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11話 また一人 -2-

「っていうか、ここはなんなの?」

「ここは【歩くトラットリア】じゃよ」

「トラットリアって……たしか『大衆食堂』みたいな意味だっけ? って、『歩く』って何よ?」

「まぁ、それはいずれ分かるじゃろうて、ほっほっほっ」


 カウンターに戻ってきたキッカさんはお師さんと話をしている。

 お師さんを見ても取り乱さない人は珍しい。

 片や、お師さんは美人なら誰でもいいって人だし、相性がいいかもしれないなこの二人は。


「つか、剣鬼さぁ。さっき、全然違うこと言ってなかった?」

「惜しかった」

「『ト』くらいしか合ってなかったよね?」

「噛んだだけ」

「覚えてないんじゃないの?」

「そんなことはない」

「じゃあ今言ってみなさいよ!」

「わたしにはその義務がない」


 負けず嫌いだ!?

 アイナさんは、やっぱりちょっと負けず嫌いだったんだ!


 ……うふふ。意地っ張りさん。


「つか、そこキモい。タマちゃん、にやにや禁止」


 なんて横暴な……ボクの生きる楽しみを……


「まさか、こんな簡単なことも出来ないから、あたしに練習付き合えとか言ってるわけ?」

「む……簡単ではない。接客業は心が重要。口先だけの軽い言葉ではお客様を楽しませることなど不可能」


 おぉ……なんだかベテラン従業員のような発言を。

 しかしながら、正論なのに言葉が空虚なのはなぜだろう。


「そ~んなもん、笑顔で可愛らし~く言ってやりゃあいいんでしょ?」

「ふふん……未経験者は知らないだろうけれど、言うのとやるのでは違う。『言うはヤスシ・カタシ』という言葉もある」

「ないですよ、そんなユニークな二人組っぽいことわざ!?」


 さっきの『トラダ・トリヤマ』もユニークな二人組っぽかったですけど。

「言うは易く行うは難し」って言いたかったのかな、たぶん。


「実際やってみれば、あなたも接客業の奥深さを知ることになるだろう」


 今朝から練習を始めたばかりのアイナさんが、なんか深いことを語っている。

 とりあえず、接客業に興味を持ってくれたのだと喜んでおこう。


「じゃあ、やってあげるから、あんた一回出て入ってきなさいよ」

「……いいだろう。しかと見せてもらうとしよう」


 険しい表情でカウンターを離れ、アイナさんが外へ出る。

 ドアが閉まり、しばらくしてアイナさんが再び店内へと入ってくると――


「いらっしゃいませぇ~☆ ようこそ、【歩くトラットリア】へ~☆」


 完璧な営業スマイルの挨拶を繰り出すキッカさん。

 まぁ、多少あざと過ぎるところもあるけれど、これくらい元気があってもいいだろう。


「ど~んなもんよ?」


 ふふんと鼻で笑うキッカさん。

 一方のアイナさんは拳を強く握りしめ俯いている。

 そして、キッと鋭い視線でキッカさんを睨んだかと思うと。


「参りました」


 土下座した。


「潔いな、剣鬼!?」

「コツを教えてください」

「あんたにはプライドはないのか!?」

「完敗です」

「違うのよ! あたしはこんなことで勝ちたかったんじゃないのよ!?」

「あなたこそが、いらっしゃいませの申し子。いらっしゃいマスター」

「カッコ悪っ!? 違うから! あたし、そんなもんになってないから!」


 力関係が一気にひっくり返った。

 アイナさん、本当に接客業覚えたいんだな。


「アイナさん」

「……シェフ」


 床に膝をついていると痛くなりますよ。


「すまない……わたしは、この………………えっと、あの…………え~…………」

「えっ、まさか名前覚えてないの!? 嘘でしょ!? あたし、あんたには何度も名乗ったでしょ!? 手紙も出したわよね!」

「…………ん?」

「記憶にないのか、コンチキショー! キッカよ、キッカ!」

「そう、ピッカ」

「キッカ! 三文字も覚えられないのか、あんたは!?」

「……あの人よりも長くここにいるのに、あっさりと抜かれてしまった……」

「キッカ! 名前覚えられないって諦めんなぁ!」

「キッカさん、ごめんなさい。今、アイナさんと話してますので、ちょっと『しぃ~』で」

「おまっ!? 依怙贔屓も大概にしなさいよね!? どう見ても悪いのは剣鬼でしょうが!」


 ぷりぷり怒るキッカさんをなだめて、アイナさんに向き直る。

 とても不安げな表情をしている。そんなに、心を痛めなくてもいいのに。


「……わたしには、才能がないのかもしれない。頑張りたいのに……気持ちだけでは、勝てないのかもしれない……」

「そんなこと……」


 うずくまるアイナさんの背に手を伸ばし、こんがらがったエプロンの紐を解く。


「……あっ」

「動かないでください。今、結び直しますから」

「…………すまない。そんなことまで」

「いいんですよ」


 沈んでいくアイナさんの声の分まで明るい声で、ゆっくりと言葉を届ける。


「アイナさんのペースでいいんです。ボクがゆっくりと、全部教えますから」

「しかし……そんな手間を取らせるわけには……」

「手間くらい、いくらでもかけてください」

「それでは、シェフの仕事が……」

「アイナさんの教育実習も、ボクの仕事の一つですから」

「シェフ……」

「なので、最初から完璧にやられちゃうと、ボクの仕事がなくなってつまんないですよ」


 ようやく顔を上げたアイナさんに、自分史上最大級の笑みを向ける。

 うまくいっているといいのだけれど。


「…………そう、か」


 よかった。

 アイナさんに笑みが戻った。


「それに、最初より良くなってましたし」

「そ、そうか!? 本当に?」

「はい。ちょ~~~~っとだけ、ですけど」

「そ、そんなに……ちょっと、か?」

「はい。残念ながら」


 おどけて言うと、アイナさんが「ふっ」と吹き出した。


「では、まだまだ研鑽が必要だな」

「ですね」

「でも……成長、しているのだな」

「はい。してます」


 明確に頷くと、アイナさんの瞳に活力が戻った。


「よしっ、わたしはわたしのペースで、遅いながらも着実に前進して、いつかキ………………ナントカさんのようないらっしゃいマスターになってみせよう!」

「キッカだぁ! そして、いらっしゃいマスターになった覚えはなぁーい!」


 よかった。アイナさんが元気になって。

 あと、キッカさんちょっとうるさい。






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