倣って『扉の魔法』で生み出された『扉』のことを【ドア】と呼んでいる。
それ故に、この『扉の魔法』でつながる先は、先代のイメージした世界に色濃く影響を受けているのだそうだ。
ボクも、ここで初めて目にした物がたくさんあった。
【冷蔵庫】や【ユニットバス】のような、便利なものがこの【歩くトラットリア】にはたくさんある。
かくいう【歩くトラットリア】の店内自体が、先代のイメージした『大衆食堂』を忠実に再現しているという話だ。
【ガスコンロ】や【食器用洗剤】、【ミキサー】、【圧力鍋】等々。不思議で便利なアイテムは数え上げればキリがない。
あぁ、あと【ランドリールーム】も。
大きな【ドラム式洗濯機】に汚れた衣類を入れてスイッチを一つ押すだけで、ほんの数時間程度で綺麗に洗濯され、ふわふわに乾いている。
あれはきっと、高度な魔法が込められたアイテムなのだと思う。原理は分からないけれど、ボクにも扱えることからも、その高度さが分かる。……たまに機嫌を損ねて「ガッコンガッコン」暴れ出したりするけれど……魔力の暴走は、歴史の中で何度も繰り返されたことだし、とにかく大事故にならないことを祈るばかりだ。
「そういえば、すまないな。その……服を、借りてしまって」
「いえ。男物で嫌かもしれませんが」
「そんなことはない! ……ありがたく、着させてもらう」
もにもにと襟元を握り、さり気なく匂いを嗅ぐ。……臭いのだろうか?
「……あぅ。すまない、つい」
……臭いのだろうか?
「そういえば、あの部屋に小さな服がたくさんあったのだが、ぬいぐるみの着せ替え用なのかな?」
なんだか目がきらきらしている。
そういえば、ぬいぐるみを抱っこして眠るのが好きなぬいぐるみ大好きっ娘だったっけな、アイナさんって。
「残念ながら、あれはお師さんの服ですよ」
「お師さんの? えっと……でも、こんなサイズだったようだが」
「こんな」と、両手で20センチ程度の大きさを示してみせる。
「お師さん、それくらいのサイズなんですよ」
「シェフのお師さんとは……一体、どのような人物なのだ?」
「どのような………………肌が、ヌメッとしてます」
「……何者なのだ?」
何者と言われても、お師さんはお師さんであり、あんな生き物はお師さん以外に見たことがないのでそれ以外に説明のしようがない。
「まぁ、そのうち見つかるでしょうから、その時改めて紹介しますね」
「う、うむ……よしなに頼む」
でも、お師さんが見つかったらアイナさんと二人きりの生活はおしまいか…………お師さん、見つからなければいいのに。
はっ!?
ボクはなんてことを。
お師さんはボクを救ってくれた恩人じゃないか。たとえ、人としてちょっとどうかと思う部分が多々あるとはいえ、恩人に変わりはない。好き嫌いが激しくて四六時中余計なことしかしなくて口を開けばくだらないことばかり言っていたとしても!
……見つからなくても、いいかな。
いや、でも……もしお師さんが見つかると、アイナさんの部屋はどうしよう。
お師さんと同じ部屋なんてありえないし不許可だし認められないし……お師さんには食料庫で寝てもらうことに……いやいや、さすがにお師さんを追い出すわけには…………じゃあ、アイナさんを別の部屋に…………でも、食料庫なんて絶対ダメだし、他の部屋も寝室には向かない…………と、なると、必然的にアイナさんの行き着く先は…………ボクの部屋?
し、仕方ないかもしれないな、それは、うん!
ボクはお師さんの弟子だし、お師さんを敬うという観点から大抵のことはボクが背負い込むべきだろうし、そうなれば新たに出来た同居人の面倒を見るのもボクの役割となり、弟子と新入りは相部屋という扱いも、うん、きっと他所のご家庭でも似たような措置を取ることだろう、うん!
アイナさんと、相部屋……
「お師さん、早く見つからないかなぁ!」
「シェフは、お師さんが好きなのだな」
あはは。ご冗談を。
好きなのは…………ごほん。いえ、なんでもないです。