時刻は夜。
……といっても、この【歩くトラットリア】には時間なんて概念は存在しない。しても、たいした意味はない。
昼過ぎからまた朝に戻ってしまった。
そんな場所なのだ。
なので、あたしの感覚的な時間でいうところの、夜だ。
そろそろ眠りたい。
けれど、鎧を着た女が横で伸びていては安心して眠れない。
……こいつは眠りにつくと、ほぼ確実にあたしに抱きついてくる。
こんな硬い鎧姿で抱きつかれてたまるか。…………そもそも、抱きつくことを許可した覚えはないけどね!
羊を抱いて寝りゃあいいんだよ。あのぬぼーっとした顔の黒羊のぬいぐるみを。
ベッドを過ぎ、机の上に置かれた黒羊を持って剣鬼の枕元へと向かう。
「ほ~ら、一回起きて鎧脱げ~。黒羊が言ってるぞ~」
「……はっ!?」
黒羊を頭に押しつけてやると、剣鬼が飛び起きた。
「鎧を脱がなければ、シェフが汚れてしまう」
シェフ?
タマちゃん?
…………ん? もしかして、このぬいぐるみ?
「ねぇ、剣鬼。この黒羊、『シェフ』って名前にしたの?」
「なっ!? キ、キッカ……いつからそこに!?」
「ずっといたわ!」
なんだなんだ?
前は「この子の名前はまだない……一世一代の命名をする義務が、わたしにはあるから」とか言ってたくせに。あ~そう、そうかそうか。シェフって名前にしたのか。
で、なに?
「しぇふ~」って抱きしめて寝たいって? やかましいわ!
「タマちゃんに教えてやろうかなぁ?」
「それは困る! ……と、いうか、シェフという名前では、ない」
「じゃあさっきの『シェフ』って、誰のこと? ん~?」
「そ、それは…………」
「この黒羊のことでしょう? 他にいないもんね?」
「…………その子は……シェフ(仮)」
往生際悪っ!?
どうせ(仮)の状況がずっと続いてそのまま定着するに違いない。
実に面倒くさい。
さっさと付き合っちゃえばいいのに。
どうせ、タマちゃんも剣鬼に夢中なんだし。
殺伐とした殺し合いの中で、一人孤独に剣を振るうより、あんたにはこっちの方が幸せなんじゃないの?
そんな鎧とか剣なんか捨てちゃってさ。
「鎧なんか着るのやめなよ。ここ、食堂なんだしさ」
「それは……出来ない」
「なんで?」
「たまに……」
震える指で口元を隠す。
桁違いに格上の敵を目の当たりにしたような表情で。
「……防御不可の攻撃を受ける、こう、胸がきゅーんと締めつけられるような!」
「のろけか!?」
ときめいてらっしゃるようね!
あのタマちゃんのどこにときめく要素があるのか、あたしには皆目見当もつかないけどね!
「それに……」
ガチャッと、白銀の鎧が音を立てる。
部屋を照らすランタンの炎が剣鬼の横顔に影を浮かび上がらせる。
「……お嫁にもらってくれる人にしか、肌を見せてはいけないと、言われている」
「………………は?」
「キッカは知らないかもしれないけれど……わたしは、少し、おっちょこちょい」
「知ってる。物凄くよく知ってるわ、その事実」
「鎧がないと、服が捲れたり、気が付いたら脱げていたり、『え、これ誰の服?』という見たこともない服と交換されていることがある」
「あんたの意識はどこの異次元をさまよってんのよ!? なんで服が変わってんの!?」
「三歳の頃、わたしは迷子になって……気が付いたら正教会騎士団の鎧を身に纏っていたことがあった」
「何があった!?」
「……最初に着ていた子供服は、行方不明だった」
「だから、何があってそうなった!?」
「おそらく……剣闘士が試合後に、互いを称えて兜を交換する……みたいなことだと思う」
「じゃあ、子供服の三歳児が完全武装の正教会騎士団をぼっこぼこにしたってわけ?」
「…………確かに、わたしは無傷だったような……」
こいつ怖っ!?
うっかりパンチラレベルじゃないわ。
気付けば全裸……そんなことになったらタマちゃんが出血多量で死んじゃうわね。
っていうか、あの鎧って留め具代わりなの? アホ丸出しね。
「シェフの前で鎧を脱ぐのは…………緊張する、から」
こいつの中に、そんな乙女な恥じらいがあったなんて……
「じゃあもう、タマちゃんのお嫁さんにしてもらえば?」
絶対断られないだろうし、うまくやっていけるんじゃない、あんたらなら。
そんな軽い気持ちで投げかけた言葉に、剣鬼はとても重い声を返してきた。
「それは……出来ない」
「…………え?」
正直、驚いた。
傍から見ていると完全に相思相愛なのに。出来ない?
「……わたしは、シェフには相応しくない」
「そんなことな……」
「わたしは」
言いかけた言葉を遮られ、あたしはその先を言えなかった。
「鬼の娘……だから」
そして、室内に静寂が落ちる。
居心地の悪い、嫌な沈黙が。
鬼の娘。
剣鬼というのはただの呼び名であり、本当にこいつが鬼であるというわけではない。
種族の話ではなく…………剣鬼の親が、『鬼』と呼ぶに相応しい人物だった……って、こと?
「別にさ」
別に、あたしは剣鬼が好きなわけじゃない。
少しの時間一緒に寝食を共にしただけで、こいつのことなんか何も知らないし。
けど、これだけは言ってやりたかった。
「いいんじゃないの。そんなの」
別にいいじゃん――って。
「あんたの親が鬼だろうが、あんたが鬼じゃなきゃいいじゃん。そんなもんでしょ?」
「…………」
黙って首を横に振る。
「あんたは親の人生を彩る装飾品じゃない。あんたはあんたっていう人間の人生を生きればいいんだよ」
……なんて、まるで自分に言い聞かせるような説教を垂れる。
よく言えたものだ、そんな言葉を。
親の装飾品にすらなれず、悪あがきを続けているあたしなんかが。