「【ドア】から落ちたのかと、あっちこっち捜し回ったんですよ」
カウンターの『上』に腰かける若干ヌメッとしたしゃべるカエルにコーヒーを差し出しつつ、言わずにはいられない小言を漏らす。
「千年もここに住んでおるワシがそんな無様な真似をするわけがないじゃろうが」
「年間落下回数が三桁を超えてる人が何を言ってるんですか」
「千年単位で考えると、一年というのは実に短い期間でな? そんな短い時間の細かいことをいちいち気にしてやる必要もないのじゃ。些末なことよのぅ、ほっほっほっ」
そんな短い期間に、多大な迷惑をいくつもいくつもかけ続けるのをやめていただきたい。
「あ、あのシェフ……こちらが……?」
「はい。残念ながら、ボクのお師さんです」
「カ、カエル……に、見えるのだが?」
「はい。カエルです」
困惑したような表情を見せるアイナさん。
仕方ないだろう。こんなにぺらぺらとしゃべるカエルを、ボクですら他に心当たりがない。
「お師さんは、先代オーナーのペットだった人……というか、カエルで、先代が不思議な力でしゃべれるようにしたんだそうです」
「すごい人物なのだな……先代オーナーは」
「うむ。サオリは女神様に気に入られた特殊な人間じゃったからのぅ」
サオリというのが先代オーナーの名前で、そう気安く呼べるのは、世界中でお師さんだけだ。
「わたしも、会ってみたい」
「ほっほっほっ、そりゃあ無理じゃ。サオリがここにおったのは、もう千年も昔の話じゃからのぅ」
「千年……?」
「あ。お師さんは千年以上生きているカエルなんです」
「え…………すごいのだな、お師さんも」
「まぁのっ! ほっほっほっ!」
胸を張るお師さん。
……まぁ、長生きは尊いことだろう。けれど。
「その時間のほとんどをくだらないことに費やしてきたんですよ、この人は」
「くだらないこと?」
「たとえばのぅ…………お嬢ちゃん」
「わ、わたし?」
「おぬしのお乳は、Gカップじゃ!」
アイナさんの胸を「ビシィ!」と指差し、なに言ってんのこの人!?
「すみませんっ、アイナさん! 今すぐ水を張った鍋に入れて少しずつ沸騰させますから!」
「徐々に温度が上がるとカエルはゆで上がるという、あの魔の試験をやる気か!? 悪魔じゃのぅ、ボーヤ!?」
悪魔はあなただ!
ボクがこんなにこんなにこんなにこんなに遠慮してチラ見に留めているおっぱいを、そんな堂々と指差して!
「すごい……正解だ」
「アイナさんも、教えちゃダメですってば!」
じ、Gなの!?
それはすごいね!?
「ほっほっほっ。この能力を習得するのに六百年という時間を費やしたわぃ」
「ね。くだらない人でしょう?」
カエルだけれど、もう、これだけ流暢にしゃべられると『人』と言ってしまう。
カエルっぽい人なのか人っぽいカエルなのか、そんなことは些末なことのように思えてしまう。
「ところでボーヤ」
お師さんはボクを『ボーヤ』と呼ぶ。
一人前になるまでは『ボーヤ』で十分だ。と、笑っていたのだが、本当はボクが自分の名前を気に入っていないことを知って気を遣ってくれているのだ。……と、思っている。
これでも優しいお師さんでもあるのだ。割と。
「こちらのお嬢ちゃんはどちらさんじゃな?」
「あぁ、彼女はアイナさんといって……」
「こ、こちらで無銭飲食をした犯罪人だ! 罪を償うために無償労働をさせていただきたく思っている!」
「アイナさん!? そんな重い話じゃなかったはずですよ!?」
いつ犯罪人になったのか。
むしろ、ボクはお金いらないって言ったのに。
「ほっほっほっ。元気とお乳があって非常によろしい」
「あなたはやらしいです、お師さん」
お師さんの頭上にウスターソースを掲げる。……かけますよ?
「働く気も満々なようじゃし、それに……ワケもありそうじゃしの」
お師さんの目がすっと細められる。
相手の心を見透かすようなあの瞳。
くだらない大人でも、千年を生きた生物なのだ。ふとした瞬間に、凄まじい迫力を見せる。
「ワシの部屋で一緒に暮らそう!」
「却下です!」
「じゃあボーヤと一緒の部屋にするかの?」
「「えっ!?」」
大歓迎ですけど!
物凄くいい提案だと思いますけれど!
……視線がぶつかった瞬間、恥ずかしさが限界を超えて脳がゆで上がった。
あぁ、これは無理だ。
一睡も出来なくなる。
「わ、わたしは、こ、この辺りを貸していただければ、適当に眠れるので……!」
「着替えもここでするんかぃの?」
「う…………そ、れは……」
「お客の前でGカップを惜しげもなくさらすのかぃの…………って、ボーヤ! お酢はやめてほしいのじゃ。目がしぱしぱするからのぅ」
「Gカップを連呼しないでください……っ!」
アイナさんに狼藉を働くと、ボクが承知しませんよ?
で、アイナさんもアイナさんで、このエロカエルにビシッと言ってやってください。
「うぅう……で、では! 『ショッピングワールド』をお貸しいただけないだろうかっ!?」
「【ハンティングフィールド】ですってば! そして、あそこは寝室には向きませんよ!?」
魔獣がうろうろしている場所ですからね?
寝首、掻かれ放題ですよ?
「で、では…………シェ、シェフの部屋に、お邪魔させて……もら……もらおう……かな」
「えっ!?」
「非常に不本意であるとは思う、だが、そこをなんとか、わたしなどと同室というのは苦痛以外の何物でもないというのは重々承知しているのだがっ!」
「い、いえ! とんでもないです! むしろウェルカムです!」
「ウェルっ!?」
「すみません、失言でした、忘れてくださいっ!」
「ほっほっほっ。面白いのぅ、おぬしら」
……くっ。
お師さんに笑われていると思うと、無性に悔しい。
怨嗟のこもった瞳で睨みつけていると、お師さんは「ぽんっ!」と手を打った。
「では、部屋を増やすとするかのぅ」