「にゃ~」
アイナさんが鳴いている。
「完璧ですっ!」
「キャベツが見るも無惨な姿になっているけれど?」
「大丈夫です! 見るも無惨になったキャベツでも、あとでスタッフが美味しくいただきますので!」
「誰よ、スタッフって……」
「キッカさん。野菜炒めって好きですか?」
「あたしかよ!?」
残像を体得したアイナさんは、「次の種まきは期待していてほしい」とボクに告げ、満を持して千切りの練習に取りかかっている。
キッカさんのおかげでキャベツが大量にあるので、練習はいくらでも出来る。
切ったキャベツは、あとでコールスローにして保存しておく。
【歩くトラットリア】の冷蔵庫に入れておけば、食材が腐るということがないので、非常に助かる。
「……うまくいかない……にゃあ」
あはぁ……きゅんきゅんする。
なぜアイナさんがネコ語をしゃべっているのかというと、それは少し、時間を遡って説明する必要がある――
残像の修行を終え、【歩くトラットリア】に戻ってきたボクたちは手を洗い、消毒をして、カウンターの中にある厨房へ戻ってきた。
その際、アイナさんのエプロンの紐を結んであげた。
あぁ、なんかこれって新婚さんみたいだなぁ。
朝、エプロンの紐をきゅっと結んでもらって「いってらっしゃい。お仕事頑張ってね」とか言われたら、もう幸せ過ぎて家から出ないのになぁ!
うはぁ~、仕事行けないやぁ~。
「結び目、曲がってるよ」とか言っちゃって~!
「貴族が奥さんにネクタイ結んでもらってるのは見たことあったけど、エプロンはないわね」
「貴族のネクタイは仕事着ですよね? なら、ボクのエプロンと同じです」
「つか、タマちゃんが結ぶ方なんだ?」
「ボク、結ぶの得意なんで」
キッカさんが時折見せる、物凄~くしら~っとした視線でボクを見る。
けれど今はそんなことには気を取られず、この余韻に浸っていたい。
「では、シェフ。よろしくお願いしたい」
「はい。頑張りましょうね」
「うむ。一刀両断にしてくれる!」
「いえ、千切りにしましょう」
ボクは、半玉のキャベツをまな板の上へと置く。
まずお手本として、軽く千切りを披露する。
「相変わらず、たいしたものねぇ」
「……すごい。素早く、正確だ」
千切りとフランベとフライパン返しは分かりやすく褒めてもらいやすいのでちょっと好きだ。必要以上に張り切ってやってしまう。
と、ボクが全部切っても仕方ないので、四分の一程切ったところでアイナさんにバトンタッチ……いや、包丁タッチする。
「いざ、参るっ! はぁぁああっ!」
「ちょっと待ちましょうか!」
アイナさん、また! またオーラ出ちゃってますから!
アイナさん的に言うところの闘気が!
キャベツは友達。
敵じゃないですからね!
「もっと気楽な気持ちでやりましょう」
「しかし、刃を扱う時に気を抜くのは……」
「力を抜いて、もっと自然体で、力み過ぎるのもよくないでしょ?」
「確かに…………ふむ。千切りとは、無我の境地に挑むものなのだな」
いえ、そこまでたいそうな話ではないです。
物凄くブラックなとんかつ屋さんなら、もしかしたら千切り係がその境地に至っているかもしれませんが。
「……無心……………………」
アイナさんの気配が消える。
そして、包丁を腰だめに構えて、居合いの要領でキャベツを一刀両だ……
「ストップです、アイナさん!」
「……くっ!」
キャベツをするりと切り裂いた包丁に急ブレーキが掛かる。
アイナさん渾身の踏みとどまりで、まな板は辛うじて切断されずに済んだ。…………皮一枚で。
「まな板は、切っちゃダメです」
「す、すまない……盲点だった」
「ねぇ、剣鬼……あんたの盲点って直径7キロくらいあるんじゃない?」
それ、もはや視界のすべてが盲点ですって、キッカさん。
幸い、まな板などの調理道具は豊富に揃っている。【歩くトラットリア】では、「道具がなくて作れない」なんてことはあり得ないのだ。
「まな板を切らない程度の力で、素早く包丁を動かしてください」
「うむ。……流星け……っ!」
「ストップです!」
「…………むぅ」
ちょっとむくれたアイナさんも可愛いんですけども、今使おうとしたのは、牛の魔獣をぼっこぼこにした剣技ですよね?
なんかイカの流星が降り注いでいたヤツ。
「厨房でのスキルは控えてください」
「スキルを封じられると……いよいよもって、わたしはただの役立たずになってしまう……」
「そんなことありませんから。ゆっくり覚えていきましょう」
「うむ……ありがとう」
ゆっくりいきましょう!
この幸せな時間がいつまでも続くように!