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「タマちゃん……ごめん」
そう言い残して、あたしは逃げ出した。
従業員スペースへ駆け込んで、乱れる呼吸を必死に抑える。
「………………っ!」
喉が引き攣った音を鳴らす。
……泣いてなど、やるものか。あたしはもう、泣かないと決めたんだ。
「……キッカ」
剣鬼があたしを追いかけてきた。
たぶん、タマちゃんが気を利かせてくれたのだろう……お節介。
今は一人になりたいのに……
食料庫にでも行こうかと足を踏み出す直前――
『あの子はわたくしの娘です…………………………非常に不愉快ではありますけれどね』
ドアの向こうから、そんな声が聞こえてきた。
心臓が軋みを上げる。
なんで……どうして……こんなことで…………傷付くの?
あんな人……親だなんて思ってないのに。家族だなんて、思っていないのに。
父親にしたって、病に臥せった母さんを見捨てた酷い男で……どいつもこいつも大嫌いで……母さんが死んだ時だって…………
あたしの家族は母さんだけ。
アレは、違う。
…………なんて。
誤魔化しても意味はない。
あたしは、羨ましかったんだ。
身寄りをなくしたあたしを引き取った父親。そして、しぶしぶ迎え入れた義理の家族。
そんな家庭の中で、愛情を一身に受ける姉二人が、心底羨ましかった。あたしには一切向けられることのない愛情を、生まれた時から注がれ続けた姉たちが、羨ましかった。
あたしはまだ、縋りついているんだ……あんな人なのに、いつか自分にも同じように愛情を注いでくれるかもしれないなんて……ありもしない可能性に、必死になって。
頑張っていれば、もっとすごい人間になれば、誰からも笑われないような大物になれば……もしかしたら、一欠片くらいは……って。
「…………くっ!」
抗い難い感情が溢れ出してくる。
マグマのように噴き出してきた感情は、けれど行き場がなくて、手近にあった物にぶつけるしかなかった。
「……バカみたいじゃん、あたし……っ!」
剣鬼の腕を取り、剣鬼の背中を乱暴に壁に押しつけて……剣鬼の胸に顔を埋める。
硬い……鎧に額がぶつかって、痛い。
けど、それでもよかった。硬い鎧に頭をぐりぐり押しつけて、逃げ場を失った感情が漏れ出さないように必死にこらえる。
嗚咽も涙も、漏らしてやるものか。
「キッカは……バカじゃない」
そっと、後頭部に剣鬼の手が触れる。
ゆっくりと、あたしの髪を撫でる。
「キッカは、えらい子。いい子……」
ゆっくりとゆっくりと、何度もあたしの頭を撫でる。
「…………なによ、それ……」
いい子って……えらい子って…………くそっ、嬉しいな。こんな単純なことが。
キッカって、名前呼んでもらえることが、こんなに嬉しいなんて…………やっぱバカじゃん、あたし。
あぁ、もう! ……剣鬼に借りを作ってしまった。
返すのが大変そうな、大きな借りを。
いいわよ。そのうちきちんと返すわよ。だから……今だけ、盛大に甘えさせなさいよ。剣鬼。
呼吸の度に心は重さを増し、倦怠感が全身を蝕んでいく。
タマちゃんが作っているのであろう美味しそうな料理の匂いと、硬い鎧の感触だけを感じながら、あたしはしばらくの間俯いていた。