「真顔、ですね」
「うん。史上稀に見るレベルの真顔ね」
照れるとか、でなければ迷惑そうとか、愛想笑いとか、何かしらアクションがあるかと思ったのだけれど、アイナさんはこの上もないほど真顔だった。
……見えてない、とか?
「あはは。そんなに照れなくていいよ、お嬢さん。さぁ、こっちを向いて」
と、男が、いや、生モノがアイナさんの頬に手を差し伸べる。
指一本でも触れたら調理場にある硬いものをすべて投げつけてやる!
……と、思った矢先、アイナさんが消えた。
空中を切る生モノの手。
「……残像」
気付いたら、アイナさんは店の隅にいた。
残像を使いこなしてらっしゃる。
「シェフ。一つ聞いてもいいだろうか?」
ゆっくりとした歩調で、アイナさんがボクの前へとやって来る。
「どうしました? 無駄にキラキラしていた金髪と歯のせいで目がチカチカしましたか? 吐きそうですか?」
「平気」
「でも、消毒とかした方がいいかもしれません。潜伏期間とか、あるかもしれませんし!」
「タマちゃんってさぁ、コンプレックスが物凄いんだね。新発見だわ」
なぜか嬉しそうなキッカさん。
あとでボクをからかうつもりなのだろうか。
コンプレックス……は、ありますよ、そりゃ。ボクなんか所詮、ボクですし……
「シェフ」
沈みそうな心が、アイナさんの声で浮上する。
「質問……いいだろうか?」
「あ、ごめんなさい。どうぞ」
こほんと咳をして、アイナさんが尋ねてくる。
「『美しい女性』というのに、シェフは含まれるのだろうか?」
「含まれませんよ!?」
「絶対に?」
「絶対です! 『美しい』にも『女性』にも該当しませんから!」
「……そう」
そうして、アイナさんは眉根を寄せて、「よく分からない」というような表情を見せる。
「なら、この店にいる『美しい女性』はキッカだけになるわけなのだが…………あの男の人には、わたしたちには見えない誰かが見えている……ということなのだろうか?」
なんか急に怪談テイストになってきた!?
「シェフ。塩をいただけないだろうか?」
お清めする気だ!?
「いや、あの。『美しい』っていうのは、アイナさんの……」
「君のことだよ、照れ屋さん」
いつの間にか、生モノ……いや、ゲテモノがアイナさんの背後に忍び寄っていた。
そして、なんの断りもなくアイナさんの手を取り握った――ように見えたけれど突き抜けた。……え?
「……残像(手のみ)」
「なに器用なことしてんのよ!? あたしでも出来ないわよ、そんなこと!」
アイナさんの手を握ろうとして盛大に空振りしたゲテモノ。……ぷぷっ、ざまぁ。
「……ふっ、あはは。本当に照れ屋なんだなぁ」
なぜ嫌がっていると、興味がないと思わないのか?
一体、どれだけ強靭なハートを持ち合わせているんだ、このゲテモノは。
「オーケィ、分かった。君は僕に触れられるのが怖いんだね。……恋に、落ちてしまうから」
うわぁ……鳥肌が立った。
どこでもいいので、深い穴にでも落ちてきてほしい。一人で。
「飲食店従業員として、他人に触れられるわけにはいかない。不衛生なので」
ズバッと言い切ったアイナさん。
そんなことを考えていたんだ…………アイナさん。あなたは従業員の鑑です。
……っていうか、不衛生…………ぷっ。
「寝る時、めっちゃ抱きついてくるくせに、よく言うわ」
「キッカは他人じゃないからセーフ」
「他人なんですけど!?」
「ドンマイ」
「何が!?」
女子同士でキャッキャし始める二人。
懸命にカッコをつけていた騎士様、ぽつーん。
「あははは。そうかそうか、よ~く分かったよ」
爽やかに笑い、指をぱちんと鳴らしてアイナさんを指差す。
「君は、ツンデレさんなんだね☆」
何を分かったつもりでいたんだ、この人!?
すごいっ! 打たれ強過ぎる!
不衛生とまで言われてもなお、「君は僕に気があるんだろ?」のスタンスを崩さない!
ある意味清々しい。
……なんて、ほんの少しでも肯定的なことを思うべきではなかった。
それは、ボクが油断したほんの一瞬のうちにもたらされた。
「そういうところも、可愛いよ」
男が、アイナさんに向かって発した言葉を聞いて、ボクの全身が粟立った。