「ようこそ、【歩くトラットリア】へ!」
「その通り!」
「手ぇ抜くな!」
アイナさんが、接客の練習をしている。
講師はキッカさん。リピートアフターキッカさんだ。
だが、苦戦しているらしい。
「いい? この店は、タマちゃんの大切な、それはもう大事な大事なお店なんだよ? 名前を覚えてないとか、失礼なんじゃないかなぁ?」
いや、まぁ。大切ではあるんですが、別に名前を覚えてないからといって失礼に当たるわけでは……
「腹を斬らせていただくっ」
「ストップです、アイナさん!?」
もう、全然! 全っ然、失礼じゃないですから!
ちょっと発破を掛けるつもりだったキッカさんが盛大に慌てている。
アイナさんはちょっと、生真面目過ぎるきらいがある。
「覚えればいいの! ね? コンソメスープ覚えたよね? そのノリで、【歩くトラットリア】、はい、覚えて!」
「歩く……とらっとりあ……」
おぉっ!?
ちょっと片言ではあったけれど、アイナさんが初めてこの店の正式名称を!
「なんならもう、『歩くとっとりらんど』に改名してもいいかと、ちょっと思ってたんですが……」
「思うんじゃないわよ! そこは意地でも覚えさせなさいよ!」
「でも、覚えましたね! アイナさん、すごいです!」
「歩くとらっとりあ!」
う、うん。ちょっと片言だけれど、まぁ、合っている。
「これでもう接客出来るよね?」
「うん。出来る」
「じゃあ、ちょっとやってみ。はい、お客さんが入ってき・ま・し・た!」
「よーくしゃー!」
「テリアか!?」
店の名前を覚えたと思ったら、その前の「ようこそ」でつまずいた!?
たぶん、ちょっと緊張したんだろう。
……で。
「テリア?」
「いっ、いいのよ、掘り返さなくて! さらっと流しなさいよ!」
「…………あっ! あーあー! 『よーくしゃー』ってきたから、『テリアか』って、そういうわけですね!」
「いいからタマちゃん、解説しないで! なんか、あたしがスベったみたいになってるから!」
ヨークシャーテリアという犬がいる。
たぶん、ソレと掛けたキッカさんの面白い感じのヤツなのだろう。
「キッカは、ユニーク」
「一切笑ってない顔で言われても嬉しくないわ!」
「そうですね。ではアイナさん。笑いましょう」
「うん。笑う」
「「あははは」」
「やめろー! そんな優しさ欲しくない!」
キッカさんが近くのテーブルへと駆けていき突っ伏す。
なんだか「むぁああ!」って言っている。しばらくそっとしておこう。
「アイナさん、よく頑張りましたね。偉いです!」
「…………そ、……そう、だろうか?」
「はい。ご褒美をあげたいくらいです」
「い、いや。ご褒美は……もう、もらった」
「え? 何かあげましたっけ?」
「…………褒めて、もらった……今」
謙虚!?
なにこの謙虚な生き物!?
褒めるくらい、いつでも、いくらでも、どこまででも褒めますのに!
「シェフに褒められるのは……嬉しい」
きゅんっ!
これは仕方ないでしょう!?
ニヤケるでしょう、それは!
だって、名指しですもの!
ならば、褒めて差し上げねば! アイナさんの、ありとあらゆるところを、褒め倒して差し上げねば!
例えば――
「綺麗な瞳だね……ふっ」…………言えるわけがない。
「君の存在が、ボクの人生を素敵なものに変えてくれるんだ」……いや、それ褒めてないし! 口説いてるし!
「よっ! ボインちゃん!」……最低かっ!? 何が「よっ!」なんだ、ボク!?
「ないの、褒めるとこ?」
「あ、ありますよ! あり過ぎちゃって困っているところなんです!」
危ない……急に声をかけられて、直前に思っていた言葉が口から出そうになった。
「よっ! ボインちゃん!」…………腹を斬るどころでは済まない大事件になるところだった。キッカさんめ……なんて恐ろしいタイミングで……
人を褒めるのは難しい。
しかしながら、ボクは、今、ナウ、アイナさんを褒めたい。
なので――
「よっ! アイナさん!」
――なんつって。
「…………」
アイナさんが無言でボクを見ている。
キッカさんもボクを見て……あ、目を逸らされた。そして盛大にため息を吐かれてしまった。
ん~……やってもうたか。
「…………」
「い、いえ、あのアイナさん。今は別に褒めるところがなかったとかそういうことではなくて、変に褒めるとキザったらしいというか、そういう感じのアレで……」
「……よっ、シェフ!」
ずきゅん!
返された!?
「よっ!」を返された!
なんでそういちいち可愛いんですか、あなたは!?
キッカさんなら、「……ふん」って、鼻で笑って終わるところでしたよ。
「……ふふ。人を褒めるのも、なかなか楽しい」
なんだか、味を占めた様子だ。
「また変な言葉教えて……責任取りなさいよ?」
ジトッとした目でキッカさんがボクを見る。
そんな、責任だなんて…………すっごく取りたいんですけど!
――と、そんなことをしていると。
『リーン、リーン……』と、虫の声が聞こえた。