一瞬、思考が止まる。
世界が時を止め、剣鬼の瞳だけが微かに揺れる。
「――少なくとも、わたしがここに来てからは、一度も」
言われて、初めて気が付いた。
言われてみれば、確かにタマちゃんが何かを食べる姿を見たことがない。
味見ですら、しているところを見た記憶がない。
あたしたちがいないところでこっそり食べている?
いや、でも……料理をするなら厨房を使うだろうし、音とか匂いとか、何かしら痕跡に気が付けるはずだ。あたしや剣鬼なら。
そもそも、あたしたちに見つからないようにこそこそ食事をする理由が思いつかない。
シェフだから?
シェフは料理を作る者であって食べるのはお客さん……いや、シェフでも店の物を食べることはあるだろう。
じゃあ、なぜ?
「……一度も、なの?」
「そう。一度も」
剣鬼はいつ気が付いたのだろうか。
普通に会話して、普通に接していたから気が付かなかった。
記憶を思い起こしてみれば、タマちゃんがやっているのは、いつも『作る』と『提供する』だけだった。
なぜ、食べない?
作っているとお腹が膨れるから?
それでも、まったく食べないのはおかしい。
「タマちゃんには聞いた? なんで食べないのか」
「……いいや」
「じゃあ、さり気なく誘ってみる? 『一口食べる~?』って」
「……しない」
「どうしてよ」
そうすれば、食べない理由くらい教えてくれるはずなのに。
「……聞かれたくないことは、きっと誰にでもある」
「あ…………」
それは、あたしにも、ある。
聞かれたくないこと……思い出したくない記憶……顔。
「いつか、話してくれるなら、聞く。くれないなら……聞かない」
物凄く聞きたいんだろうな、って丸分かりな顔。
けど、そんなことなかったかのように明日からも接するんだね。
「でも、食事は必要…………取らない日が長引けば……」
人は、食事をとらなければ、死ぬ。
タマちゃんが人じゃない可能性は…………ほぼない。あたしや剣鬼には、魔獣を察知する能力があるし、あんな人畜無害な顔した魔獣なんて、聞いたことがない。
「無理矢理口に突っ込んでやる?」
「ふふ……ダメ、だよ」
おぅ……なんだ、その柔らかい笑顔は。
なんかもう、完全に慈しんじゃってんじゃん。
あ~ぁ、もう。
なんかあたし、ここにいるのがバカバカしくなってきたなぁ。
頃合いを見て出ていこっと。
結局、今のあたしのレベルじゃ剣鬼には勝てないだろうし。なんかもう……ね。
「食事はともかくさ、他のことは時間をかけてのんびりやっていけばいいんじゃない?」
どっちにしろ、あんたに敵なんていなんだから。
タマちゃんと剣鬼。この二人の間に割り込んでこようなんてバカはいないだろうし……いたとしても、この二人の空気見せられちゃバカバカしくなって撤退するだろうし……変に凝り固まった剣鬼の考え方が変われば、チャンスはあるでしょう。
ま。その剣鬼の考え方ってのが、一癖も二癖もあって……タマちゃん、苦労しそうだなぁ。
もっとも、タマちゃんはそんな苦労すら楽しんじゃいそうだけどね。
好きにすればいいんじゃん?
「…………キッカなら……いい」
「ん?」
鎧を脱ぎ終わり、もそっとベッドに潜り込んでくる。
何があたしだって?
「シェフが、キッカを選んでくれれば……わたしも、ここにいやすい」
「はぁ!?」
布団に潜り込んで、鼻から上だけ出してあたしを見上げてくる。
……何言ってんだ、こいつは? もう寝てんのか?
「ないない。あり得るわけないじゃない」
あんなおっぱい魔神があたしみたいなぺったんk……誰がだ、こら!?
「あたしも興味ないしねぇ」
「シェフ……優しいのに?」
「優しいっていうか……」
あれは頼りないとか軟弱って部類だしなぁ……まぁ、オラオラ系じゃないことだけは確かだけど。優しいってのとは、違うかなぁ。
ほら、優しさって、強さも必要になってくるじゃない?
こっちのご機嫌とるだけの男は優しいっていうより軟弱って感じだし、やっぱりピシッと一本通った強さとか信念みたいなものが欲しいところよね。
「うん。ないわね」
というわけで、あたしはパス。
タマちゃんはタマちゃんであって、男としては見られない。
……って、改めて考えるようなことでもないけれど。
「そっか…………残念……」
そんな、安心した~って声で言われてもね。
「まぁ、あんたは無敵だから、のんびりやんなさいな」
言い捨てて、あたしもベッドに入る。
剣鬼に背を向けるようにして体を丸める。
「…………無敵じゃ、ない…………」
不満そうに呟いて、あたしをそっと抱きしめる。
「って! だから無断で抱きしめるな!」
「……くぅ……」
「もう寝てんの!? 寝つきいいね、あんた!?」
そして、寝ているのにこの腕力……あぁ、もう。抵抗するだけ無駄。しんどい。
あたしは早々に諦めてまぶたを閉じる。
まったく。ややこしい考え方をしている。
けれど、剣鬼に敵はいない。それは事実だろう。
この二人の間に割り込んでくるバカなんかいるはずがない――
と、思ってたんだけどなぁ。この時は。